フランキー堺
テンプレート:Mboxテンプレート:ActorActress フランキー堺(フランキー さかい、1929年(昭和4年)2月13日 - 1996年(平成8年)6月10日)とは、鹿児島県鹿児島市出身のコメディアン、俳優、ジャズ奏者(ドラム)、司会者。本名は堺正俊。
目次
来歴・人物
父親は鹿児島の士族の家系の出身。また、明治・大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曽我廼家五九郎は親戚にあたる。
鹿児島県師範学校附属小学校(鹿児島大学教育学部附属小学校)在学中、ボーイソプラノの歌い手として注目され、合唱団としてNHK鹿児島放送局のラジオ番組に出演。一家で東京大田区池上へ引越し、池上第二小学校、私立麻布中学を経て慶應義塾大学法学部卒業。中学時代の同級に、小沢昭一、加藤武がいた。
1946年8月のバレエ「白鳥の湖」日本初演(第一次東京バレエ団)では男性ダンサーが足りず、立ち役は早稲田、慶應、上智の各大学の演劇部の学生が演じ、慶応大学法学部の学生だったフランキー堺も出演している。
大学時代から進駐軍のキャンプでバンド「シックスレモンズ」のジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。芸名のフランキーは進駐軍相手に演奏を行うため通りがいいように名付けた。1954年にフランキー堺とシティ・スリッカーズを結成して、スパイク・ジョーンズをまねた冗談音楽を演奏。築地のクラブで演奏してると、俳優伴淳三郎と知り合い、念願の役者へ。
後に映画に進出して、『駅前シリーズ』など、喜劇を中心に出演。その一方、BC級戦犯の悲劇を描いてテレビドラマから映画にもなった『私は貝になりたい』、『赤かぶ検事奮戦記』などの社会派ドラマ、『幕末太陽傳』などの時代劇、そして『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで、俳優としても幅広く活躍した。
また、クイズ番組『霊感ヤマカン第六感』の温厚な司会で視聴者に親しまれた。
多額の私財を投じて東洲斎写楽の研究を行っていたことでも有名である。1995年の篠田正浩監督映画『写楽』では、版元・蔦屋重三郎を自ら演じるとともに、企画総指揮・脚色も務めた。これは、『幕末太陽傳』でフランキーを主演の石原裕次郎より目立つ役にすえてブレイクさせた川島雄三監督が「次回作はフランキー主演で写楽を撮る」と告げたまま急死してしまったため、その遺志を継いで30年後に完成させたものだった。
8代目桂文楽の弟子でもあり、噺家として桂文昇の名を持っていた。後に、大阪芸術大学舞台芸術学科の教授に就任し、学科長も務めた。1994年に紫綬褒章を受章。
1996年6月10日、肝不全のため東京都港区の済生会中央病院で死去。(満67歳没)。
長男は和久峻三の娘と結婚している。次男の妻は福沢諭吉の曽孫の娘[1]。
『モスラ』で共演した小泉博は堺の死について「ショックだった」と語っている[2]。
出演作品
テレビドラマ
- わが輩ははなばな氏(1956-59年、ラジオ東京テレビ) - はなばな氏※実際の堺一家が出演した
- 私は貝になりたい(1958年10月31日、ラジオ東京テレビ) - 清水豊松
- テレビ指定席 / 流人天国(1961年5月14日、NHK)
- こんばんは21世紀(1964年4月12日、東京12チャンネル) - 弁護人
- ザ・ガードマン(TBS・ 大映テレビ室)第293話「逃げろ!妻からの殺人指令」
- 大河ドラマ(NHK)
- こりゃまた結構(1967年、TBS)
- 売らいでか!(1969年、よみうりテレビ) - 山内杉雄
- 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第10話「屋根裏の散歩者」(1970年、テレビ東京)
- 速歩自源流(1969年、NHK)
- 男は度胸(1970年、NHK)
- 大忠臣蔵(1971年、NET) - 赤埴源蔵
- 人形佐七捕物帳 第2話「謎の銀かんざし」(1971年/NET) - 歌川国貞
- 銀座わが町(1973年、NHK)
- 顔で笑って(1973年、TBS) - 吉本太郎
- 落日燃ゆ(1976年、NET)
- 水戸黄門 第7部 第33話「十七年目の泣き笑い -伊勢崎-」(1977年1月3日、TBS・C.A.L) - 一八
- 夜明けの刑事 第111話(最終回)「歌手になりたかったのに!!」(1977年3月23日、TBS・大映テレビ) - 山形県警熊沢署刑事・尾長大助
- 浮浪雲(1978年、テレビ朝日・石原プロモーション) - 西郷隆盛、勝海舟の偽者
- マー姉ちゃん(1979年4月 - 9月、NHK連続テレビ小説) - 菊池寛
- 鮎のうた(1979年10月 - 1980年4月、NHK連続テレビ小説) - ナレーション
- あ・うん(1980年 - 1981年、NHK) - 水田仙吉
- 将軍 SHOGUN(1980年、アメリカ・NBC) - 矢部
- 桃太郎侍 第191話「人情まわり舞台」(1980年、日本テレビ)
