高麗神社

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高麗神社 (こまじんじゃ)は埼玉県日高市に鎮座する神社旧社格は県社。

概要

現在の埼玉県日高市の一部および飯能市の一部にあたる高麗郷および上総郷は716年武蔵国高麗郡が設置された地である。中世以降、郡域が拡大し、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。668年新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている(新編『埼玉県史』)。

高麗神社はこの高麗若光を祭っている。神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていた。また、高麗大宮大明神大宮大明神白髭大明神と称されていた社号は、明治以降は高麗神社と称されるようになった。境内隣接地には江戸時代に建てられた高麗家住宅がある。

入口付近の敷地には、将軍標(しょうぐんひょう・ジャングンピョ)がある。1992年に在日本大韓民国民団埼玉県地方本部によって木製のものが奉納されたが事故で破損し腐食したため、2005年になって現在の花崗岩で制作されたものが民団中央により寄贈された。将軍標は西武池袋線高麗駅の広場にも建てられている。高麗駅の将軍標は何度か再建されており、初めて立てられたのは高麗駅の方が早い。

また、大韓民国駐日大使なども参拝している。

交通

付近にはヒガンバナで有名な巾着田が市営公園として整備されている。

付近の見所

  • 高麗家住宅 - 埼玉県日高市大字新堀にある。高麗神社の社家・高麗家の住居として建てられた。入母屋造、茅葺屋根で、山を背に、東を正面として建てられている。江戸時代初期を代表する民家として、1971年(昭和46年)6月、国の重要文化財に指定された。

関連項目

外部リンク

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