偕楽園
テンプレート:公園 偕楽園(かいらくえん)は、日本の茨城県水戸市にある日本庭園である。国の史跡及び名勝に指定されており(指定名称は「常磐公園」)、隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた「偕楽園公園」は、都市公園としてニューヨークのセントラルパークに次ぎ世界第2位の面積を持つ[1][2][3][4][5]。また伝統的に、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられてきた。現在、茨城県営の都市公園(広域公園)として管理・運営されている[6]。
概説
偕楽園には、拡張部を含めない本園部分だけで100種3000本のウメ(梅)が植えられている[7]。園内には梅の異名「好文木」に由来する別荘好文亭[8]があるが、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に基づいている。水戸弘道館は偕楽園と一対の施設であり、同じく梅の名所である。
水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は、1833年(天保4年)藩内一巡後、常陸国(茨城県)水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を持った。同じく彼の大胆な藩政改革構想に成った日本最大の藩校弘道館で日夜文武に修行する藩士の余暇休養の場へ供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと、この巨大な大名庭園は斉昭自らにより「偕楽園」と名づけられた。偕楽とは中国古典である『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から援用したもので、斉昭の揮毫『偕楽園記』では「是れ余が衆と楽しみを同じくするの意なり」と述べられている[9]。水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神によりこの水戸家の庭園は、江戸時代当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた[10]。伝統を受け継ぎ、いまなお偕楽園は日本三名園のうちで唯一、入園無料である(ただし、前述の好文亭を利用する場合は有料)。
偕楽園では毎年2月下旬から3月下旬に、水戸の梅まつりが開催される。水戸の梅まつりは、2014年時点で118回開催された。開催期間中には多数の観光客で賑わい、キャンドルライトを使って梅をライトアップする夜梅祭や茶会など、種々様々な催し物が行われる。また園内で4月には水戸の桜まつり、5月には水戸のつつじまつり、9月には水戸の萩まつりが行われる。偕楽園公園を含め8月には水戸黄門まつりが行われる。関連の観光大使として茨城県水戸市により水戸の梅大使が毎年選出されている。
広さは偕楽園部単体で約58haうち本園が約13haあったが、茨城県は平成11年(1999年)7月、隣接する千波湖を含む千波公園及び緑地帯とあわせて園の名称を「偕楽園公園」とする構想を発表、面積の合計を300haに拡張した[11]。
略史
- 1829年(文政12年):10月17日、徳川斉昭、第9代藩主となる。
- 1833年(天保4)4月~5月:斉昭は藩内を一巡後、常磐町 (水戸市)の高台、元七面山と称した地に回遊式庭園を設けることを決定。
- 1839年(天保10年)5月:『偕楽園記』(園創設の趣旨と経過)成る。
- 1841年(天保12年)4月:建設着手。
- 1842年(天保13年)7月1日:偕楽園開園[12]。
- 1874年(明治7年)5月12日:園の一部(1.1ha)に常磐神社を創建。
- 1890年(明治23年)10月:昭憲皇太后行啓の際御成門を造り、園路を開き記念植樹(御幸の松)をする。
- 1892年(明治25年):水戸市の管理に移る。
- 1902年(明治35年):大正天皇が皇太子の時、好文亭梅の間へ宿泊する。
- 1912年(大正1年)10月25日:昭和天皇が皇太子の時、学習院生徒として来園、好文亭前に松を手植えする。
- 1920年(大正9年):4月1日、再び県の管理となる。
- 1922年3月8日:常磐公園の名で国の史跡及び名勝に指定される(史跡名勝天然記念物保存法)。管理団体は茨城県。
- 1932年(昭和7年)2月11日:偕楽園と旧称に復す。
- 1945年:好文亭が水戸空襲で焼失(1958年復元)
- 1948年(昭和23年)4月19日:都市公園となり、偕楽園公園と称す。
- 1957年(昭和32年)6月6日:園名を偕楽園、と再度改称(都市公園の設置及び管理条例により創園時の名称に復す)。
- 1963年(昭和38年)3月:見晴らし広場に左近の桜植樹(左近の桜については水戸弘道館を参照)。
- 1969年:好文亭が落雷で再度焼失(1972年に復元)
- 1974年(昭和49年)10月20日:第29回国民体育大会に際し、昭和天皇・香淳皇后行幸。
- 1993年(平成5年)4月22日:秋篠宮文仁親王・同妃好文亭に来亭。
- 1999年(平成11年)7月1日:園辺の緑地を合わせた呼び名を偕楽園公園と称し、300haの公園構想を発表。
- 2001年(平成13年)11月12日:かおり風景100選(環境省)に認定される。
- 2006年:第1回夜梅祭開催。
- 2007年9月28日:水戸藩の学問・教育遺産群の一部として世界遺産の暫定リストに入るべく、文化庁に提案。
- 2011年
- 2012年
陰陽の世界
偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗りであることから黒門とも呼ばれている[13]。表門から園内に入り、一の木戸と呼ばれる門を潜ると、偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)やスギ(杉)の鬱蒼した林の中を進む道が続いている[13][14]。この道に沿って東へと進み、幾つかの門を経由して好文亭へと至ると風景が一転し、千波湖を一望する高台に位置する、明るく華やかな一面の梅林へと到着する[14]。
好文亭付近には、偕楽園創設の趣旨を記した石碑『偕楽園記の碑』があり、自然界の陰と陽の調和についての説明がある。偕楽園は西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界を、北東の梅林が陽の世界を表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれ、表門から入ってこそ園の設計に沿った、偕楽園本来の魅力を堪能することができるのだと解釈する説もある[14]。
一方、現代においては、表門は偕楽園駅や主要な駐車場から遠く離れており、この門から入園する観光客は少ない。現在は梅林へと直接通じる東門が主要な出入り口として利用されている[13]。
交通アクセス
- 水戸駅(JR常磐線、水郡線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)より路線バス。バスの運行会社によりバス停の位置が異なるので注意が必要である。
- JR常磐線土浦駅、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX線)より高速バス
- 東京駅八重洲南口5番乗り場より高速バス
- JR常磐線偕楽園駅(臨時駅[15]。梅まつり期間中の土日祝のみ開設され、上野・小山→水戸の下り方向のみ停車する。上り線にはホームが無いため、梅まつり期間中でも全列車が通過する。)から徒歩5分。
園内施設と画像
- 偕楽園本園
- 好文亭
- 待合
- 好文亭表門(黒門)
- 偕楽園記碑
- 観梅碑
- 仙奕台(せんえきだい)
- 僊湖暮雪碑(せんこのぼせつひ)
- 向学立志の碑
- 暁鐘
- 子規の句碑 - 崖急に梅ことごとく斜めなり
- 南崖(なんがい)の洞窟
- 吐玉泉(とぎょくせん)
- 御幸の松
- 左近の桜
- 孟宗(もうそう)竹林
- 太郎杉
- 笹の叢
- 桜山、丸山
- 偕楽園の梅(水戸の六名木)
- 二名匠の碑
- 遺徳の碑
- 拡張部(偕楽園公園)
- 茨城百景の碑
- 常磐神社、常磐神社義烈館
- 東湖神社
- 杉山売店
- 売店大和亭
- もみじ谷
- 玉龍泉(ぎょくりゅうせん)
- 田鶴鳴(たづなき)梅林
- 猩々(しょうじょう)梅林
- 窈窕(ようちょう)梅林
- 月池
- 千波湖
- 桜川
- 大噴水、小噴水
- 風の鼓動
- 四季の原
- 螢谷
- 徳川斉昭公七郎麻呂(慶喜公)像
- 徳川光圀公像
- 好文カフェ
- 好文茶屋
- 千波公園
- さくら広場
- 茨城県立歴史館
- Kairaku-en plum tree forest.jpg
本園内の北東側に広がる梅林
- Kairaku-en south garden.jpg
本園南面の崖下側にある庭園
- Kairaku-en Park extension ground.jpg
本園から見た偕楽園公園の拡張部
- Kairaku-en Kobuntei view form extension ground.jpg
偕楽園公園(拡張部)から見た好文亭
- Togyakusen (a natural spring in Kairakuen).JPG
吐玉泉
- Taro-Sugi (the tallest cedar in Kairakuen).JPG
太郎杉
- Senekidai (Kairakuen).JPG
仙奕台
姉妹公園
1992年、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡テンプレート:仮リンク市のシャバラム地域公園 (Peter F. Schabarum Regional Park) と姉妹公園になった[12]。シャバラム地域公園には250本の梅の木と115本の桜の木が植えられており[16]、桜祭りなどのイベントも行われている[17]。
脚注
関連項目
外部リンク
- 偕楽園オフィシャルサイト
- 水戸黄門ホームページ(常磐神社社務所)
- 社団法人水戸観光協会
- 国指定文化財等データベース
- ↑ 水戸市、2014年3月閲覧。
- ↑ 観光茨城、2014年3月閲覧。
- ↑ 茨城県立歴史観、2014年3月閲覧。
- ↑ 常磐神社社務所、2014年3月閲覧。
- ↑ 水戸観光協会、2014年3月閲覧。
- ↑ 茨城県県営都市公園一覧
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 現在、偕楽園と川を挟んで相対する水戸市白雲岡の地に徳川斉昭は最初に園を造ろうとしたが、狭かったため梅園の代わりに数百本の桜樹を植え、休息所としてもうひとつ一遊亭を建てた。この故事は水戸市の地名桜山の由来となり、2014年現在一遊亭跡が残っている。
- ↑ 偕楽園記、2014年3月閲覧。
- ↑ 武士以外の者の入園について、初め神官、修験、僧侶など宗教関係者に限られていたが、次第に庶民一般にも及んだ。また、他国の者の入園は許可されていなかった。偕楽園、2014年3月閲覧。
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「aimin
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 13.0 13.1 13.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 14.0 14.1 14.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web