朝からたいへん!つかちゃんでーす

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テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 朝からたいへん!つかちゃんでーす(あさからたいへんつかちゃんでーす)はかつてニッポン放送で放送された早朝ラジオ番組[1]パーソナリティは当時同局アナウンサーだった塚越孝

概要

朝一番のニュース天気予報交通情報などのほか、塚越自ら「オールナイトニッポン3部」と名乗っただけあって、若年層にも人気がありバラエティに富んだ構成であった。

番組冒頭では「○月○日○曜日の朝がやって参りました、さあ、新しい1日のスタートです[2]。ニッポン放送、午前五時![3] 『朝からたいへん!つかちゃんでーす』」と、塚越が言ってから、オープニングテーマが流れるパターンであった。

7年間に亘って放送されたこの番組は塚越の出世番組となり終了後、塚越は平日の午後ワイドを担当(1997年まで)。そして1998年4月からは再び早朝の時間帯に復帰。「塚越孝の土曜ニュースアドベンチャー」で土曜日の同時間帯を担当し、その後も2004年9月から平日の5:00 - 6:00の時間帯に「塚越孝 朝刊フジ」を、2005年4月から土曜日の5:00 - 7:00の「塚越孝のおはよう有楽町」を担当した。

放送時期

1986年4月7日 - 1993年4月30日

放送時間

  • 1986年4月7日 - 1989年4月7日 5:00 - 7:00
  • 1989年4月10日 - 1993年4月30日 5:00 - 6:30

アシスタント

コーナー

  • つかちゃんのハガキのコーナー(「朝刊フジ」でも行った)
金曜のみ「つかちゃんのエッチなハガキのコーナー」

タイムテーブル(1989年3月以前)

  • 5:00 オープニング
  • 5:01 ニッポン放送ニュース
  • 5:05 今日の一番!知ってる歌謡曲
  • 5:15 無責任コメンテーター!男も読みたい週刊誌
  • 5:30 芸能人にヒマはない
  • 5:45 話題がいっぱい もぉーたいへん
  • 5:54 心のともしび
  • 6:00 ニッポン放送ニュース
  • 6:03 天気予報
  • 6:05 ウワサのトップシークレット
  • 6:15 つかちゃんのスター誕生
  • 6:25 スポーツ水戸黄門
  • 6:35 たいへんマン登場
  • 6:45 交通情報
  • 6:48 天気予報
  • 6:50 つかちゃんの聞かなきゃソング!ソング!クイズ
  • 6:56 エンディング
    三才ブックスラジオ新番組速報版」より。)

タイムテーブル(1989年9月頃)

  • 5:00 オープニング
  • 5:03 朝一番のニッポン放送ニュース
  • 5:07 天気予報
  • 5:10 お目覚め パジャマリクエスト
  • 5:17 つかちゃんの幸せ占い
  • 5:20 つかちゃんの朝刊ウォッチング
  • 5:27 つかちゃんのはがきのコーナー
  • 5:32 お起抜け一番 つかちゃんの目覚まし体操
  • 5:40 つかちゃんのティールーム
  • 5:50 心のともしび
  • 6:01 ニッポン放送ニュース
  • 6:05 ホカホカ情報コロッケ
  • 6:18 お出かけ前天気予報
  • 6:20 クイズ朝飯前
  • 6:26 エンディング
    (三才ブックス「ラジオ新番組速報版」1989年秋号より。)

タイムテーブル(1991年10月以降)

  • 5:00 オープニング
  • 5:03 朝一番のニッポン放送ニュース
  • 5:07 天気予報
  • 5:10 つかちゃんのリクエストで行こう
  • 5:20 つかちゃんの朝刊ウォッチング
  • 5:27 つかちゃんのはがきのコーナー
  • 5:32 リスナー投稿はがきのコーナー(「ナゾかけ中国人」など曜日別にコーナーが設けられている)
  • 5:40 つかちゃんのおいしい話
  • 5:50 心のともしび
  • 5:57 言葉の花束
  • 6:01 ニッポン放送ニュース
  • 6:05 ニュースとっておき
  • 6:15 お出かけ前天気予報
  • 6:18 朝一番のニッポン放送交通情報
  • 6:22 クイズ朝飯前
  • 6:26 エンディング
    (三才ブックス「ラジオ新番組速報版」1991年秋号より。)

