港北ニュータウン
港北ニュータウン(こうほくニュータウン)とは、横浜市都筑区茅ケ崎を中心とするニュータウンである。「港北」と名付けられ、かつては港北区・緑区に属していたが、行政区再編により現在は都筑区が中心となっている。
港北NT(港北ニュータウン)センター区域は、横浜市における主要な生活拠点(旧:副都心)に指定されている[1][2]。
目次
概略
港北ニュータウン(港北NT)事業は、1965年に横浜市から発表された「横浜市六大事業」に端を発している。当時の横浜市は年間10万人単位で人口が急増しており、市街地の乱開発が社会問題となっていた。居住環境の良好な住宅街の形成が課題となり、横浜市内北部に位置する地域を、住居・職場・農業が一体となった街作りを行うために事業構想が練られた。
その結果、日本住宅公団(現在の都市再生機構)が事業委託を受けた区域だけでも1317ヘクタール、事業計画全体では2530ヘクタールもあり、過去に類を見ない大規模な都市開発事業となった。このため区画整理事業だけでも膨大な地権者数となり、事業の成功は不可能であるという分析をする学者も現れた。
横浜市は事業計画を進めるに当たって、地元の有力者を中心とする「港北ニュータウン開発対策協議会」を設置した。これは地元の意向を確認しながら事業を進めるという、今でいう住民参加の街作りを推進し、計画を問題なく進めるための機関として設置されたものである。
こうした協議機関での協議の結果、それまでのニュータウン計画で一般的に利用されていた土地収用ではなく、換地の手法が取られることになった。換地とは、あらかじめニュータウン計画の主体事業者が計画区域内に土地を購入しておき、公共施設建設のために収用したい土地と事前に購入した土地を交換して区画整理を実施する手法である。換地による区画整理の手法は港北ニュータウン計画以前から実施されていたが、住民側の意向から多くは近接した土地を交換する「原位置換地」の手法を採用しており、換地による土地区画整理は計画が進まないものとされていた。しかし、港北ニュータウン計画では地元住民の意向を確認した結果、申出換地という新しい手法で区画整理が実施されることになった。これは事業主体者が所有している土地の中から換地を行う土地の所有者が希望する土地を指定(これを「申出」と呼ぶ)し、その地権を交換する手法で、現在の土地区画整理事業で多く取られる手法となっている。
こうした地元との調整の結果、1974年に当時の建設大臣から土地区画整理事業に関する認可が下り、実際の造成工事が始まった。1980年には先行開発されていた地域に中学校が新設、1983年には港北ニュータウン初の大規模集合住宅で入居が開始された。1986年、港北ニュータウン計画が一部見直され、企業の研究所や本社を積極的に誘致していく計画が追加された。
1994年には人口増加に伴い、港北区、緑区に造成された港北ニュータウンを中心とする地域が都筑区として分区された。1996年に最後の区画整理が完了し、港北ニュータウン計画自体はすべて完了した。
なおよくある誤解として「タウンセンター整備事業」と「港北ニュータウン中央地区」(以下「『中央地区』」という。)の存在がある。センター南とセンター北の間に位置している「中央地区」は、港北ニュータウン計画に附属しているものの、主体は横浜市最北部の副都心整備計画である「タウンセンター整備事業」に基づく事業であり、港北ニュータウン計画とは関連性は高いが、第1地区・第2地区と呼ばれる公団施行区域と並列するものではない。そのため、住宅都市整備公団の港北ニュータウン施行計画には、北部の第1地区と南部の第2地区のみがその対象として挙げられている。さらに、住宅都市整備公団の計画図においても、「中央地区」は公団施行区域ではあるが「参考」という扱いとなっていた。そのため、横浜市も[1]にあるように港北ニュータウン計画における換地処分公告は、1996年で終結したものとして扱っている。この項目では横浜市の公式見解に沿って、港北ニュータウン計画の終結は1996年としている。
ニュータウン概要
