石原プロモーション
テンプレート:Infobox 株式会社石原プロモーション(いしはらプロモーション) は、日本の芸能事務所、制作プロダクションである。本社は東京都調布市に所在。
社名の由来は、設立者及び初代社長であった石原裕次郎の名字から付けられたもの。略称は「石原プロ」。
また、同社が制作していた「大都会 PARTIII」の『黒岩軍団』、「西部警察」シリーズの『大門軍団』にちなみ、所属タレントの集団は『石原軍団』(いしはらぐんだん)の愛称で広く親しまれている。
目次
概要
同社設立者の石原裕次郎は、もともと水の江瀧子と「石原商事」を経営していたが、1963年1月16日に石原の個人事務所(プライベートオフィス)として設立され、浅丘ルリ子などの日活の俳優が所属した。
1963年から1973年にかけて、「太平洋ひとりぼっち」、「黒部の太陽」、「栄光への5000キロ」など、石原主演映画を中心に多数の映画を製作した。1967年から1969年にかけては、黛ジュンの大活躍によって、一気に経営が潤った。しかし、「黒部の太陽」や「栄光への5000キロ」に代表される石原の主演映画の膨大な製作費に充てられ経営を圧迫、当時は映画産業の斜陽が深刻化していた頃で、「ある兵士の賭け」など興行的に失敗した作品が多く、それらの事由で会社存続が危ぶまれ8億円(当時)近い借金を背負ってしまった時期でもあった。
そんな苦しい状況に喘いでいた1972年、テレビへの過小評価から頑なに出演を拒否していた石原であったが、周囲の強い説得で嫌々ながらもテレビドラマ「太陽にほえろ!」(東宝・日本テレビ製作)に出演する事となる。放送開始された「太陽にほえろ!」は見事、高視聴率・高人気を獲得する事となり、そこでテレビが持つ影響力の大きさを身をもって体験したことがもとで、後に活動の軸足を映画からテレビに移していくこととなる。そして、会社の再建のため、また自分が愛してやまない映画をもう一度作りたいという理由で、自社でテレビ映画「大都会」「西部警察」シリーズを製作して高視聴率をたたき出し、10億円近くの借金を返済したのみならず30億円近くの資産を築き、見事再建を果たした。
また、会社存続が危ぶまれた当時、日活に所属しながらも石原を兄のように慕っていた渡哲也を皮切りに俳優が所属するようにもなり、彼らのマネジメントも手掛けるようになった。石原裕次郎亡き後は、副社長の渡が社長に昇任し、所属俳優の神田正輝・舘ひろしも共に取締役に就任し(それぞれ登記上は本名名義)、専務は「コマサ」こと小林正彦が石原の亡き前から長年にわたり務めていた(詳しくは本人の項を参照)。
しかし、2011年3月28日の株主総会で、石原まき子会長以外の取締役5人が退任。代表取締役社長であった渡哲也、取締役であった神田正輝と舘ひろしは、一俳優として石原プロに所属することとなった。また、専務取締役であった小林正彦は、業界から引退することとなった[1]。なお、現在の所属タレントや社員は同年6月30日付で全員一旦退職した上で、翌7月1日付で一部社員が再雇用される形になる[2][3]。
名物の炊き出し
石原プロは撮影用の車やバイクなどのほかに、餅つき機や3000人分の炊飯ができる炊事器などを所有しており、石原プロ関係のイベントで炊き出しをするのが恒例となっている。小林正彦が自ら調理して所属俳優が料理を配るのも人気の一つであり、カレー、赤飯、豚汁、おはぎ、雑煮など種類も豊富である。現在は「炊き出しカレー」が市販されている。
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、被災地の兵庫県芦屋市で渡の弟である渡瀬恒彦と共に焼きそばの炊き出しを行った。