番組にまつわるエピソード

  • スタジオを飛び出しての首都圏各地での公開生放送も多く行われ、早朝にも関わらず多くの人が会場に集まり、人気を示した。

また、ニッポン放送旧本社ビル3階にあった「ラジオハウス銀河」(銀河スタジオ)からも、しばしば聴取者を招き公開生放送を行っていた。

  • オールナイトニッポン』のリスナーからは「オールナイトニッポン・3部」と言われ、2部からそのまま聴いていたリスナーも多い[4]。また2部のパーソナリティーも、時折スタジオに登場し、トークに参加することもあった。
  • 1993年4月の最終回はニッポン放送本社3階の「ラジオハウス銀河」(銀河スタジオ)で行われ、番組終了の挨拶は号泣しながら締めたため、後番組の『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』を担当していた高嶋ひでたけから「番組の締めに泣いたりしちゃ駄目だ」と顰蹙を食らってしまった。
  • 1990年には番組内のラジオショッピングコーナー「早起きリビング」でタカラ人生ゲーム」の番組オリジナル版を共同開発し、番組限定で発売した。
  • 3時前にスタジオ入りするため、木曜日の『ビートたけしのオールナイトニッポン』の放送中に姿が見えると話題になることがあった。
  • 1992年10月頃から6:15のお出かけ前天気予報のBGMとして、『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』サウンドトラックの街のBGMが使用されるようになった。
  • クイズ朝飯前では1991年頃からシンキングタイムBGMが設けられ、1992年9月頃までは『アレックスキッド 天空魔城』のタイトル画面BGMが使用されていた。1992年10月頃からコーナー冒頭及び締めのBGMに、つかちゃん音頭のサビが使用されるようになった。
  • 通常はニッポン放送本社6階のレッドスカイスタジオ(第7スタジオ)から生放送されていたが、塚越が夏休みなど止むを得なく録音放送されていた時は、宿直アナや報道部宿直記者がニュースと天気予報を伝えることがあった。その時も、当日の放送が決して録音と告知されることはなかった。
  • 番組終了後、レッドスカイスタジオは入れ替わりに『玉置宏の笑顔でこんにちは』の生放送で玉置宏がスタジオ入りするため、両者が応援していた大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ談義に花を咲かせていた[5]
  • 番組立ち上げに先立ち、塚越が参考にしたのはMBSラジオで放送中の「ありがとう浜村淳です」で、フジテレビジョンに転籍後、CSフジアナスタジオまる生で語っていた。放送日は玉置宏の亡くなった翌日で、当時の番組オリジナルテレホンカードを用いて偲んでいた。
  • 1991年5月30日放送分は、平成3年度日本民間放送連盟賞東京地区審査 ラジオ生ワイド部門優秀賞受賞作品となっている。数々の名物番組を放送してきたニッポン放送だが、不思議と賞に縁がなく、生ワイド部門では初受賞であった。
  • 番組エンディングでは、「今日(金曜日は今週)もお聴きいただき、ありがとうございました」と述べ、リスナーを大切にしていた。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:前後番組 テンプレート:前後番組

  1. 新聞のラジオ番組欄では、「つかちゃんでーす」が「つかちゃんです」と記されるケースも多かったが、ニッポン放送が発行していた自社番組表に記されている番組名は、終始『朝からたいへん!つかちゃんでーす』となっている。
  2. 月曜日の場合は「新しい1週間」と言っていた。
  3. 以後、「○月○日の―ニッポン放送、午前五時!」のくだりは、「塚越孝の土曜ニュースアドベンチャー」、「塚越孝のおはよう有楽町」でも使用していた(ただし、左記の2番組は土曜日のみのため「新しい1日のスタートです」という部分は使用していない)。
  4. 月刊ラジオパラダイス 1989年3月号の読者コーナー「ラジパラリーダースクラブ」にもこれの内容の投稿がある。
  5. 『玉置宏の笑顔でこんにちは』と共同で1990年5月8日に当時のホエールズ応援企画『玉置宏と行くぞ!大洋 もうすでに優勝!?気分 30年のごぶさたでした応援団』が行われたことがある。月刊ラジオパラダイス1990年7月号「ラジパラタイムス」参照。