横浜市都心部から北北西へ約12km、東京都心部から南西へ約25kmの地点に位置している。港北ニュータウンは計画推進の状況に応じて4つの地区設定がなされている。港北ニュータウンのメインとなる「公団施行地区」、地元の農家が農業を引き続き営むための「農業専用地区」、民間ディベロッパーが1965年以前に既に開発計画を持っていた「既開発地区」、横浜市が主体となって開発を実施する「中央地区」である。「公団施行地区」のみを指して「港北ニュータウン」という名称が使われているが、実際にはその他3地区を含めた形での計画設定がなされているため、すべてを含めて「港北ニュータウン」と呼ばれることが多い。
特徴としては車歩分離の徹底であるといえる。都市計画道路中山北山田線と佐江戸北山田線が南北の軸を成しており、住宅地と車道は分離され、ペデストリアンデッキにより歩道の連続立体交差が完成している。従って車道路沿いに歩道もあるが歩行者専用道による歩行ゾーンが確保されている。さらに各商業施設に大規模駐車場が確保されており、高い駐車収容能力を確保している。ライフラインは地下埋設(電線類地中化)になっているため、電線の有無が港北ニュータウンの範囲、境界を知る目安となる。保存緑地や緑道も多く残され、住環境に配慮がなされている。
多くの公立小中学校、大型商業施設の進出、鉄道2線及び各種交通機関の拡充、先取的な都市基盤形成、保存緑地等が好感されており、狭隘感の強い既成市街地より一区画の広さによる開放感や防災性が感じられるニュータウンへの志向が高まりつつあると言われることや、新規戸建分譲地や新規マンション建設用地も多く転入世帯も多いことから、都筑区は高い人口増加率を保っている。
交通
- 横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)の仲町台駅、センター南駅、センター北駅、中川駅の各駅が1993年3月18日に開業。さらに、横浜市営地下鉄グリーンライン(4号線)の北山田駅、センター北駅、センター南駅、都筑ふれあいの丘駅が2008年3月30日に開業した。
- 地区内の路線バスは、横浜市営バス、東急バスの各社が運行している。当初は地下鉄がなかったため、横浜方面からは新横浜駅、東京方面からは、東急田園都市線の市が尾駅・江田駅・あざみ野駅・たまプラーザ駅からのバス便に頼っていた。
- 1971年の計画当初は都営地下鉄6号線を、西馬込から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画があった。当時の計画では横浜市営4号線とともに東京6号線が鉄道計画の根幹をなしており、前掲書ではかなり具体的な駅名とともに、東京6号線の延伸が必須であるという書き方がなされている[3]。しかし、1985年(昭和60年)7月の運輸政策審議会答申第7号で東京6号線に関するこの計画は目黒止まりとなることが確定、それとともに都営三田線の港北ニュータウン延伸計画は廃止となった。同審議会答申では、都営三田線の代わりにセンター北止まりとなるはずだった横浜4号線を中山まで延伸することを答申し、鉄道計画が確定した。
- 港北ニュータウンから鉄道で東京都心に出るには、横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)のあざみ野駅から田園都市線か、新横浜から新幹線に連絡する方法がある。2008年に横浜市営地下鉄グリーンライン(4号線)が日吉駅まで開通し、受け皿となる東急も目黒線を日吉駅まで2008年6月に延長開通させたため、これにより混雑の緩和が期待される。
- 横浜市営地下鉄ブルーラインと、第三京浜道路、東名高速道路を経由する高速バスにより、東海道新幹線新横浜駅や、成田空港、羽田空港とも結ばれているため、首都圏への転勤世帯や地方から横浜市への移住先として人気が高いと言われる。交通の利便性に加えて、近隣の東急田園都市線沿線の藤が丘、市が尾、青葉台、田奈周辺に大手企業の社宅も多かったが、企業の社宅廃止の風潮と開発時期がリンクしたこともある。
道路
- 周辺には東名高速道路・第三京浜道路・国道246号線が走る。
- ニュータウン内に第三京浜道路の都筑IC(所在地は港北区)が、南西約3kmには第三京浜道路・港北ICがある。また東名高速道路にも横浜青葉ICが開設された。
- 将来ニュータウン南部に首都高速道路横浜環状北西線も開通する予定。