2006年4月12日放映の『愛のエプロン3時間スペシャル』(テレビ朝日)では、渡をはじめとする所属俳優が料理を披露。2007年1月1日放映の『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)の料理コーナー「BISTRO SMAP」に渡、舘、神田、徳重の4人が出演した際には、過去のイベントでの炊き出しの模様を記録したプロモーションビデオの存在が明らかになり、「THE 炊き出し PART4」なるビデオの一部が紹介された。その中で舘は「ただ、俳優のプロモーションビデオはひとつもない」とも明かしている。
2008年11月12日放送の『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日)では、徳重聡が都内にある石原プロの倉庫を紹介した。この際、動態保存された多数の劇用パトカー等と共に炊き出しに使う鍋なども紹介されたが、珍百景としての登録はされなかった。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、トラック28台を連ねて被災地の宮城県石巻市を訪れ、渡、舘らが4月14日から20日までの一週間、カレーや焼きそば、おでん、ぜんざいなど豊富なメニューの炊き出しを行った[4]。 また、被災地と関係の無いファンが訪れた事もあり、道路渋滞が発生した事で苦情が出たとの報道が一部でされた[5]。
2011年9月7日から6日間、東京・日本橋高島屋屋上で大東北展の目玉として「屋上げんき食堂」を特設、売上金全額は日本赤十字社を通じて被災地に寄付される[6]。またレトルト食品(炊き出しカレー、とん汁、おでん、ぜんざい)として一般販売もされる。
作品傾向
石原プロの作る作品は裕次郎、渡を主役として設定したものが多く、裕次郎の死後は舘を主役にした作品が量産された。社名が「プロモーション」となっている点から、代表者の名前に囚われない幅広い作品作りを目指した三船プロなどの独立スタープロとは対照的なものであった。
また、過去に製作された作品はいずれも二次利用の機会が少なく、断片的な形でのリリースとなった『西部警察』や、自社の版権が失効している『太平洋ひとりぼっち』『ゴキブリ刑事』などを除いてソフト化されていないものが大半を占めていた。その後、経営体系の大幅な刷新を経た2012年に創立50周年プロジェクトとしてテレビ作品の順次DVDリリースが決定(ただし一部の作品を除いて原則セレクション形式でのリリースとなる)、翌2013年には『黒部の太陽』をはじめとする劇場映画5作品がBlu-ray及びDVDでリリースされた。
幻の社歌
同社の社歌として「太陽と星たちの賛歌」(作詞:なかにし礼、作曲:羽田健太郎)が存在する。
元々は1978年に裕次郎がなかにしに作詞を依頼した曲で、同年5月に予定されていたパーティー(同社の設立記念パーティーとする説[7]と、同社と関係の深い宝酒造のパーティーとする説[8]がある)で披露される予定だったが、裕次郎が同時期に闘病生活に入ったためレコーディングや披露も行われず、また譜面も行方不明となったため「幻の社歌」となっていた。当時は同社のスタッフの間でも「社歌があるらしい」という都市伝説扱いだったという[7]。
裕次郎の死後の2013年8月に、同社の社史編纂のため裕次郎の自宅資料室を整理していたところ譜面が発見されたことから、舘ひろしのボーカルと船山基紀によるアレンジで初めてレコーディングが行われ、2014年3月にその存在が公表された。裕次郎の命日である2014年7月17日を目処に無料配信を実施する予定としている[7]。
所属俳優
一般に「石原軍団」(-ぐんだん)の愛称で親しまれている。
かつて所属していた俳優・歌手
- 石原裕次郎(設立者)
- 浅丘ルリ子
- 黛ジュン
- 鳥居恵子
- 川地民夫
- 浜田光夫
- 小高雄二
- 竹脇無我
- 玉川伊佐男
- 寺尾聰
- 苅谷俊介
- 五代高之
- 御木裕
- 石原良純(設立者の甥、1982年 - 1989年)
- 秋山武史
- 峰竜太(1976年 - 2000年)
- 谷川竜(現・谷川竜太郎)
