罪刑法定主義
テンプレート:日本の刑法 罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)は、ある行為を犯罪として処罰するためには、立法府が制定する法令(議会制定法を中心とする法体系)において、犯罪とされる行為の内容、及びそれに対して科される刑罰を予め、明確に規定しておかなければならないとする原則のことをいう。対義語は罪刑専断主義。
概要
罪刑法定主義と邦訳されるこの概念はローマ法に原典をもつものではなく、近代刑法学の父といわれるドイツ刑法学者フォイエルバッハにより1801年に提唱されたものである[1]。この原則の淵源は1215年のマグナ・カルタに遡るとされ、そこで謳われた法定手続の保証が英国で再三確認されたのち米国に渡り、1776年ヴァージニア州権利章典8条に、1788年合衆国連邦憲法に、また欧州に戻り1789年フランス革命人権宣言8条がこれを宣言し1791年のフランス憲法に盛り込まれ、以来ほぼ全ヨーロッパ諸国の刑法に採用されることで罪刑法定主義は「近代刑法の大原則」として承認されるに至ったとされる[2]。
根拠
罪刑法定主義の根拠は、以下のように自由主義・民主主義の原理にこれを求めることができる。
- どのような行為が犯罪に当たるかを国民にあらかじめ知らせることによって、それ以外の活動が自由であることを保障することが、自由主義の原理から要請される。
- 何を罪とし、その罪に対しどのような刑を科すかについては、国民の代表者で組織される国会によって定め、国民の意思を反映させることが、民主主義の原理から要請される。
派生原理
罪刑法定主義の派生原理として以下のような事項が要求される[3]。
批判
従来の法律が想定していた可能性を超えた態様の悪意のある事件が発生した場合に、法律規定から処罰が難しかったり刑罰に上限が出来てしまい、悪質だが処罰が難しかったり厳罰にすることができない、という点についてこれを柔軟に処罰することができない罪刑法定主義は批判的に捉えられることもある。
これに対し、罪刑法定主義という観念を有しない伝統的な英米法の法域では、後述のとおり行為時に成文法で禁止されておらず、判例上も犯罪として認知されていなかった行為が、裁判の結果としてコモン・ロー上の犯罪として処罰されることがあり得る。その意味で、コモン・ロー上の犯罪には、「弾力性」がある[4]。
犯行発生当時に従来の法律が想定していなかったような態様の事件としては以下のものがある。
- 電気窃盗事件「電気は、窃盗罪において窃盗の目的とされる『物(財物)』であるか」
- ニセ牛缶事件「表示と中身が似ているが異なる商品の販売」
- よど号ハイジャック事件「旅客飛行機乗っ取りによる国外亡命」
- 天下一家の会事件「ねずみ講構造」
- グリコ・森永事件「毒入りの警告が書かれた毒入り菓子のばら撒き」
- 国利民福の会事件「国債によるねずみ講構造」
- サリンプラント建設事件「サリンの密造」
- 新潟少女監禁事件「長期間にわたる閉所における監禁」
- イカタコウイルス事件「コンピュータウイルスを作成して他者のパソコンに感染させる行為」
- ザ・ムービー事件「情報抜き取り表示がある携帯アプリをダウンロードした人物の全電話帳データを抜きとって、個人情報を悪用する行為」
- 日本航空1402便客室乗務員スカート内盗撮事件「上空を都道府県間を越えて高速で移動する旅客飛行機内でスカート内を盗撮する行為」
- 逗子ストーカー殺人事件「元恋人に婚約解消の慰謝料を要求するメールを短期間に連続で大量に送信する行為」
日本における沿革
律令をはじめとする日本も含めた近代以前の東アジア諸国の法体系においては、刑罰は法律の条文に基づいて行われることにはなっていたが、その一方で社会秩序の維持を名目として、法令に該当しない犯罪を裁く規定である「断罪無正条」や、法令に該当しない軽犯罪の裁判を行政官の情理による裁量に委ねる「不応為条」が必ず設けられており、類似の犯罪行為の規定からの類推適用が許されており、「法律なくして犯罪なし」とする罪刑法定主義の主旨とは対極に位置していた。これは東アジアの法体系における刑罰は厳格な絶対的法定刑(固定刑)を原則としており、こうした類推適用は国家や官吏の擅断によって刑罰が行われる危険性を持つ一方で、「法の欠缺補充機能」及び「減刑機能」によって絶対的法定刑を原則とする刑事法の弾力的運用を図るという側面を有していた。このため、こうした類推適用を排して罪刑法定主義を導入するためには法定刑の仕組を見直すなどの法体系の抜本的な変更を必要とした[5]。
罪刑法定主義が日本で採用されるのは明治時代の旧刑法施行以後のことであり、大陸法の影響を受けた明治憲法(第23条)や、現行の日本国憲法(第31条、第39条)には罪刑法定主義に該当する条文が存在する。ただし、現行刑法には罪刑法定主義について直接触れた条項は存在しない[6]。
