ユーライア・ヒープ
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox musical artist ユーライア・ヒープ (Uriah Heep) は、イギリスのハード・ロック・プログレッシヴ・ロックバンド。ブリティッシュ・ロック、特にハードロックにおける主要バンドのひとつであり、1970年代前半が全盛期といわれる。1980年代半ばまではメンバーの入れ代わりが激しかったが、1986年以降は固定メンバーで活動。デビュー以来メンバーによるコーラスが特徴的であり、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルらと同様にハードロックのパイオニア的バンドのひとつでもある。
バイオグラフィ
ユーライア・ヒープ以前
- 1960年代中頃 ミック・ボックス(ギター)が結成していたストーカーズにデヴィッド・バイロン(ヴォーカル)が加入。
- 1967年 ストーカーズが解散し、ミック・ボックスとデヴィッド・バイロンの二人はスパイスを結成。途中ポール・ニュートン(ベース)、アレックス・ネピアー(ドラムス)、ケン・ヘンズレー(オルガン・キーボード、リズムギター)を迎え、活動を行う。
ユーライア・ヒープ
黎明期
- 1970年 スパイスがユーライア・ヒープに改名。途中ドラマーをナイジェル・オルソンに変更するも、ファースト・アルバム『...ヴェリー・ヘヴィ・ヴェリー・ハンブル(VERY 'EAVY, VERY 'UMBLE)』を完成させ、ヴァーティゴ・レーベルからデビュー。ミック・ボックスは1995年版CDのライナーノーツに「スタジオに入った時は4人組のスパイスだったのに、出てきた時は5人組のユーライア・ヒープになっていた」と書いている。この改名はブロンズレコードの社長兼ユーライア・ヒープのマネージャーのジェリー・ブロン(1933‐2012)の提案によるもので、ちょうど没後100周年でイギリス国内がディケンズ・ブームだったためにこの名前が目に留まったという。(『ユーライア・ヒープ』は、ディケンズの小説『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物)アルバムのタイトルもディケンズの描写に由来し、heavy、humbleのhが落ちているのもヒープの喋り方を模しているため。ファースト・アルバムのツアーでは、短期間だけツアーに参加したナイジェル・オルソンに変わり、キース・ベイカーがドラムを務める。
- 1971年 シンフォニックなセカンド・アルバム『ソールズベリー(SALISBURY)』を発表。同年ドラマーをイアン・クラークに交替させ、ブロンズ・レーベルから代表作サード『対自核(LOOK AT YOURSELF)』を発表。
全盛期
- 1972年 ドラマーにリー・カースレイク、ベーシストにマーク・クラークを迎える。ツアーから参加したクラークはわずか3ヶ月在籍しただけで次作の制作レコーディング中に脱退。後任ベーシストにニュージーランド出身のゲイリー・セインを加入して、ロジャー・ディーンをアート・ワークに起用した『悪魔と魔法使い(DEMONS AND WIZARDS)』発表。同アルバムからは「七月の朝」「安息の日々」の2曲が日本でスマッシュ・ヒットした。続いて、同傾向の『魔の饗宴(THE MAGICIAN'S BIRTHDAY)』を発表。こちらもアート・ワークをロジャー・ディーンが担当した。対自核からの3枚は、ユーライア・ヒープの歴史の中で、最も人気の高い作品として評価されている。
- 1973年 3月に日本武道館を含む初来日公演を行う(5公演)。同年『スウィート・フリーダム(SWEET FREEDOM)』発表。
- 1974年 初期ヒープらしさを持った最後のアルバム『夢幻劇(WONDERWORLD)』発表。ゲイリー・セインはコンサート中に感電事故に遭い重傷を負う。グループに復帰はするものの薬物中毒から脱却することができずにグループはセインを解雇する。
ジョン・ウェットン加入
- 1974年、キング・クリムゾンのジョン・ウェットンが、レコーディングにベーシスト兼ヴォーカルとして加入し、1975年にアルバム『幻想への回帰(RETURN TO FANTASY)』を発表。グループにとって唯一の英国のアルバム・チャートトップ10入り作品となる最高位7位を記録している。
- 12月にゲイリー・セインがヘロインの過剰摂取の事故により死亡(テンプレート:没年齢)。
- 1976年、曲作りの時点から参加したウェットンとヘンズレイと共作を含むスタジオ・アルバム『ハイ・アンド・マイティ(HIGH AND MIGHTY)』を発表、ウェットンがヘンズレイとリード・ヴォーカルをともにとる「ワン・ウェイ・オア・アナザー(One Way Or Another)」はシングルとしてリリースされた。
