大月隆寛
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テンプレート:存命人物の出典明記 大月 隆寛 (おおつき たかひろ、1959年3月5日 - ) は、日本の民俗学者。札幌国際大学教授。「おおつき りゅうかん」と呼ぶ者もある。自称“暴力デブ太郎”。魚座のA型。東京都武蔵野市出身、兵庫県育ち。
活動
競馬評論や民衆文化、文学成立の時代習俗などをテーマに異色のフィールドワークを展開する。既存の民俗学には非常に批判的である。また、ジャン・ハロルド・ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』を翻訳することで、「都市伝説」の概念を日本に紹介した。
浅羽通明と共に、呉智英の思想的影響を受けている。1980年代後半から1990年代前半は特に浅羽と親密で、共に大塚英志の「擬似民俗学的評論」を批判するなどしていた。そのため、宅八郎から「ジャイアンとスネオ」と評されたテンプレート:要出典。
漫画にも詳しく、『BSマンガ夜話』の司会を務める。ネット上のゴシップメールマガジン「サイバッチインデプス」の編集長、産経新聞朝刊文化面掲載コラム『断』の執筆者のひとりでもある。『諸君!』のインターネットについての連載「麹町電網(インターネット)測候所」の筆者説もあるテンプレート:要出典。
また、地方競馬の馬主でもあり、高知競馬場などに所有馬が出走している。家畜商。
エピソード・人物像
- 阪神競馬場が自宅の近所にあったため、小学生時代から競馬好きとなった[1]。
- 2000年8月30日に2ちゃんねるの競馬板に立てられた、当時種牡馬のグルメフロンティアが地方競馬で現役復帰するという内容のネタスレッド[2]を真に受けて、『週刊Gallop』の連載コラム内で「風の噂」として発表したため、2ちゃんねるで話題となった。なお、大月自身は2ちゃんねるに対して一定の評価をしている。
- 落語、浪曲好きであるためか、江戸っ子風の言い回しを多用した文体を使うが関西育ちである。
- 父親は早稲田大学・八幡製鉄所のラグビー選手であり、その影響もあり高校時代はラグビー部に所属していた[1]。
- かなり好悪の激しい人物であり、しばしば露悪的な表現(近年では2ちゃんねる語など)をも用いるため、記述の内容以前に文体に対しての拒絶的な反応も少なくないテンプレート:要出典。大月と対談した富野由悠季はその人物像について、「話をすれば、毒舌で率直すぎる指摘があり、原稿にむかえば浅薄な馬鹿事への怒りが先行して、氏の見識を吹き飛ばす。それではアカデミズム・オブリージ(学識ある者の義務)を果たせない。愚民としてはもったいないと痛感した」と述べている。(『教えてください。富野です』より)
- 国立歴史民俗博物館の助教授をしていたが、1997年3月に辞職。職場に呼んでくれた人との軋轢が原因だと語っている[3]。
- 「新しい歴史教科書をつくる会」には創会時に小林よしのりへの共感から入会し、1998年2月には2代目の事務局長になったが、その翌年、会長の西尾幹二から解任される。神経症が原因での活動休止を経て療養した直後の脱退(除名勧告)であった。『あたしの民主主義』によれば、大月は「つくる会」の活動が完全な右寄りになることを問題視しており、「つくる会」のシンポジウムにおいて「と学会からトンデモ史研究者を呼ぶ」「イベントとして餅まきを行う」など、会側のイデオロギーからずれた活動を続けたことが問題視されたようである。この頃の大月は、前述の病気や脱会、さらには離婚など不運続きであり、当時対談の連載を行なっていた相手のナンシー関から「めくるめく不幸を呼び寄せる男」と命名されている。
- 久しぶりの論考集『全身民俗学者』は新曜社から刊行予定であったが、その直前に『諸君!』で小熊英二らの顔を揶揄する文章を書いたため、小熊の主著を刊行している新曜社からの刊行を断られたテンプレート:要出典。
- 『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団と元フランス外人部隊脱走兵(毛利元貞)が指導することが売りの傭兵訓練に、当時宝島の編集者であった町山智浩と共に参加している。
略歴
学歴
職歴
- 1984年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員(1985年まで)
- 1985年 成城大学民俗学研究所研究員(1987年まで)
- 1987年 財団法人民族学振興会研究員(1988年まで)
- 1986年 国立歴史民俗博物館共同研究員(1989年まで)
- 1989年 東京外国語大学外国語学部日本語学科助手
- 1990年 和光大学人文学部非常勤講師
- 1991年 法政大学第一教養部非常勤講師
- 1993年10月 国立歴史民俗博物館民俗研究部社会伝承第一部門助教授 和光大学非常勤終了 東京外国語大学外国語学部非常勤講師
- 1994年 東京大学教養学部非常勤講師 法政大学非常勤終了
- 1995年 東京外語大非常勤終了
- 1996年 東大教養学部・和光大学非常勤終了 聖心女子大学文学部非常勤講師
- 1997年 3月、国立歴史民俗博物館退職 4月、国際日本文化研究センター客員助教授(2000年3月まで)
- 1998年 聖心女子大非常勤終了
- 2007年 札幌国際大学人文学部教授
同級生
早稲田大学の法学部時代の同級生に浅羽通明がいる。80年代末~90年代初期にかけては非常に親密であった。
当時は、彼とともに、著書『少女民俗学』などの著者大塚英志を批判し、大月は大塚が講師をしているカルチャー・スクールに乱入し、大塚に水をかけたことがある。また、1989年には浅羽とともに、異端の民俗学者・赤松啓介を招いてシンポジウムを開催した。
著書
単著
- 厩舎物語 日本エディタースクール出版部 1990年 のちちくま文庫
- 民俗学という不幸 青弓社 1992年 ISBN 4787230514
- 瓦礫の活字を踏みならし—乱調、このニッポンの歩き方 図書新聞 1994年
- 無法松の影 毎日新聞社 1995年 のち文春文庫
- 自分を知るための論争術 洋泉社 1995年
- 大月隆寛の無茶修行 毎日新聞社 1996年
- もの書きがTVに出るということ NHK「ナイト・ジャーナル」をくぐりぬけて 新紀元社 1998.2
- 大月隆寛の大問答! 時事通信社 1998.3
- 歴史の消息について <いま・ここ>からの「歴史」を考える 洋泉社 1999.5
- 不愉快な物言い みうらじゅん絵 毎日新聞社 1999.3
- たてがみ三度笠 読売新聞社 1999.5
- あたしの民主主義 毎日新聞社 2000年
- 独立書評愚連隊 天の巻・地の巻 国書刊行会 2001年
- 田口ランディ その盗作=万引きの研究 鹿砦社 2002年
- うまやもん―変わりゆくニッポン競馬の現場 現代書館 2004年
- 全身民俗学者 夏目書房 2004年 ISBN 4860620283
共著
- 地獄で仏 ナンシー関対談 文藝春秋 1996.5 のち文庫
- ポケモンの魔力 子どもたちを魅了した「ポケモン」とは何か ポケモン事件緊急取材班共編著 毎日新聞社 1998.3
- 完全無敵の老人学 和田秀樹 講談社 2001.8
翻訳
- ジャン・ハロルド・ブルンヴァン『消えるヒッチハイカー』(共訳)新宿書房 1988年 ISBN 4880081167
関連項目
脚注
外部リンク
- king-biscuit works(個人ブログ)
- サイバッチ!(公式サイト)
- 【サイバッチ!】インデプス