- 赤かぶ検事奮戦記シリーズ(1980年 - 1992年、朝日放送・松竹) - 柊茂
- 特別編必殺仕事人 恐怖の大仕事 水戸・尾張・紀伊(1981年、朝日放送・松竹) - 与市役
- 必殺シリーズ10周年記念スペシャル 仕事人大集合(1982年、朝日放送・松竹) - 与市役※上記と役名は同じだが、同一人物であるかは不明
- ザ・ハングマン4(1984年、朝日放送・松竹芸能) - ゴッド・神山玄蔵
- ポニーテールはふり向かない(1985年、TBS・大映テレビ) - 麻生雄次
- 山頭火 〜何んでこんなに淋しい風ふく〜(NHK)
- 鬼平犯科帳 第1シリーズ 第16話「盗法秘伝」(1989年、フジテレビ) - 伊砂の善八
- 獄門島(1990年、フジテレビ) - 了然
- 特選!黒のサスペンス「視線・証拠無し」(1993年10月4日、関西テレビ)
映画
- 名探偵アジャパー氏(1953年、新東宝)- 与田輝夫とシックス・レモンズの一員
- 青春ジャズ娘(1953年、新東宝)- ドラムの青木
- 初恋カナリア娘(1955年、日活)
- 丹下左膳 第一部 乾雲の巻、第二部 坤竜の巻、第三部 昇竜の巻(1956年、日活) - 鼓の与吉
- 牛乳屋フランキー(1956年、日活)
- 幕末太陽傳(1957年、日活) - 主演・居残り佐平次
- フランキーの宇宙人(1957年、日活) - 主演※クライマックスでは一人14役を演じた
- 駅前シリーズ(1958 - 1969年、東宝)
- 私は貝になりたい(1959年、東宝)
- 独立愚連隊西へ(1960年、東宝) - 八路軍・梁隊長
- モスラ(1961年、東宝)
- 特急にっぽん(1961年、東宝)
- 世界大戦争(1961年、東宝)※芸術祭参加作品
- 雲の上団五郎一座(1962年、東宝)
- 社長シリーズ(1962年 - 1967年)
- 台所太平記(1963年、東宝)
- ばりかん親分(1963年、松竹)
- ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗 (1964年、東宝)
- ラーメン大使(1967年、大映)
- 君も出世ができる(1964年、東宝)
- 旅行シリーズ(1968年 - 1972年、松竹大船)
- 喜劇 “夫”売ります!!(1968年、東映)
- 極道ペテン師(1969年、日活)
- 喜劇・命のお値段(1971年、松竹)
- 喜劇 日本列島震度0(1973年、松竹大船)
- 宮本武蔵(1973年、松竹) - 本位田又八
- ダイナマイトどんどん(1978年、大映)- 元プロ野球選手・五味徳右衛門
- ハワイアンラブ 危険なハネムーン(1978年、日活)
- 国士無双(1986年、サンレニティ)
- あいつ(1991年、アルゴプロジェクト)
- 写楽(1995年、西友)※フランキー自らが長年温めていた企画・総指揮
- 瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997年、松竹) - 写真屋さん
劇場アニメ
- ちびっ子レミと名犬カピ(1970年、東映動画) - カピ
バラエティ
- コメディフランキーズ(1963年 - 1964年、TBS)
- スポットライト(1972年 - 1973年、NHK)
- 霊感ヤマカン第六感(1977年 - 1984年、朝日放送)※2代目司会
CM
NHK紅白歌合戦出場歴
- 第9回 (1958年12月31日、新宿コマ劇場) 『男はよわい』
- 第10回 (1959年12月31日、東京宝塚劇場) 『もぐら祭り』
- 第11回 (1960年12月31日、日本劇場(日劇)) 『悲しきインディアン』
- 第12回 (1961年12月31日、東京宝塚劇場) 『金色夜叉』
著書
- 内村直也編 『現代テレビ講座 第2巻 テレビタレント篇』 ダヴィッド社、1960年(「テレビ演技の実際」を収録)
- 『フランキー太陽伝』 報知新聞社、1969年(巻末に自伝「ぼくの『ドラムとドラマ』」を収録)
- 『(フランキー堺の)男性諸君―独断と偏見に満ちあふれたお喋り集』 ルック社、1975年
- 『写楽道行』(SF時代小説)ISBN 4163088806 ISBN 4167507013
- 『芸夢感覚―フランキー人生劇場』(自伝的エッセイ集)ISBN 4087740412
- 『写楽を探せ―謎の天才絵師の正体』(アンソロジー)ISBN 4881351680
- 『俳句のゆたかさ―森澄雄対談集』(対談「遊びの精神」を収録)ISBN 4023305685
- 『(著名人が語る〈学びのヒント〉 第5巻)創るよろこび』(「劇的生活」を収録)ISBN 4897847524
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:ブルーリボン賞主演男優賞- ↑ 系図でみる近現代 第49回 福澤諭吉 福澤克雄 フランキー堺
- ↑ 『モスラ』のDVDオーディオコメンタリーの小泉の弁より。
- ↑ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年)