英米法
英米法は、伝統的に罪刑法定主義の観念を有さず、裁判所は、成文法で禁止されていない行為であっても、コモン・ロー上の犯罪として、適当な刑罰を科すことができる。この法理は、現在でも、イギリスやアメリカの多くの法域において維持されている(他方で、現在では、法域によって、議会制定法が罪刑法定主義に相当する規定を定め、この法理を制限している場合もある。)[7]。
コモン・ロー上で「犯罪」とされる行為の多くは、「先例」によって古くから「犯罪」とされてきた行為であるが、「先例のない行為」であっても、新たに「コモン・ロー上の犯罪行為」として認知され、刑罰を科されることがある。例として、イギリスのShaw事件(1961年)[8]やアメリカのMochan事件(1955年)[9]などがある[10]。
英米法においても、「事後法の禁止」という考え方は一応存在する(アメリカ合衆国憲法第1編9節3項、10編1節など)。しかし、新たに「コモン・ロー上の犯罪」を認めたとしても、「事後法の禁止」に抵触しないとされる。コモン・ローは、「十全な体系として昔から存在するものであり、判例は、それを宣明するものにすぎない」という立場に基づいて正当化されている[11]。但し、人権意識の進展した近年においては、デュー・プロセス・オブ・ローの拡張概念であるテンプレート:仮リンクの理論により、可罰性の拡大は非常に謙抑的なものとなっており、実質的な罪刑法定主義的抑制は機能しているといえる[12]。
参考
- マグナ・カルタ第39条
- Nullus liber homo capiatur, vel imprisonetur, aut disseisiatur, aut utlagetur, aut exuletur, aut aliquo modo destruatur, nec super eum ibimus, nec super eum mittemus, nisi per legale judicium parium suorum vel per legem terre.
- いずれの自由人も、同輩による適法の審判又は国法によるのでなければ、逮捕、収監、押収、追放他一切の侵害を受けることはなく、我々は、それを及ぼすこともない。
- 大日本帝国憲法第23条
- 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ
- 日本国憲法第31条
- 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
脚注
関連項目
- ↑ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[1][2]PDF-P.3,P.9
- ↑ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[3][4]PDF-P.9,10
- ↑ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[5][6]PDF-P.10,P.11
- ↑ 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁。
- ↑ 岩谷十郎『明治日本の法解釈と法律家』(慶應義塾大学法学研究会、2012年)P177・P187・203
- ↑ これは、現行刑法制定時において、すでに明治憲法第23条が存在しており、自明のこととして規定されなかったと説明されるが、当時、刑法学会では牧野英一の指導の下、新派刑法学が有力であって、その思想の下、裁判官の裁量権限を強め、法規に対する拘束力を相対的に弱めた新刑法の基本的態度の反映と見られている(町野朔他『刑法学の歩み』(有斐閣新書))
- ↑ 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁。
- ↑ Shaw v. Director of Public Prosecutions [1962] A.C. 220.
- ↑ C. v. Mochan, 110 A.2d. 788 (Pa.Super.Ct.1955).
- ↑ 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁,Loewy, Arnold H. "Criminal Law". 4th Ed., West Groop, 2003, 300.
- ↑ 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁。
- ↑ テンプレート:Cite journal など