会計検査院
テンプレート:行政官庁 会計検査院(かいけいけんさいん、英訳名: Board of Audit of Japan)は、日本の国家機関の一つ。
日本国憲法は、「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」と定める(日本国憲法第90条1項)。また、内閣に対し独立の地位を有する(会計検査院法1条)。
目次
概要
国や国の出資する政府関係機関の決算、独立行政法人等の会計、国が補助金等の財政援助を与えている地方公共団体の会計などの検査を行い、会計検査院法第29条の規定に基づく決算検査報告を作成することを主要な任務としている。作成された決算検査報告は内閣に送付され、内閣は送付された決算検査報告を国会に提出することとなっている。
意志決定機関である検査官会議と事務総局で組織され、検査官会議を構成する3人の検査官は国会の同意を経て、内閣が任命し天皇が認証する(認証官)。会計検査院長は、検査官のうちから互選した者を内閣が任命する。
所在地は東京都千代田区の霞が関にある霞が関コモンゲート東館(中央合同庁舎第7号館)[注 1]。
独立機関
会計検査院は「行政機関」ではあるが、内閣に対し独立の地位を有する(日本国憲法第90条第2項、会計検査院法第1条)。また「行政機関」であるということは立法・司法のいずれにも属しないということであり、結果として国会・内閣・裁判所の三権のいずれからも独立している。さらに会計検査院の検査権限は内閣及びその所轄下にある各機関のみならず、国会(衆・参議院)・最高裁判所をも含むすべての国家機関に対して当然に及ぶなど、一般の行政機関とは際立って異なる性格を有している。また、その改廃には憲法上の問題が生じる点も他の行政機関と異なる。
一方で、会計検査院は財務省の一部局であるとしばしば誤解される[1]など、最も国民に理解されていない日本の国家機関の1つであると指摘される[2]。
大日本帝国憲法の下では、行政機関の組織および職権は勅令で定められていた。だが、当時にあっても会計検査院については勅令ではなく法律で組織および職権を定めることとしていた。大日本帝国憲法第72条第2項により、官制大権(大日本帝国憲法第10条)の例外とされていた。
沿革
- 1880年(明治13年)3月5日 大蔵省検査局を廃止して会計検査院を設置[3]。
- 1889年(明治22年)5月10日 会計検査院法(明治22年法律第15号)公布。会計検査院長は天皇に直属し、国務大臣に対し独立の地位となる[4]。
- 1947年(昭和22年)
明治時代~戦前
1880年3月5日、太政官の下に設置されて120年以上の歴史を有する[3]。太政官達18号によって大蔵省の一部局である検査局を廃止して、太政官に直属する地位をもつ会計検査院を設置した[3]。太政官達18号を以下に引用する。
当時の参議兼大蔵卿・大隈重信は、検査局が大蔵省の下にあるままでは財政の監査が十分にできないとして会計検査院の創立を太政官に建議した[4]。大隈の建議を以下に引用する[5]。
1889年、大日本帝国憲法の下で会計検査院法が制定された[4]。会計検査院法第1条にて天皇直隷の機関であり、国務大臣の命令を受けない「特立ノ地位」が規定された[4]。会計検査院は統帥権を主張する軍部を批判できる希有な機関だった[4]。
主な任務と権限
- 国の収入支出の決算に対する会計検査(日本国憲法第90条・会計検査院法第20条第1項柱書)
- 会計経理の監督及び適正化(会計検査院法第20条第2項)
- 決算の確認
- 国の会計事務を処理する職員が故意又は重大な過失等により著しく国に損害を与えたと認める場合の懲戒の処分の要求(会計検査院法第31条)
- 賠償責任の検定(会計検査院法第32条)
・検定により賠償責任があるとされた場合、この責任は国会の議決に基かなければ減免されない(会計検査院法第32条第4項)。なお、有責検定(賠償責任の存在を認める内容の検定)に不服がある場合、当然に取消訴訟の対象となると解されているため[1]、この減免規定は「有責検定および各本属長官等が発する具体的な弁償命令が確定した後は、国会の議決に基かなければ減免されない」旨を定めていると理解されている。
検査の範囲
- 会計検査院法第22条において、会計検査院の検査を必要とすると定められているもの(必要的検査対象)
- 国の毎月の収入支出
- 国の所有する現金及び物品並びに国有財産の受払
