六甲トンネル
テンプレート:Infobox tunnel 六甲トンネル(ろっこうトンネル)は、兵庫県の六甲山を貫く山陽新幹線の新大阪駅 - 新神戸駅間にあるトンネルの名称。1970年10月2日貫通。1972年3月15日より供用開始。長さ16,250m。山陽新幹線の西の発着駅が岡山までの暫定開業期間当時には日本一の長さであった。
概要
トンネル区間は西宮市上甲東園四丁目 - 神戸市中央区熊内町七丁目までであり神戸側出入り口は新神戸駅に面している。
並行する東海道本線(JR神戸線)沿線地域は古くから住宅密集地帯であり、騒音公害や用地買収のコストの問題もあって、当トンネルが掘削された。尚、ルートに関しては六甲山の北側を貫くルートなども検討されたが、神戸市中心部を外れることもあって現在のルートになったとされる。
六甲山には大小の断層破砕帯が縦横に走っていることから、地質を調べるため数多くのパイロットトンネル(先進導坑)が掘られた。実際にこの六甲トンネル掘削は大変な難工事となり、工事中は何度も地下水の噴き出しや崩落などに見舞われた他、54名もの犠牲を払うこととなった。
2010年3月から、トンネル内でも携帯電話が使用可能となった。元々トンネルが多く電波の通じない箇所が多かった山陽新幹線において、電波状況を改善するため、その対策として工事が行われたものである。新大阪駅から姫路駅までの間、連続して携帯電話の通話を可能とするもので、六甲トンネル含めて6つのトンネルが対象となる。対象となる携帯電話会社はNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイル、イー・モバイルの4社[1]。なお現在は、姫路駅から先のトンネルでも順次使用可能となるよう工事を進めていっており、2013年内には広島駅までのトンネルで使用可能となる。
- 鶴甲斜坑
現在、JR西日本の管理する新幹線変電所のある付近の神戸市灘区鶴甲団地の東側に坑口が1967年(昭和42年)8月に設けられた。長さは447mの斜坑。工事開始後5ヵ月が経過した1968年(昭和43年)1月26日、掘削275メートル地点で破砕帯と遭遇。大量の土砂噴出が発生し毎分100リットルの出水が起こった。さらに切端上部からは毎分4トンの大量出水と土砂とともに噴きだし、坑内も水没。トンネル作業員は腰まで浸かり泥水の中を泳ぐようにして避難したという。この後も再三の出水にもみまわれたが薬液注入などにより地盤を補強し、安定させた上で軟弱地盤に対しての工事を進めたが、斜坑部分のこの447m だけで貫通までに約13か月間を費やし、その後本坑工事に着手した。
- 芦屋斜坑
1968年(昭和43年)3月24日、芦屋市芦屋川上流の荒地山近くにある坑口から300メートル程度のところを掘削中に断層にあたり、高圧の湧水帯で大量のヘドロ状の出水が発生した。断層破砕帯であり調査坑や多くの水抜き抗を設けて対応するが1969年(昭和44年)1月24日に同断層を突破するまで約10か月間を要した。六甲山特有の軟質の花崗岩(マサと呼ばれた花崗岩が風化した真砂土)と破砕帯に大量の出水が重なり、大変な難工事の箇所でもあった。
このほか、西宮市では西宮側トンネル出入り口、上ヶ原横坑、甲陽竪坑(甲陽作業坑)や北山斜坑。神戸市では摩耶斜坑、春日野斜坑と神戸側出入り口など、複数場所からの掘削工事により完成・竣工に至った。
地質調査などの調査坑や迂回坑、水抜きの為などの放射線状の多数のボーリング孔など、このような本坑を大きく上回る長さの多種の掘削方法や工法で掘削された同トンネルは、山陽新幹線工事誌(1972年)によると六甲方式というトンネル施工方法と命名されており、当時の最新技術を持ってしても大変な難工事であった証ともいえる。現在、工事で使われていた斜坑などは一部を除き閉口されている。
山陽新幹線記念公園
トンネル入口(西宮市側)の真上には六甲トンネル貫通と山陽新幹線の開業を記念して、公園(山陽新幹線記念公園)が造られている。ここにはトンネル工事中の犠牲者の氏名を記した慰霊碑が建てられている。
金網越しからは阪神平野を一望でき、また高速でトンネルに出入りする新幹線列車を間近で見ることが出来る。
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山陽新幹線記念公園。この反対側も公園。
- San-yo-shinkansen memorialpark (2).JPG
公園内にある慰霊碑。この先の金網越しに阪神平野が一望できる。