肥前有馬氏
テンプレート:日本の氏族 肥前有馬氏(ひぜんありまし)は、日本の氏族。通字は「純」又は「澄」でいずれも「すみ」又は「ずみ」と読む。
概要
天慶の乱の時の伊予の藤原純友の末裔あるいは平直澄の子孫が祖先といわれているが、詳しくはわかっていない。
戦国時代に有馬晴純が現われて島原半島を根拠に肥前一帯に一大勢力を広げ、さらにポルトガルとの交易で最盛期を築き上げたが、その子の有馬義貞は、龍造寺隆信の圧迫を受けて衰退する。1584年、有馬晴信は島津氏と結んで沖田畷の戦いで龍造寺氏を撃退し、後に豊臣秀吉の九州平定で本領を安堵された。
江戸時代に入って、晴信が岡本大八事件で幕命により切腹させられたが、晴信の子・有馬直純が日向延岡を与えられたため、存続した。外様大名であったが、直純の後妻・国姫が徳川家康の養女(家康の外孫である熊姫の娘)だったため、後に幕府より許しを得て譜代大名に鞍替えしている(願い譜代)。
その後、越後糸魚川藩主、越前丸岡藩主となり、明治維新を迎えた。
家紋は大村氏と同じ「五瓜に剣唐花」(有馬瓜・大村瓜)を用いたが、もともとの図案は「五瓜」であった。ほかに「有馬唐花(剣唐花)」「丸に六つ唐花」が『寛政重修諸家譜』に載る[1]。
歴代当主
- 有馬経澄
- 有馬朝澄
- 有馬家澄
- 有馬連澄
- 有馬貞澄
- 有馬澄世
- 有馬満澄
- 有馬氏澄
- 有馬貴純
- 有馬尚鑑
- 有馬晴純
- 有馬義貞
- 有馬義純
- 有馬晴信
- 有馬直純
- 有馬康純
- 有馬清純
- 有馬一準
- 有馬孝純
- 有馬允純
- 有馬誉純
- 有馬徳純
- 有馬温純
- 有馬道純
- 有馬純文
- 有馬純尚
- 有馬匡澄 - 2011年より
系図
- 実線は実子、点線(縦)は養子。
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脚注
テンプレート:脚注ヘルプテンプレート:Reflist- ↑ 大野信長『戦国武将100 家紋・旗・馬印FILE』学習研究社 2009年