七条駅
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七条駅(しちじょうえき)は京都府京都市東山区にある京阪電気鉄道京阪本線の駅。
沿革
京阪本線の開業当初は、七条大橋の北側の正面橋の付近に大仏前駅(駅名の由来は京の大仏を参照)、七条大橋の南側の塩小路橋の所に塩小路駅(1918年12月1日旅客営業廃止、1955年6月25日貨物営業廃止)が存在した。その後、京都市が七条通を拡幅して市電を敷設することになったため、乗換の便を図るべく大仏前駅を廃止し、その翌日に七条通に面した当駅が開業した[1]。
年表
- 1913年(大正2年)4月27日 - 開業する[1]。
- 1916年(大正5年)4月1日 - 急行停車駅となる[2]。
- 1935年(昭和10年)6月29日 - 鴨川大水害により駅施設に大きな被害が発生する。7月1日に七条駅以南の運転を再開、同月3日に三条駅まで運転を再開する[3]。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(現 阪急電鉄)の駅となる。
- 1946年(昭和21年)1月20日 - 上りホームの床を支える木製桁が腐食で降車客15人が鴨川河川敷に転落する[4]
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 特急停車駅となる[5]。
- 1963年(昭和38年)4月15日 - 駅名表記を、旧字体の「七條」から新字体の「七条」に変更する。
- 1965年(昭和40年)9月 - 京阪電鉄で初の車掌用ホーム監視カメラとモニターを導入[6]。
- 1965年(昭和40年)12月30日 - 七条交差点で回送列車と自動車の接触事故が発生する[7]。
- 1978年(昭和53年)10月1日 - 京都市電の全廃(9月30日)により京都市電との平面交差を廃止する[1]。
- 1982年(昭和57年)4月 - 地下化工事に伴い線路を東側(琵琶湖疏水跡)へ、併せて三条行きホームを七条通り北側へそれぞれ移動し、七条通を挟んだ千鳥配置のホームを相対式ホームに変更する[8]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 2008年(平成20年)3月14日 - 身障者対応エレベーターを設置する。この際、出町柳行き改札内にあったトイレを改札外に変更する[11]。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 機械式駐輪場「エコステーション21七条西」の供用を開始する(同月15日、「エコステーション21七条東」も供用を開始)[12]。
- 2012年(平成24年)
- 3月7日 - 大阪行きホームの売店が閉店する。
- 11月14日 - ホーム異常通報装置を設置する[13]。
駅構造
七条大橋東詰、川端通と七条通との交差点の直下に位置し、相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。清水五条駅寄りに非常用渡り線が設置されているが、この渡り線は地上駅時代にも設置されていたものである。
当駅は地下1階に改札およびホームを両方備える一層形式である。そのため、改札口は各ホーム毎に独立して設けられており、改札内には互いのホームを結ぶ通路が存在しないが、改札外の地下には反対側改札口への連絡通路が線路の下を通る構造をとって設けられている。[14]。このような構造のために、京阪にとっては当時行っていた折り返し乗車の扱い[15]の運賃収受を確実にできるという産物もあった。
駅ホームのカラーリングは、「みやこぶりを表した高貴で奥ゆかしい『薄藤色(紫)』」とされた[16]。
のりば
1 | テンプレート:Color京阪本線(上り) | 三条・出町柳方面 |
---|---|---|
2 | テンプレート:Color京阪本線(下り) | 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面 |
※両ホームとも有効長は8両である。
駅の地下化時に、コンコース階の淀屋橋方面には宮永理吉作の壁画「鴨東連比」が、出町柳方面には西協友一作の幅4.4m・高さ1.3mの壁画「三十三間堂絵図」が設置された。なお、西脇は8800形2階建て特急車の壁面や三条駅のコンコースに画かれている時代祭行列図も手掛けている。
駅周辺
駅は川端通と七条通との交差点の地下にある。駅のすぐ西を鴨川が流れ、七条大橋がかかる。西日本旅客鉄道(JR西日本)とは隣の東福寺駅が乗換駅となっている一方、当駅と京都駅とは徒歩圏内(所要約20分)である[17]。
駅東側
- 京都国立博物館
- 豊国神社
- 方広寺
- 耳塚
- 三十三間堂
- 養源院
- 智積院
- 法住寺
- 後白河法皇陵墓
- 妙法院
- 京都女子大学・京都女子中学校・高等学校
- ハイアットリージェンシー京都
- 京都大仏前郵便局
- 本町館 - 独立系の映画館。成人映画を上映している。
駅西側(鴨川対岸)
- 松明殿稲荷神社
- 渉成園
- 東本願寺
- 京都駅
- ひと・まち交流館 京都
- 柳原銀行記念資料館
- 京都七条米浜郵便局
- 京都塩小路郵便局
路線バス
バス停は、駅前の七条大橋東詰(七条通と川端通との交差点)の七条通沿いに設置されている。
なお、呼称は社局によって異なる。駅名は「しちじょう」だが、バス停は「ななじょう」と読む[18]。
