新津運輸区
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新津運輸区(にいつうんゆく)は、新潟県新潟市秋葉区の新津駅構内にある東日本旅客鉄道(JR東日本)新潟支社の車両基地。また、運転士・車掌も所属している。
所属車両の車体に記される略号
なお、「ばんえつ物語」関連列車に充当される機関車の区名札は、所属機であるC57 180だけでなく、借入車の場合も「新」を使用する[1]。
車両部門
配置車両
C57形蒸気機関車のほか、新潟支社管内の気動車を一手に引き受けている。なお、電車や客車などは新潟車両センターの配置となっている。2013年4月1日現在の配置車両は次のとおり[2]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
0両 | 67両 | 1両 | 0両 | 0両 | 68両 |
気動車
羽越本線(新津 - 酒田)、白新線、米坂線、信越本線(新潟 - 新津)、磐越西線(新津 - 会津若松)で運用される。ただし、米坂線ではキハ110系・キハE120形のみ運用される。
- キハ40形気動車(10両)
- 500番台11両が配置されている。うち1両が国鉄急行色ふう塗装(元首都圏色)、5両が新潟色である。
- キハ47形気動車(26両)
- 0番台1両、500番台12両、1000番台2両、1500番台11両が配置されている。うち、2両は旧国鉄色、6両は新潟色である。
- キハ48形気動車(1両)
- 国鉄急行色ふう塗装の500番台1両が配置されている。
- キハ110形気動車(16両)
- 100番台1両、200番台15両が配置されている。
- キハ111形・キハ112形気動車(6両)
- 200番台2両編成3本が配置されている。
- キハE120形気動車 (8両)
- 8両が配置されている。上記のキハ110形と共通運用されており、同形との併結も行われている。
機関車
過去の配置車両
- キハ58形・キハ28形気動車
- 2010年1月末までに最後まで配置されていた3両すべてが廃車となった。キハ28・58形2両は旧国鉄色(2003年9月塗り替え、それ以前は新潟色)で、キハ58形1両は新潟色であった。臨時列車や団体列車などに使用されたが、全車解体された。
- D51
- 蒸気機関車の現役時代には、日本海縦貫線(羽越本線・白新線・信越本線の"海線"区間)や磐越西線(の新津 - 会津若松間)の主力機関車として、旧・新津機関区にも数多くのD51が配置されていた。このうち、JR東日本の動態保存機であるD51 498号機も、現役時代の晩年(1966年から1972年まで)は新津機関区に配置されていた[3]。また、新発田市の東公園で静態保存されているD51 512号機は、1940年に鉄道省大宮工場で新製された後、11月に新津機関区に新製配置され、以後、羽越本線の電化完成に伴う1972年10月のダイヤ改正で廃車となるまでの32年間、一貫して新津機関区の配置であった。なお、この512号機は、新津機関区に初めて配置されたD51の1両でもある。
運輸部門
車掌・運転士ともに、おもに新津駅を発着する列車に乗務している。
蒸気機関車の機関士・機関助士は、新潟支社管内蒸気機関車牽引列車(SL列車)運転の際には乗務範囲外でも乗務する(ただし、あらかじめ訓練運転を行うほか、当該区間を担当している運輸区の運転士が添乗し路線指導を行う)。
なお、以前は、運転士が所属していた「新津運輸区坂町派出所」(旧・坂町機関区)があったが、1999年12月改正で廃止された。ただし新潟・新津 - 村上間で蒸気機関車が牽引する臨時列車が運行される関係などから、転車台のみ存続している。
その他
構内には転車台があり、普段から蒸気機関車や気動車の方向転換に使用されている。
沿革
- 1913年(大正2年)10月1日:新津機関庫設置。
- 1981年(昭和56年)12月25日:新津車掌区廃止。[4]
- 1987年(昭和62年)4月1日:東日本旅客鉄道に継承。
- 1987年(昭和62年)4月1日:新津機関区が新津運転区に改称。
- 1991年(平成3年)11月:新潟運転所より気動車検修部門が移転し新津運転所となる。
- 1997年(平成9年)2月:新潟車掌区より車掌行路移管を受け新津運輸区となる。