また同年バンドはアルコール中毒の問題を抱えていたデヴィッド・バイロンを解雇。そしてジョン・ウェットンはUKの活動専念のためにグループを脱退している。
デヴィッド・バイロン脱退〜ケン・ヘンズレー脱退
- 1977年 新ヴォーカリストにジョン・ロートン、新ベーシストにトレヴァー・ボルダーを迎え、『ファイアフライ(FIREFLY)』発表。
- 1978年 ハード・ポップ色を色濃くした佳作『罪なきいけにえ(INNOCENT VICTIM)』発表。再び散漫なアルバム『堕ちた天使(FALLEN ANGEL)』発表。1979年にFive Milesセッションでアルバム1枚分のマテリアルを残すものの、リー・カースレイクとジョン・ロートンが脱退し、幻のアルバムと化す(この時期の再発CD盤などで一部音源が聴ける)。
- 1980年 ジョン・スローマンをヴォーカル、クリス・スレイドをドラムに迎えた『征服者(CONQUEST)』発表。オリジナル・キーボーディストのケン・ヘンズレー脱退。後にカナダ人キーボーディストのグレッグ・デシャートを迎え『シンク・イット・オーバー(Think It Over)』発表。アルバムも1枚分のマテリアルを残すものの未発表に終わる。トレヴァー・ボルダー、ジョン・スローマン、クリス・スレイド、グレッグ・デシャート脱退。その後、ユーライア・ヒープは活動停止状態へ。ミック・ボックスはミック・ボックス・バンドとして活動を続ける。
再始動
- 1980年 ミック・ボックスの自身のバンドで活動を開始するもののレコーデイング契約に際し、一度消滅したユーライア・ヒープの名前が必要となりミック・ボックス・バンドよりユーライア・ヒープを再編することになる。元ヘヴィ・メタル・キッズ~ライオンのジョン・シンクレア(キーボード)、トラピーズのピート・ゴールビー(ヴォーカル)が参加して約2年の停滞期間の後、オジー・オズボーン・バンドを脱退したリー・カースレイク(ドラムス)とボブ・デイズリー(ベース)を迎えたことによってレコーデイングにこぎつけられる様になりハードでキャッチーなアルバム『魔界再来(ABOMINOG)』(1982年発表)。Paul Bliss作の"That's the Way That It Is"はアメリカでのシングル・ヒット曲となる。
- 1983年 同メンバーでスタジオ・アルバム『ヘッド・ファースト(HEAD FIRST)』発表。レコーディング後にボブ・デイズリーの後任にトレヴァー・ボルダーが復帰し、プロモーション・ツアーを行う。
- 1985年 2月にオリジナル・メンバーのデヴィッド・バイロンがアルコール依存症にともなう肝硬変により死去(テンプレート:没年齢)。
元グランプリ組加入〜リー・カースレイク脱退
- 1986年 かつて所属していたブロンズ・レーベル倒産。ヴォーカリストにステフ・フォンテイン、キーボーディストにフィル・ランゾンを迎えて活動再開。11月にフォンテインを解雇し、ヴォーカリストをバーニー・ショウに変更し活動。
- 1988年 新ラインナップで収録したライブ・アルバム『ライブ・イン・モスクワ(LIVE IN MOSCOW)』発表。
- 1989年 新ラインナップでは初となるスタジオ・アルバム『レイジング・サイレンス(RAGING SILENCE)』発表。
- 1991年 スタジオ・アルバム『ディファレント・ワールド(DIFFERENT WORLD)』発表。来日公演を行う。
- 1995年 久々の傑作となるスタジオ・アルバム『シー・オブ・ライト(SEA OF LIGHT)』発表。久々にアート・ワークはロジャー・ディーン。バーニー・ショウが喉の手術を行ったため、一部ツアーでは代役として、ジョン・ロートンが参加。
- 1998年 スタジオ・アルバム『ソニック・オリガミ(SONIC ORIGAMI)』発表。
- 以降スタジオ・アルバムの発表は無かったが、毎年ライブ活動は継続して行っていた。
ラッセル・ギルブルック加入後
- 2007年 健康上の理由からリー・カースレイクが脱退。最も長続きした1986年からのラインナップが終わる。後任としてラッセル・ギルブルックが加入。
- 2008年 10年振りのスタジオ・アルバムとなる『ウェイク・ザ・スリーパー(WAKE THE SLEEPER)』を発売
- 2009年 最新メンバーによる往年の名曲の新録+新曲2曲のデビュー40周年記念ベスト盤『CELEBRATION』発売
- 2010年川崎クラブチッタにて19年ぶり三度目の来日。「悪魔と魔法使い」完全再現ライブを行った。ゲストでは元ホワイト・スネイクのミッキー・ムーディが参加。このライヴは『Official Bootleg vol3:Live in Kawasaki Japan 2010』としてCD化された。