七条京阪前バス停
京阪七条バス停
京阪七条駅バス停
利用状況
2009年11月10日の乗降客数は13,721人であった[19]。
近年の1日あたり利用客数の推移は下記の通り。
年度 | 乗降人員[20] | 乗車人員[21] |
---|---|---|
2008年 | 14,596 | 7,310 |
2009年 | 14,356 | 7,038 |
2010年 | 14,348 | 7,173 |
2011年 | 14,822 | 7,172 |
2012年 | 14,001 | 6,948 |
隣の駅
- 京阪電気鉄道
- テンプレート:Color京阪本線
- テンプレート:Color快速特急(行楽期の土休日・正月のみ運転)
- テンプレート:Color特急・テンプレート:Color通勤快急(平日下りのみ運転)・テンプレート:Color快速急行
- 丹波橋駅 - 七条駅 - 祇園四条駅
- テンプレート:Color急行
- テンプレート:Color通勤準急(平日下りのみ運転)・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color普通
- 東福寺駅 - 七条駅 - 清水五条駅
脚注
関連項目
外部リンク
- おけいはん.ねっと|駅情報局:七条駅 - 京阪電気鉄道
- ↑ 1.0 1.1 1.2 参考文献『京阪百年のあゆみ』資料編142頁の各駅紹介・年表184頁
- ↑ 出典・関西鉄道研究会編 「車両発達史シリーズ1『京阪電気鉄道』」 30頁の「1-2急行運転開始」より
- ↑ 文理閣刊「京都の治水と昭和大水害」155頁『第6章 昭和10年6月京都大水害 』「4)交通機関」より抜粋
- ↑ 『京阪百年のあゆみ』資料編206頁の年表より
- ↑ 出典・関西鉄道研究会編 「車両発達史シリーズ1『京阪電気鉄道』」 37頁の「5-1京阪特急の登場」より
- ↑ 参考文献・「鉄道ピクトリアル2009年8月増刊号特集京阪電気鉄道」98頁・「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション25『京阪電気鉄道』1960~1970」145頁
- ↑ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編226頁の年表より
- ↑ 出典・駅置き月刊広報誌「くらしの中の京阪 1982年4月号」、参考文献「鉄道ピクトリアル」1984年1月増刊号の68頁に七条駅の新線工事中の写真(撮影1982年2月7日)が掲載されている
- ↑ 9.0 9.1 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編247頁の年表より
- ↑ 出典・駅置き月刊広報誌「くらしの中の京阪 1988年9月号」
- ↑ トイレ入口はホームに面していたが、ホームに柵を設置して改札外の通路に変更。また出町柳行きホームへ通じるエレベーターもホーム上に設置され、柵で区切られた通路を通る。
- ↑ 駅置き月刊沿線情報誌『K・PRESS』2011年4月号16面「くらしのなかの京阪」
- ↑ 駅置き月刊沿線情報誌『K・PRESS』2013年1月号16面「くらしのなかの京阪」
- ↑ 京阪本線は、当駅と東福寺駅間にある塩小路通との交差部の南側で地上線から地下線に切り替わる線形をとっているが、JR東海道線をアンダーパスして塩小路通までの勾配区間の間は約140m・地下線開口部と七条駅ホーム南端は約220mしか離れていないことから、京阪本線の最急勾配の33パーミル勾配(天満橋駅から地上へ・枚方市駅の大阪側・萱島駅の寝屋川車庫への出入庫線と同じ)の線形をとったとしても琵琶湖疏水の送水管・ライフラインの下に地下二層式の駅を建設することは無理があることから、このような構造になった(出典:電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1984年1月増刊号特集「京阪電気鉄道」の記事『京都市内の地下化工事の経過と今後の予定』)
- ↑ 専用乗車券を購入することで、東福寺駅以南の駅から一旦七条駅に向かった後、京橋 - 淀屋橋間の各駅に向かう扱い。1989年当時の「京阪時刻表」や駅ポスターでは、「折り返し乗車には、特別きっぷを発売。」と宣伝していた。
- ↑ 季刊広報誌『グラフ京阪』京阪電気鉄道、1987年、『京都地下線開通特集号』P7(七条駅の紹介文)
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「okeihan.net
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 「一条」「四条」との混同を避けるため、停留所名が「七条大橋(ななじょうおおはし)」であった市電時代からそのように呼ばれている(参考:七条の読み方、「しちじょう」「ななじょう」どっち? - 京都新聞(2013年2月20日付)
- ↑ 京阪開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編103頁の「駅別乗降客数の推移」
- ↑ テンプレート:Cite web暦年数値を日数で除したものであり、統計表は年1回実施される流動調査の実績を基礎として、京阪の提示する数値を基に京都市が作成している。
- ↑ テンプレート:Cite web年度数値を日数で除して算出。