今井雅之

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テンプレート:ActorActress 今井 雅之(いまい まさゆき、1961年4月21日-)は、日本俳優演出家である。兵庫県城崎郡日高町出身。身長178cm。空手道弐段、柔道初段。オスカープロモーション所属。

代表作は原作も手がけた演劇・映画『THE WINDS OF GOD』、出身地で撮影し、初監督した『SUPPINぶるうす ザ・ムービー』など。

来歴・人物

幼いころから映画洋画)・テレビドラマが好きだった。特に千葉真一の熱狂的なファンで[1][2]、テレビドラマ『キイハンター』に影響され、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶときには千葉に扮していた。

兵庫県立豊岡高等学校卒業後、俳優になろうと志すが、自衛官の父に俳優になりたいのであれば自活するよういわれ、1980年4月陸上自衛隊一般曹候補学生で入隊。同年12月滋賀県今津町第3師団第3戦車大隊今津駐屯地)に配属。上官に俳優になりたいため辞めたい旨を告げ、「自衛隊は俳優養成所ではないぞ」と叱られる。1981年9月、陸士長で自己都合退職。

1986年3月法政大学文学部英文学科卒業。1986年奈良橋陽子演出『MONKEY』にて演劇デビュー。映画『静かな生活』のストーカー役で1996年日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。当初奈良橋の主宰するUPSに所属していたが、『THE WINDS OF GOD』のニューヨークオフ・ブロードウェイ公演が頓挫したことに端を発する事務所とのトラブルから独立。エル・カンパニーを立ち上げる。1998年幾多のトラブルに見舞われながらも、オフ・オフ・ブロードウェイで公演、成功を収める。

2005年3月9日の『愛のエプロン 男祭り大会』で中エプにランキングされるなど、料理が得意。売れない時代に、「ラ・ボエム」の1号店(原宿店)に7年間勤める。自衛官時代の癖で大声で客の注文を復唱し店長の顰蹙を買い調理に回されるテンプレート:要出典

このほか岩波書店から『若いぼくらにできること-体験的教育論』(1997年、ISBN 4005002870)など複数の著作があり、最近では日本文化チャンネル桜賛同人になったり、神社本庁日本会議、靖国会館などでの講演会で特攻隊を「武士道精神に溢れる」と語るなど、保守派右派文化人としての側面も見せるともに、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦への意志も強い。

人物

  • 大学受験時、入学した法政大学の他、青山学院大学文学部にも合格したが、当時読売ジャイアンツの江川卓のファンだったこともあり、江川の出身校でもある法政大学を選択したが、入学して男子学生のあまりの多さに、当時の今井に華やかなキャンパスライフに映った青学を蹴って入学したことを後悔したこともあったという[3]
  • 大学生の時、自分の限界を知るために、様々な挑戦を行った。なお、テントや寝袋を持たず、全て野宿である。
    • 東京~大阪間のマラソン
      • 1982年の12月に東京~大阪間のマラソンを行った。冬もかかわらず、野宿をした。一週間で完走することを目標にしていたが10日かかった。長時間、連日走っていたため、途中で足を痛めてしまったが、自衛隊時代の上司に「もし足が壊れたらどうやって治すか。走れば治る!」と言っていたのを思い出し、止まらず走ってみると、走っている最中だけではあるが本当に痛みが収まったという。
    • 奥多摩でサバイバル
      • 東京~大阪間のマラソンの約半年後、奥多摩の山で塩とナイフだけで、一週間の野宿を行った。梅雨の時期ということもあり、食料が全くなかったため、木の根、蜘蛛、蟻、カエルを食べた。それだけでは当然空腹を満たすことは出来ず、あまりの空腹のため何度も腹痛が起こり、痛みに耐えられなくなり気絶した。ハイキングコースを歩いていた時、弁当が捨ててあったのを拾って食べた。その弁当のご飯はネバネバしていてカビも生えていたが、感動するほど美味しく、特に海老の天ぷらの尻尾は「この世にこんなうまいものがあるのか。」と思った。このサバイバルで、まともな物を毎日食べられるありがたさを身を持って知った。ちなみに、入山前に70kgあった体重は下山後58kgまで落ちたが、すぐに元の体重に戻った。
    • 真冬の北海道縦断
      • それから3年後、自分の寒さに対する限界を知るために、2月の北海道で稚内~函館を徒歩で横断することに挑戦した。4~5日不眠不休で歩き、吹雪に襲われることも多かった。途中で意識を失って行き倒れになったところを警察に助けられた。その後、何度も意識を失い幻覚を見ながらも函館に辿りつけた。最終的に10日かかった。
    • 真夏の本州縦断マラソン
      • その年の8月、青森~北九州(関門トンネルを抜けるまで)の本州縦断マラソンに挑戦した。この年は記録的な猛暑だったが、北海道の時のように、倒れても凍死することはないため気持ちは楽だったという。

出演

演劇

映画

ほか多数

テレビドラマ

オリジナルビデオ

テレビCM

バラエティ

  • 中居くん温泉1997年、読売テレビ) - メイン司会の中居正広とテレビ朝日のテレビドラマ「味いちもんめ」以来の久々の共演。中居の演技を絶賛し、「味 - 」撮影時に中居とつかみ合いのシーンの終了後、撮影終了しているにもかかわらず、すぐに手を離すことができずしばらくにらみ合ってしまい、ADが仲裁に入った等の話で盛り上がっていた。撮影現場の雰囲気はとてもよく、「パート157までいってほしい」と「味いちもんめ」を絶賛している[1]
  • 英語でしゃべらナイト(NHK) - 自慢の英語で、映画『ターミナル』公開時に来日していたトム・ハンクスにインタビューをした。その際、「あなたの英語は素晴らしい」と褒められる。その後、スタジオにも出演。
  • ニッポン・ダンディTOKYO MX) - 木曜ダンディ
  • バラいろダンディ(TOKYO MX) - 木曜ダンディ

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:オスカープロモーション

テンプレート:キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞
  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. http://journal.ocn.ne.jp/people/vol35/people04.html