- 国の債権の得喪又は国債その他の債務の増減
- 日本銀行が国のために取り扱う現金、貴金属及び有価証券の受払
- 国が資本金の2分の1以上を出資している法人の会計
- 法律により特に会計検査院の検査に付するものと定められた会計[注 2]
- 会計検査院法第23条において、会計検査院が検査をすることができると定められているもの(選択的検査対象)
- 国の所有又は保管する有価証券又は国の保管する現金及び物品
- 国以外のものが国のために取り扱う現金、物品又は有価証券の受払
- 国が直接又は間接に補助金、奨励金、助成金等を交付し又は貸付金、損失補償等の財政援助を与えているものの会計
- 国が資本金の一部を出資しているものの会計
- 国が資本金を出資したものが更に出資しているものの会計
- 国が借入金の元金又は利子の支払を保証しているものの会計
- 国若しくは国が資本金の2分の1以上を出資している法人の工事その他の役務の請負人若しくは事務若しくは業務等の受託者又は物品の納入者のその契約に関する会計
問題点
会計検査院による検査では、質的・費用的な重要性の概念が乏しいため、数千億円の過大支出も、数百万円の政策効果の乏しい支出も、同様に扱われて、検査資源が投入されており、検査方針が国民視点から乖離し、また、事務コストの増大が検査現場に過度な負担をかけているとの批判がある。2011年には、内閣府に設置された行政刷新会議公共サービス改革分科会において、こうした問題点が民間委員から指摘されたが、会計検査院は、検査対象である機関が会計検査院の検査に意見することは慎重であるべきだとして、批判を封じ込めたといわれており、憲法上に規定された独立性により、会計検査院自身に対しては、政府機関としてのチェックアンドバランス機能が働きづらい状況となっている。[6]
組織
検査官会議
検査官3人で構成。検査官は両議院の同意を得て内閣が任命する。また、検査官は認証官とされその任免は天皇から認証される。検査官の1人は会計検査院長となる。
事務総局
- 事務総長(正式表記は「会計検査院事務総長」。「事務総局」は含まない)
- 事務総局次長(「事務次長」ではない。官房を実質的に統括する)
- 官房(正式表記は「会計検査院事務総長官房」。「事務総局」は含まない)
- 総務課、人事課、調査課、会計課、法規課
- 第一局(正式表記は「会計検査院事務総局第一局」。他の局も同様)
- 財務検査第1・第2課、司法検査課、総務検査課、外務検査課、租税検査第1・第2課
- 担当:国会、会計検査院、内閣、人事院、内閣府、総務省、法務省、外務省、財務省、国家公安委員会、裁判所、日本銀行など
- 財務検査第1・第2課、司法検査課、総務検査課、外務検査課、租税検査第1・第2課
- 第二局
- 厚生労働検査第1~第4課、防衛検査第1~第3課
- 担当:厚生労働省、防衛省など
- 厚生労働検査第1~第4課、防衛検査第1~第3課
- 第三局
- 国土交通検査第1~第5課、環境検査課、上席調査官(道路担当)
- 担当:国土交通省、環境省など
- 国土交通検査第1~第5課、環境検査課、上席調査官(道路担当)
- 第四局
- 文部科学検査課第1・第2課、上席調査官(文部科学担当)、農林水産検査第1~第4課
- 担当:文部科学省、農林水産省など
- 文部科学検査課第1・第2課、上席調査官(文部科学担当)、農林水産検査第1~第4課
- 第五局
- 情報通信検査課、経済産業検査第1・第2課、特別検査課、上席調査官(情報通信担当、融資機関担当、郵政担当、特別検査担当)
- 担当:総務省(情報通信関係部局)、経済産業省など
- 特別検査課と上席調査官(特別検査担当)は国会法第105条に基づく各議院又は各議院の委員会に要請による特定事項についての会計検査・事務総長から会計経理に関する事項として特に命ぜられた事項の検査を担当している。
- 情報通信検査課、経済産業検査第1・第2課、特別検査課、上席調査官(情報通信担当、融資機関担当、郵政担当、特別検査担当)
- 官房(正式表記は「会計検査院事務総長官房」。「事務総局」は含まない)
- 会計検査院情報公開・個人情報保護審査会
歴代会計検査院長
大日本帝国憲法下
代 | 氏名 | 在任期間 | 主要な役職 |
---|---|---|---|
心得 | 安藤就高 | 1880年3月10日 - 1881年5月28日 | 大蔵少丞、 会計検査院副長 |
1 | 山口尚芳 | 1881年5月28日 - 1881年10月21日 | 元老院議官、 貴族院議員 |