- 都市計画道路中山北山田線と佐江戸北山田線の2幹線道路がニュータウンの両側を南北に結ぶ。尚、中山北山田線は横浜市都筑区川和町~横浜市緑区中山町で事業中である。佐江戸北山田線は川崎町田線と交差する区間が未定事業化となっている。
- 横浜上麻生線により新横浜近辺を経由して横浜都心と結ばれている。
- 都市計画道路羽沢池辺線が都市計画化されており、全線完成すれば都市計画道路環状2号線まで結ばれる予定。
道路整備状況
- 港北ニュータウン内部の交通循環は良好だが、近隣地区との接合箇所や他地域への都市計画道路の連続整備が遅れており、横浜市青葉区の田園都市エリアや緑区、港北方面、並びに都筑区南部の主要幹線道への結節が課題となっている。この為、都市計画道路丸子中山茅ヶ崎線、中山北山田線、羽沢池辺線、鴨居上飯田線、川崎町田線、佐江戸北山田線の未完成区間の整備推進を継続して進めている。
行政施設
- 都筑区役所
教育施設
幼稚園・保育園
- 金の星幼稚園
- 荏田南幼稚園
- 港北幼稚園
- 横浜みずほ幼稚園
- 岩谷学園附属エクレス幼稚園
- 愛和のぞみ幼稚園
- 横浜黎明幼稚園
- かちだ幼稚園
- みどり野幼稚園
- やまた幼稚園
- 池辺白ゆり幼稚園
- すぎの森幼稚園
- バディスポーツ幼児園
- 大熊保育園
- みどり保育園
- 中川西保育園
- 茅ヶ崎保育園
- 茅ヶ崎南保育園
- 第二しらとり台保育園
- つづきルーテル保育園
- ナーサリーつづき
- パレット保育園 センター南
- マーマセンター北保育園
- 都田幼稚園
小学校
- 横浜市立中川西小学校
- 横浜市立中川小学校
- 横浜市立山田小学校
- 横浜市立茅ヶ崎小学校
- 横浜市立茅ヶ崎台小学校
- 横浜市立荏田東第一小学校
- 横浜市立荏田南小学校
- 横浜市立川和東小学校
- 横浜市立北山田小学校
- 横浜市立南山田小学校
- 横浜市立都筑小学校
- 横浜市立つづきの丘小学校
- 横浜市立東山田小学校
- 横浜市立茅ヶ崎東小学校
- 横浜市立牛久保小学校
- 横浜市立勝田小学校
中学校
高等学校
大学
図書館・博物館・その他
主な商業施設
- 港北東急・港北 TOKYU S.C.
- 都筑阪急・モザイクモール港北
- 港北みなも
- ショッピングタウンあいたい
- ノースポート・モール
- ルララこうほく
- ハイパーマーケット
- ホームセンターコーナン
- スポーツオーソリティ
- トイザらス
- ニトリ
- ヨークマート
- オーケー
- ビッグヨーサン
- YOTSUBAKO
- ららぽーと横浜
- 村内ファニチャーアクセス横浜港北店
関連項目
参考文献
- ↑ テンプレート:PDFlink平成25年3月発行。編集・発行、横浜市都市整備局企画部企画課。
- ↑ 上大岡が副都心に選ばれた理由、そして副都心の定義とは?(はまれぽ.com 2012年8月19日)
- ↑ 出典は、財団法人日本都市計画学会「KOH NEW TOWN COMMUNICATION STUDIES 1971〜1972」1971。
- 同書25ページ「2-6-2 計画鉄道の広域ルート」には「港北ニュータウンに関連する新設鉄道計画の通過地点及び建設予定年次は下記のとおりである。」として、「3)東京からの鉄道新線」が掲げられている。同書同ページの内容では
・建設時期 昭和60年
・答申 昭和47年3月1日都営地下鉄6号線(高島平-巣鴨間開通)の延伸として,大宮西部から港北ニュータウンまで答申された。
- (前掲書25ページより引用)
- と記載されている。さらに同書同ページ「2-6-3 計画鉄道のニュータウン内ルート」において、
4号線 E.B.C.
6号線 E.C.F
- (前掲書25ページより引用)
- という停車駅まで明記されている。なお、アルファベットと現在設置されている駅の対照は、A中川、Bセンター北、Cセンター南、D仲町台、E北山田、F都筑ふれあいの丘(本対照表は引用者の注記)である。
- 加えて、前掲書213ページでは、東京6号線のルートを目黒-都立大学-等々力-武蔵新城-E-B-C-F-中山と断定的に記している。
- 同書25ページ「2-6-2 計画鉄道の広域ルート」には「港北ニュータウンに関連する新設鉄道計画の通過地点及び建設予定年次は下記のとおりである。」として、「3)東京からの鉄道新線」が掲げられている。同書同ページの内容では