- 深江卓次
- 武藤章生
- バーブ佐竹
- ウラン(現・青木カレン)
- 渡邉邦門 (現・渡辺邦斗)
- 木村昇
かつて所属していたスタッフ
- 中井景(プロデューサー・元専務)
- 銭谷功(プロデューサー)
- 小林正彦(プロデューサー・元専務取締役・現:ウェブクウ取締役)
- 増田久雄(プロデューサー)
- 石野憲助(プロデューサー)
- 森川一雄(プロデューサー・現:ケイエッチケイアート{国際放映系列会社})
- 岩崎純(プロデューサー・現:石原伸晃事務所秘書)
- 高山正彦(プロデューサー)
- 福原昇(プロデューサー)
- 池田敏春(助監督)
- 荻原達(演出家)
- 金宇満司(撮影技師)
- 藤林甲(照明技師)
- 椎葉昇(照明技師)
- 渡辺三雄(照明技師)
- 渡辺士郎(編集技師)
会社概要
役員
元役員
- 元代表取締役社長(初代)兼会長:石原裕次郎
- 元代表取締役社長(2代目):渡瀬道彦(渡哲也)
- 元代表取締役専務:小林正彦
- 元代表取締役常務:金宇満司
- 元常務取締役:仲川幸夫
- 元取締役:舘廣(舘ひろし)、神田正輝、福原昇
- 水の江滝子
- 石原慎太郎
- 中井景(元専務)
社歌
作品
映画
- 太平洋ひとりぼっち(1963年、日活・石原プロ)原作:堀江謙一、監督:市川崑
- 殺人者を消せ(1964年、日活・石原プロ)
- 敗れざるもの(1964年、日活・石原プロ)原作:石原慎太郎
- 城取り(1965年、日活・石原プロ)
- 同時上映は石原プロ2代目社長・渡哲也のデビュー作「あばれ騎士道」。
- 黒部ダムを建設する男たちの試練を描いた映画。
- ※1969年に日本テレビ系列でテレビドラマ化された。石原はこのテレビドラマ版にも出演している。
- 夕月(1969年、石原プロ・松竹)出演:黛ジュン、森田健作
- 栄光への5000キロ(1969年、松竹映配・石原プロ)
- 富士山頂(1970年、日活・石原プロ)
- 愛の化石(1970年、日活・石原プロ)主演:浅丘ルリ子
- ある兵士の賭け(1970年、松竹映配・石原プロ)
- エベレスト大滑降(1970年、松竹映配・石原プロ)
- 男の世界(1971年、日活・石原プロ)
- 甦える大地(1971年、松竹映配・石原プロ)
- 蒼ざめた日曜日(1972年、東宝・石原プロ)原作:曾野綾子、出演:浅丘ルリ子・若林豪
- 影狩り(1972年、東宝・石原プロ)原作:さいとう・たかを
- 影狩り・ほえろ大砲(1972年、東宝・石原プロ)原作:さいとう・たかを
- 反逆の報酬(1972年、東宝・石原プロ)石原裕次郎最後の主演作。
- ゴキブリ刑事(1973年、東宝・石原プロ)
- 渡哲也主演の刑事アクション映画。
- ザ・ゴキブリ(1973年、東宝・石原プロ)
- 渡哲也主演の刑事アクション映画。ゴキブリ刑事の続編。
- 欽ちゃんのシネマジャック(1993年、1994年、東宝)
- ショートフィルムのオムニバス作品。一編を製作している。
テレビドラマ
- 黒部の太陽(1969年8月3日 - 1969年10月12日、日本テレビ)
- 民芸映画社、萬年社共同制作
- 冬物語(1972年11月 - 1973年4月、日本テレビ)
- 日本テレビの下請けとして番組制作を担当。
- 大都会シリーズ(日本テレビ)
- 本格的にテレビドラマの自社企画・制作に進出した最初の作品。石原裕次郎自らが制作の陣頭指揮を執り、その後の同社におけるドラマ制作のノウハウがほぼ確立された。
- 浮浪雲(1978年、テレビ朝日)
- 西部警察シリーズ(1979年10月 - 1984年10月、テレビ朝日)
- 前作「大都会 PART II」「- PART III」の設定をほぼ引き継ぎ、よりスケールアップさせた、同社にとっての代表作。
- ただいま絶好調!(1985年4月 - 9月、テレビ朝日)
