ハンムラビ法典
ハンムラビ法典(ハンムラビほうてん、Code of Hammurabi)は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。アッカド語が使用され、楔形文字で記されている。
目次
概要
ハンムラビ法典は完全なかたちで残る世界で2番目に古い法典である(現存する世界最古の法典はウル・ナンム法典およびエシュヌンナ法典、リピト・イシュタル法典)。
歴史
ハンムラビ法典はあとになって石柱に書き写され、バビロンのマルドゥク神殿に置かれた。以後の楔形文字の基本となった。
1901年、高さ2.25mの閃緑岩石棒に刻まれたものがイランのスサで発見された。紀元前12世紀にバビロンから奪われたものである。現在はパリのルーヴル美術館が所蔵し、レプリカを三鷹市の中近東文化センター[1]や岡山市北区の岡山市立オリエント美術館、東京池袋の古代オリエント博物館でみることができる。
構成
「前書き・本文・後書き」の3部構成となっている。本文は慣習法を成文化した282条からなり、13条及び66-99条が失われている。前書きにはハンムラビの業績が述べられており、後書きにはハンムラビの願いが記されている。
アッシリア学研究者テンプレート:仮リンクの見解では、ハンムラビ法典はバビロニア王ハンムラビの所信表明の意味合いが強いと主張している。根拠は、法典内容と、実際にバビロニアから発掘された粘土板による記録を精査すると、かならずしも法典内容と実際の判決が一致していないことによる。このことから、ハンムラビ法典の内容そのものはハンムラビ王が即位する前後に王としてどのような法改正を行うかを表明したもので、「実際の法改正・司法制度の制定、運用にあたっては法典内容よりも訂正が加えられた」とする意見もある。
「目には目で、歯には歯で(タリオの法)」
「目には目で、歯には歯で」との記述は、ハンムラビ法典196・197条にあるとされる(旧約聖書、新約聖書の各福音書にも同様の記述がある)。しばしば「目には目を、歯には歯を」と訳されるが、この条文の目的は、いわゆる同害報復を要請するものではなく、無限な報復を禁じて同害報復までに限度を設定することであるので、誤りである。195条に子がその父を打ったときは、その手を切られる、205条に奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られるといった条項もあり、「目には目を」が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。
もし強盗が捕えられなかったなら、強盗にあった人は、無くなった物すべて神前で明らかにしなければならない。そして強盗が行なわれたその地あるいは領域が属する市とその市長は、彼の無くなったものは彼に償わなければならない。
ハンムラビ法典の趣旨は犯罪に対して厳罰を加えることを主目的にしてはいない。古代バビロニアは多民族国家であり、当時の世界で最も進んだ文明国家だった。多様な人種が混在する社会を維持するにあたって司法制度は必要不可欠のものであり、基本的に、「何が犯罪行為であるかを明らかにして、その行為に対して刑罰を加える」のは現代の司法制度と同様で、刑罰の軽重を理由として一概に悪法と決めつけることはできない。財産の保障なども含まれており、ハンムラビ法典の内容を精査すると奴隷階級であっても一定の権利を認め、条件によっては奴隷解放を認める条文が存在し、女性の権利(女性の側から離婚する権利や夫と死別した寡婦を擁護する条文)が含まれている。後世のセム系民族の慣習では女性の権利はかなり制限されるのでかなり異例だが、これは女性の地位が高かったシュメール文明の影響との意見がある。
現代における評価
罪刑法定主義
現代では、「やられたらやりかえせ」の意味で使われたり、復讐を認める野蛮な規定の典型と解されたりすることが一般的であるが、「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」すなわち、あらかじめ犯罪に対応する刑罰の限界を定めること(罪刑法定主義)がこの条文の本来の趣旨であり、刑法学においても近代刑法への歴史的に重要な規定とされている。
公平性
現代人の倫理観や常識をそのまま当てはめることはできないが、結果的にこれらの条文は男女平等や人権擁護と同類の指向を持つ条文である。また、犯罪被害者や遺族に対して、加害者側に賠償を命じる条文や、加害者が知れない場合に公金をもって損害を補償する条文も存在し、かつ被害の軽重に応じて賠償額(通貨の存在しない物々交換の時代なので、銀を何シェケルという単位だが)まで定めてある。「ハンムラビ法典は太陽神シャマシュからハンムラビ王に授けられた」というかたちで伝えられるが、特定の宗教的主観に偏った内容ではなく、むしろ宗教色は薄い。身分階級の違いによって刑罰に差がある点は公平といえないが、当時の社会情勢に鑑みると奴隷制廃止は不可能であり、何らかのかたちで秩序を定める必要があったことから当然の帰結といえる。ただし、身分差別を除いて、人種差別、宗教差別をした条文はみられない。この点に関しては中世ヨーロッパの宗教裁判に比してはるかに公平と公正さにおいて優れており、先進的といえる。司法の歴史上非常に価値の高いものである。
弱者救済
あとがきに、「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の文言がある。社会正義を守り弱者救済するのが法の原点であることを世界で2番目に古い法典が語っていることは現代においても注目される。
等価の概念
経済学者のカール・ポランニーは、ハンムラビ法典の負債取り消しに関する記述や、報酬にかかる費用などを研究し、当時の社会での等価は市場メカニズムではなく慣習または法によって決められていたと論じた。近代的な等価概念との相違点として、私益のための利用を含まないこと、および等価を維持する公正さをあげる。
ハンムラビ法典と聖書
モーセの律法書のもとになったとみなす学者もいるが、内容的に大きく異なる。 ハンムラビ法典の「目には目」と旧約聖書出エジプト記21章、レビ記24章、申命記19章における「目には目」の律法が似ているため、その関係がよく取り上げられるが、その詳細は異なる。ハンムラビ法典は上述のように、身分の違いによってその刑罰が異なるのに対し、聖書律法は身分の違いによる刑罰の軽重はない。また、聖書の律法は、神と家族間に対する罪など、倫理的な罪はそれと比べて重い処罰が課せられ、物品等の損害など商業的罪に関してはそれと比べ軽い罪が課せられている(en:Gordon Wenham) [2]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- ↑ 「バビロンの王のハンムラビ法典」 - 執筆:Iselin Claire (d'ap. André-Salvini Béatrice):ルーヴル美術館(日本語版)
- ↑ Wenham, G.J.(1979). The Book of Leviticus : the New International Commentary on the Old Testament (311). Grand Rapids, Mich.; W.B. Eerdmans;