- 2011年4月 通算22枚目のスタジオ・アルバム『イントゥ・ザ・ワイルド(INTO THE WILD)』をユニバーサル・ミュージックより発売[1]。
トレヴァー・ボルダー死去
- 2013年 現行メンバーであるトレヴァー・ボルダーが癌のため死去(62歳没)。ボルダー療養中のツアーの代役はDave Rimmerが務め、彼の死去を受けて正式メンバーに昇格した。その後、彼を迎えたラインナップで、2014年6月に通算23枚目のスタジオ・アルバム『異端審問(OUTSIDER)』をリリースした。
メンバー
現メンバー
ギター
- ミック・ボックス(1970年-現在、ギタリスト兼リーダー、唯一のオリジナルメンバー、元スパイス)
キーボード
ヴォーカル
- バーニー・ショウ(1986年-現在、六代目(現)ヴォーカリスト、元グランプリ、元プレイング・マンティス、元ストレイタス)
ドラムス
- ラッセル・ギルブルック(2007年-現在、六代目(現)ドラマー、元ベドラム、元クリス・バーバー・バンド、元G.O.D.S)
ベース
- デイヴィー・リマー(2012年-現在、七代目ベーシスト)
歴代メンバー
キーボード
- ケン・ヘンズレー(1970年-1980年、初代オルガン・キーボード、リズムギター、元ゴッズ、元ヘッド・マシーン、元トー・ファット。脱退後はブラックフット、ソロ)
- グレッグ・デシャート(1980年-1981年、二代目キーボード、元パルサー。脱退後はデヴィッド・ギルモア・バンド、バッド・カンパニー)
- ジョン・シンクレア(1981年-1985年、三代目キーボード、元ヘヴィ・メタル・キッズ、元ライオン。脱退後はオジー・オズボーン・バンド)
ヴォーカル
- デヴィッド・バイロン(1970年-1976年、初代ヴォーカリスト、故人、元スパイス。脱退後は、ラフ・ダイアモンド、ソロ)
- ジョン・ロートン(1976年-1979年、二代目ヴォーカリスト、元アステリックス、元ルシファーズ・フレンド、元レス・ハンフリーズ・シンガーズ。脱退後はルシファーズ・フレンド、レベル、ZAR、ルシファーズ・フレンドII、ガンヒル、ソロ、オン・ザ・ロックス)
- ジョン・スローマン(1979年-1981年、三代目ヴォーカリスト、元パルサー、元ローン・スター。脱退後はゲイリー・ムーア・バンド、ポール・ヤング・バンド、ソロ、セッションヴォーカリスト(プレイング・マンティスなど))
- ピート・ゴールビー(1981年-1985年、四代目ヴォーカリスト、元フェイブル、元トラピーズ。脱退後はパーフェクト・ストレンジャー、ソロ)
- ステフ・フォンテイン(1986年、五代目ヴォーカリスト、元ジョシュア。脱退後はハートエイク・シティ)
ドラムス
- アレックス・ネピアー(1970年、初代ドラマー)
- ナイジェル・オルソン(1970年、二代目ドラマー、元プラスチック・ペニー。脱退後はエルトン・ジョン・バンド、ソロ、ウォーパイプス、セッションドラマー)
- キース・ベイカー(1970年、三代目ドラマー、元ベイカールー。デビュー前のスーパートランプに在籍したこともある。)
- イアン・クラーク(1970年-1971年、三代目ドラマー、元クレシダ)
- リー・カースレイク(1971年-1979年、1981年-2007年、四代目(全盛期)ドラマー、元ゴッズ、元ナショナル・ヘッド・バンド。脱退後はオジー・オズボーン・バンド)
- クリス・スレイド(1979年-1981年、五代目ドラマー、元トム・ジョーンズ&スクワイヤーズ、元トゥーモロー、元マンフレッド・マンズ・アースバンド、元テラ・ノヴァ。脱退後はゲイリー・ニューマン・バンド、デヴィッド・ギルモア・バンド、ザ・ファーム、ゲイリー・ムーア・バンド、AC/DC、エイジア、マイケル・シェンカー・グループ)
ベース
- ポール・ニュートン(1970年-1971年、初代ベーシスト、元ゴッズ)
- マーク・クラーク(1971年-1972年、二代目ベーシスト、元コロシアム。脱退後はテンペスト、ナチュラル・ガス、レインボウ、ヘンリー・グロス・バンド、ビリー・スクワイヤー、イアン・ハンター・バンド、マウンテン、デイヴィー・ジョーンズ・バンド、コロシアム)
- ゲイリー・セイン(1972年-1975年、三代目(全盛期)ベーシスト、故人、元キーフ・ハートレー・バンド)
- ジョン・ウェットン(1975年-1976年、四代目ベーシスト兼ヴォーカリスト、元モーガル・スラッシュ、元ファミリー、元キング・クリムゾン、元ロキシー・ミュージック。脱退後はブライアン・フェリー・バンド、U.K.、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジア、ウェットン・マンザネラ,クァンゴ、ウェットン・ダウンズ、ソロ)
- トレヴァー・ボルダー(1976年-1981年、1983年-2013年、五代目ベーシスト、故人、元スパイダーズ・フロム・マーズ。脱退後はウィッシュボーン・アッシュ)