2 | 岩村通俊 | 1881年10月21日 - 1884年5月7日 | 北海道庁長官、 農商務大臣 |
3 | 渡邊昇 | 1884年5月7日 - 1898年12月20日 | 大阪府知事、 元老院議官、 貴族院議員 |
兼務 | 田中光顕 | 1887年5月14日 - 1888年12月3日 | 内閣書記官長、 宮内大臣 |
4 | 山田信道 | 1898年12月22日 - 1900年3月12日 | 農商務大臣 |
5 | 内海忠勝 | 1900年3月19日 - 1901年6月2日 | 内務大臣、 貴族院議員 |
6 | 田尻稲次郎 | 1901年6月5日 - 1918年2月25日 | 大蔵次官、 東京市長 |
7 | 中隈敬蔵 | 1918年2月25日 - 1924年3月21日 | 会計検査院部長 |
8 | 水町袈裟六 | 1924年3月27日 - 1929年11月22日 | 大蔵次官、 日本銀行副総裁 |
9 | 湯浅倉平 | 1929年11月22日 - 1933年2月15日 | 内大臣、 貴族院議員 |
10 | 河野秀男 | 1933年2月15日 - 1938年2月16日 | 会計検査院部長、 貴族院議員 |
11 | 岡今朝雄 | 1938年2月16日 - 1941年10月15日 | 会計検査院部長 |
12 | 河本文一 | 1941年10月24日 - 1946年6月10日 | 枢密顧問官 |
13 | 荒井誠一郎 | 1946年6月26日 - 1947年8月26日 | 大蔵省専売局長官、 日本興業銀行副総裁 |
日本国憲法施行後
- 現行の会計検査院法に基づき在任した者について記載。なお、荒井誠一郎は大日本帝国憲法下の(旧)会計検査院法に基づき任命された者であり、日本国憲法下では新たに任命辞令を受けることなく(新)会計検査院法附則第5条第1項の経過措置により在任していたことから代数は「0」とし、後任の佐藤基から代数開始とする。
- 再任は個別の代として記載。
- 退任日に付した(願)は任期途中の依願退任、(亡)は死亡、(定)は検査官としての定年退官に伴う院長自然退任、(他)は経過措置に基づく自動的退任。付していないものは検査官としての任期満了に伴う院長自然退任。
- 院長への就任は検査官に任命された者の互選で決まり、また理論上は院長を退いて引き続き一検査官としてとどまることも可能であるため、認証官たる検査官としての任命日・免(退)官日と内閣の辞令による院長就任日・退任日は必ずしも一致しない。下表では院長としての就任日・退任日を記載する。
- 空席期間又は院長の海外出張時においては、院長でない検査官の1人が「会計検査院長職務代行」として職務を遂行する。代行就任の順序に関する規定は1947年5月3日から2006年1月30日までは「先任の検査官」が、2006年1月30日以降は「あらかじめ官報で公示した検査官」がそれぞれ優先となっている。
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身母体等での主要な役職 |
---|---|---|---|
0 | 荒井誠一郎 | 1946年6月26日 - 1947年8月26日(他)[注 3] | 大蔵省専売局長官、 日本興業銀行副総裁 |
1 | 佐藤基 | 1947年8月26日 - 1954年8月22日 | 法制局第一部長、 特許標準局長官、 新潟県知事 |
2 | 東谷傳次郎 | 1954年8月27日 - 1957年8月22日 | 会計検査院事務総長 |
3 | 加藤進 | 1957年8月27日 - 1959年8月31日 | 宮内次官、 宮内府次長 |
4 | 山田義見 | 1959年9月25日 - 1961年8月24日 | 大蔵次官、 日本勧業銀行副総裁 |
5 | 芥川治 | 1961年10月17日 - 1964年8月22日 | 参議院事務総長 |
6 | 小峰保榮 | 1964年8月25日 - 1966年9月21日 | 会計検査院事務総長 |
7 | 塚越虎男 | 1966年10月4日 - 1967年5月21日(定) | 大蔵省名古屋財務局長、 宮内庁皇室経済主管 |
8 | 山﨑高 | 1967年7月18日 - 1971年8月23日 | 衆議院事務総長 |
9 | 白木康進 | 1971年10月26日 - 1973年9月29日 | 会計検査院事務総長 |