- 「西部警察」にて人気を得た舘を主演に据えた作品。ウイングルーフのトラックで出張演奏する売れないバンドを描く。
- ゴリラ・警視庁捜査第8班(1989年4月 - 1990年3月、テレビ朝日)
- 石原亡きあと、「西部警察」を超える作品を目指して制作されたが、ヒットには至らなかった。
- 代表取締役刑事(1990年10月 - 1991年10月、テレビ朝日)
- 前作「ゴリラ」とは打って変わり、舘を主演に据え、下町を舞台にした人情劇を盛り込んだ作品。
- 生命燃ゆ(1992年、テレビ朝日)
- 渡哲也本格復帰記念ドラマスペシャル。サブタイトルは「-石原裕次郎に捧ぐ- 妻よ娘よ、わが人生に悔いなし」
- 愛しの刑事(1992年10月 - 1993年3月、テレビ朝日)
- 「代表取締役刑事」と同じく、人情劇を中心とした作品。
- テレビ朝日開局45周年記念作品・日曜洋画劇場特別企画「西部警察 SPECIAL」(2004年10月31日、テレビ朝日)
- 実に20年ぶりの復活。前年に完成していたが、1年遅れで放映。
- テレビ朝日開局45周年記念作品「弟」(2004年11月17日 - 11月21日、テレビ朝日)5夜連続放送
- 石原の兄・慎太郎の小説をドラマ化した作品。
- 倉本聰ドラマスペシャル「祇園囃子」(2005年9月24日 テレビ朝日)
- 新春スペシャルドラマ「マグロ」(2007年1月4日 - 1月5日 テレビ朝日)
- おいしいごはん 鎌倉・春日井米店(2007年10月 - 12月 テレビ朝日)
- 「愛しの刑事」以来、14年ぶりの連続ドラマで、初のホームドラマ制作。
- 告知せず(2008年11月15日 テレビ朝日)
- テレビ朝日開局50周年記念作品。
- 橋田壽賀子ドラマスペシャル「結婚」(2009年11月28日 テレビ朝日)
- 制作協力として制作に参加
バラエティ
- 史上最強のバラエティ クイズ100万ボルト(1993年、テレビ朝日)
CM
- 宝酒造(渡哲也)
- ジョージア(渡哲也・舘ひろし)
- オロナミンC
- 日本興亜損保(渡哲也・神田正輝・舘ひろし・深江卓次・渡邉邦門)
- キリンビール(舘ひろし)
- スズキ(スペーシアカスタム。舘ひろし・徳重聡・金児憲史・宮下裕治)
関連企業
公式サイト内では、系列会社として扱っている。
- 石原音楽出版社
- 石原インターナショナル
- アイ・ピー・エフ
- 石原ミュージック
- 石原裕次郎記念館
また、系列会社ではないが、石原プロが設立に関わっている会社もある。
脚注
関連項目
- 太陽にほえろ!
- 七曲署捜査一係
- レディ・ジョーカー(特別協力)
- 同族経営
- 石原慎太郎 - 慎太郎を始めとして、選挙の際にはしばしば石原軍団が応援を行なっている。
- 石原伸晃
- 石原良純
- 石原宏高
- 石原延啓
外部リンク
テンプレート:西部警察- ↑ 1.0 1.1 渡社長辞任“大政奉還”石原プロ新体制に サンケイスポーツ 2011年5月12日閲覧
- ↑ 石原プロ“大政奉還”渡社長退任 まき子夫人に経営を全面委任 - 中日スポーツ・2011年5月12日
- ↑ 渡哲也「健康と年齢」理由に石原プロ社長勇退 スポニチアネックス・2011年5月12日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 「石原軍団」の炊き出しで渋滞発生 石巻で聞いた賛否両論 http://www.nikken-times.co.jp/entertainment/20110418.0/1303112156.html
- ↑ 渡ら「げんき食堂」、被災地支援も続けます日刊スポーツ新聞社 2011年9月7日
- ↑ 7.0 7.1 7.2 石原プロの“幻の社歌” 36年ぶり発見 裕次郎さん命日に無料配信へ - スポーツニッポン・2014年3月19日
- ↑ 石原プロ“幻の社歌”発見!舘ボーカルで36年ぶり復活へ - サンケイスポーツ・2014年3月19日