- ボブ・デイズリー(1981年-1983年、六代目ベーシスト、元カァーバス・ジュート、元チッキン・シャック、元ウィドウメイカー、元レインボウ、元オジー・オズボーン・バンド。脱退後はオジー・オズボーン・バンド、ゲイリー・ムーア・バンド、ブラック・サバス、マザーズ・アーミー、カァーバス・ジュート、フーチー・クーチー・メン)
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- ...ヴェリー・ヘヴィ・ヴェリー・ハンブル (原題 : VERY 'EAVY... VERY 'UMBLE) ......1970年発表
- ソールズベリー (原題 : SALISBURY)......1971年発表
- 対自核 (原題 : LOOK AT YOURSELF)......1971年発表
- 悪魔と魔法使い (原題 : DEMONS AND WIZARDS)......1972年発表
- 魔の饗宴 (原題 : THE MAGICIAN'S BIRTHDAY)......1972年発表
- スウィート・フリーダム (原題 : SWEET FREEDOM)......1973年発表
- 夢幻劇 (原題 : WONDERWORLD)......1974年発表
- 幻想への回帰 (原題 : RETURN TO FANTASY)......1975年発表
- ハイ・アンド・マイティ (原題 : HIGH AND MIGHTY)......1976年発表
- ファイアフライ (原題 : FIREFLY)......1977年発表
- 罪なきいけにえ (原題 : INNOCENT VICTIM)......1978年発表
- 堕ちた天使 (原題 : FALLEN ANGEL)......1978年発表
- 征服者 (原題 : CONQUEST)......1980年発表
- 魔界再来 (原題 : ABOMINOG)......1982年発表
- ヘッド・ファースト (原題 : HEAD FIRST)......1983年発表
- イクウェイター (原題 : EQUATOR)......1985年発表
- レイジング・サイレンス (原題 : RAGING SILENCE)......1989年発表
- ディファレント・ワールド (原題 : DIFFERENT WORLD)......1991年発表
- シー・オブ・ライト (原題 : SEA OF LIGHT)......1995年発表
- ソニック・オリガミ (原題 : SONIC ORIGAMI)......1998年発表
- ウェイク・ザ・スリーパー (原題 : WAKE THE SLEEPER)......2008年発表
- セレブレイション (原題 : CELEBRATION)......2009年発表
- イントゥ・ザ・ワイルド (原題 : INTO THE WILD)......2011年発表
ライヴ・アルバム
- ユーライア・ヒープ・ライヴ(原題 : LIVE 73)......1973年発表
- ライヴ・イン・ヨーロッパ1979(原題 : LIVE IN EUROPE1979)......1987年発表
- ライヴ・イン・モスクワ(原題 : LIVE IN MOSCOW)......1988年発表
- ライヴ・イン・ジャーマニー(原題 : SPELLBINDER)......1999年発表
- ライヴ・イン・アルメニア (原題 : Live in Armenia)......2011年発表
OFFICIAL BOOTLEG
- Official Bootleg 1:LIVE AT SWEDEN ROCK FESTIVAL 2009......2010年発表
- Official Bootleg 2:Live in Budapest 2010......2010年発表
- Official Bootleg 3:Live in Kawasaki Japan 2010 ......2011年発表
- Official Bootleg 4:Live from Brisbane 2011......2011年発表
- Official Bootleg 5:Live in Athens Greece 2011......2011年発表
外部リンク
- Uriah Heep official website
- Ken Hensley official website
- David Byron official tribute website
- Mick Box official website
- Official website for pre-1986 Uriah Heep
- The Official Uriah Heep Discography