10 | 白石正雄 | 1973年12月1日 - 1975年10月15日 | 大蔵省国有財産局長 |
11 | 佐藤三郎 | 1975年11月25日 - 1978年10月21日 | 会計検査院事務総長 |
12 | 知野虎雄 | 1978年10月24日 - 1980年11月29日 | 衆議院事務総長 |
13 | 大村筆雄 | 1980年12月2日 - 1982年11月20日 | 大蔵省国有財産局長 |
14 | 鎌田英夫 | 1982年11月24日 - 1985年10月22日 | 会計検査院事務総長 |
15 | 大久保孟 | 1985年10月25日 - 1987年3月29日(定) | 衆議院事務総長 |
16 | 辻敬一 | 1987年4月3日 - 1989年4月10日(願) | 行政管理事務次官(大蔵省出身) |
17 | 中村清 | 1989年4月11日 - 1992年10月23日 | 会計検査院事務総長 |
18 | 中島隆 | 1992年10月30日 - 1994年4月4日(定) | 衆議院事務次長 |
19 | 矢﨑新二 | 1994年4月12日 - 1996年9月27日(定) | 防衛事務次官(大蔵省出身) |
20 | 疋田周朗 | 1997年2月18日 - 1999年10月26日 | 会計検査院事務総長 |
21 | 金子晃 | 1999年12月7日 - 2001年12月4日 | 慶應義塾大学教授 |
22 | 2001年12月7日 - 2002年7月30日(定) | ||
23 | 杉浦力 | 2002年8月2日 - 2004年2月16日 | 総務事務次官(総理府出身) |
24 | 森下伸昭 | 2004年2月20日 - 2006年1月20日(定) | 会計検査院事務総長 |
25 | 大塚宗春 | 2006年1月27日 - 2008年2月8日(定) | 早稲田大学教授 |
26 | 伏屋和彦 | 2008年2月15日 - 2009年1月25日(定) | 国税庁長官 |
27 | 西村正紀 | 2009年4月6日 - 2011年2月16日 | 総務事務次官(行政管理庁出身) |
28 | 重松博之 | 2011年2月25日 - 2012年11月24日[注 4](定) | 会計検査院事務総長 |
29 | 山浦久司 | 2013年3月11日 - 2013年5月10日(定) | 明治大学教授 |
30 | 河戸光彦 | 2013年8月8日 - | 会計検査院事務総長 |
脚注
参考文献
- 西川伸一 『この国の政治を変える会計検査院の潜在力』 五月書房、2003年7月。ISBN 978-4772703932。
- 大内兵衛・土屋喬雄編『明治前期財政経済史料集成 第十七巻ノ二 会計検査院史』 明治文献資料刊行会、1964年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
関連項目
- 主な出身者
- 会計検査院が登場する作品
- 「プリンセス・トヨトミ」(小説、映画)
- 作中に出てくる「会計検査院 第六局」は実在しない(実際は第五局まで)。
- 「黄金の豚-会計検査庁 特別調査課-」(日本テレビ)
- 主人公の勤務先である「会計検査庁 特別調査課」は、会計検査院がモデルになっている。
外部リンク
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タグがありますが、対応する <references group="注"/>
タグが見つからない、または閉じる </ref>
タグがありません- ↑ 西川 (2003) 、146頁(第4章『会計検査院とはいかなる役所か』、2『会計検査院のしくみ』、『「特立ノ地位ヲ有ス」官庁』)。
- ↑ 西川 (2003) 、146頁(第4章2『「特立ノ地位ヲ有ス」官庁』)。さらに、本書は以下を出典としている。宮川公男『会計検査研究』「会計検査院への期待の高まりに寄せて」第二一号(2000年) 5頁。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 西川 (2003) 、144頁(第4章2『「特立ノ地位ヲ有ス」官庁』)。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 西川 (2003) 、145頁(第4章2『「特立ノ地位ヲ有ス」官庁』)。
- ↑ 大内・土屋 (1964)、511頁。
- ↑ テンプレート:Cite news