花巻温泉
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花巻温泉(はなまきおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)、花巻温泉郷にある温泉。
アクセス
泉質
温泉街
- 温泉地のホテルでは、演歌歌手によるコンサートも実施される。また、2002年に設置された、「おまつり広場」という催し物会場を有するホテルも存在する。同会場では、岩手県や他県で活躍する有名人が、歌謡ショー・舞踊ショー・マジックショー・郷土芸能ショーその他、様々なジャンルの公演され、観覧は無料である。冬には、中国雑技団の公演が開催されるホテルも存在する。
- 温泉街の近くには宮沢賢治が設計した南斜花壇跡に立地する「花巻温泉ローズ&ハーブガーデン」がある。
- 花巻温泉主催の舞踊大会(花巻温泉芸能大会)が温泉街で実施される。
- 毎年、花巻市で開催するイーハトーブレディース駅伝のゴール地点となっている。
歴史
- 1922年(大正11年)、盛岡電気工業株式会社の依頼により、長岡安平によって「台遊園」設計[1]。
- 1923年(大正12年)、2kmほど山間にある台温泉からの引湯で温泉地は開かれた。盛岡電気工業の付帯事業として、温泉旅館「花盛館」が開業[2]。
- 1927年(昭和2年、株式会社花巻温泉として独立して発足。大阪毎日新聞と東京日日新聞によって「新日本八景」にも選ばれた。
- 昭和初期には「東北の宝塚」を目指し、盛岡の実業家金田一国士によって「台遊園」が建設された。 旅館、貸別荘、動植物園、ゴルフ場、テニスコート、日本初となるナイタースキー場、プール、食堂、ゲームコーナー、郵便局、公会堂、住宅、30箇所以上の入浴場といった施設が建設され、一大行楽地として栄えた。なお、これらの施設のほとんどは現存していない。
- 1930年(昭和5年)当時の花巻温泉を撮影した貴重な映画フィルムが現存している。
- 「花巻温泉小唄」(渡邊波光作詞 中山晋平作曲 唄藤本二三吉(もう一方は羽衣歌子)ビクター、1931年6月発売)も作られもてはやされた[3]。
- 戦後になって、台からの引湯管が傷んできたことから、ボーリングを実施して独自源泉を確保した。
- 1925年-1972年には、国鉄花巻駅に隣接した電鉄花巻駅から花巻温泉の花巻温泉駅まで、花巻電鉄線という鉄道路線も存在した。
- 2012年(平成24年)、温泉ホテル経営会社「花巻管理」が東京地裁に特別清算を申請し開始決定。負債総額は54億3000万円[4]、花巻温泉の各ホテルは、新会社が引き継ぎ、営業を続けている[5]。
その他
参考資料
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:国際興業グループ- ↑ 広報おおむら(長崎県大村市) 2000年9月
- ↑ 「岩手百科事典」(岩手放送)
- ↑ 国会図書館 デジタル化資料
- ↑ 花巻市の温泉ホテルが経営破綻 負債54億円、施設は別会社が継承
- ↑ 変更後の認定経営資源再活用計画の内容の公表