橋本駅 (和歌山県)
橋本駅(はしもとえき)は、和歌山県橋本市古佐田一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・南海電気鉄道の駅。
目次
概要
橋本市の代表駅で、JR西日本と南海電気鉄道との共同使用駅である。JRの駅としては駅長が配備された直営駅であり、管理駅として和歌山線の大和二見駅 - 船戸駅間を管理しているほか、構内には橋本運転区の事務所(かつての橋本鉄道部)がある。南海電鉄も国鉄時代から駅長を配置していたが、書類上の肩書は国鉄がJRになるまで隣の紀伊清水駅長となっていた。
JR・南海ともに、当駅を通る全営業列車が停車する駅である。南海では、かつて当駅でズームカー[1]ほか、多数の列車増解結が行われていた。しかし、現在では大運転の本数が減り、難波駅 - 当駅間を通勤車両(高野山方面入線不可車両)が往復している。そのため、難波駅 - 当駅間のほとんどの急行は当駅で、当駅 - 高野下駅または極楽橋駅発着の各駅停車と接続している。
その他、万一の急病人発生に備えて自動体外式除細動器 (AED) が1台設置されており全駅係員が迅速かつ適切に対応できるよう講習と訓練を受けている。近年、子供を狙った犯罪から守るため「こども110番の駅」にも指定されている(JRのみ)。
毎年8月に行われる「紀ノ川祭」の際には花火の見物客で激しく混雑し、改札制限することもある。
ICカード等(南海のみ利用可能)の詳細に関しては後述。
利用可能な鉄道路線
駅構造
JR和歌山線は片面・島式2面3線、南海高野線は島式1面2線を使用。各ホームへは橋上駅舎・跨線橋で連絡している。南海側には留置線があるが、検車区が移転したために規模は縮小されている。
長らく駅舎とJR・南海ホームは老朽化した跨線橋だけで結ばれており、トイレもユニバーサルトイレが無いなどバリアフリー化の遅れた状況が長らく続いていた。これらの問題を解消するためにエレベーターの設置をはじめとする駅舎施設の整備が2010年3月から始まり、同年4月から本格工事が開始され[2]、2011年3月1日[3]に南海橋上駅舎とエレベーター付き跨線橋が完成した。
JRと南海が駅入口を共有しているが、バリアフリー化工事完成に伴って南海切符売り場と改札口は橋上駅舎に移った。JR切符売り場と改札口は従来のまま地上に設置されているが、南海橋上駅舎にもJR線の券売機・改札口が設置されている。両社でスルッとKANSAI各種カードは使える。南海ではPiTaPaやICOCAが使用でき、それらへの入金は改札外では南海の窓口またはピンク色券売機で、改札内では南海線ホーム上の窓口で、それぞれ行うことができる。
以前、JR⇔南海の乗り換えの際に改札口を出て切符を買い直す事の無いよう、跨線橋の通路にそれぞれの簡易券売機と簡易自動改札機が設置(2・3番のりばにも簡易自動改札機を設置)されていたが、現在はJR・南海の改札が分離されている。ただし、南海の改札のほぼ正面に先述のようにJR線の券売機・改札口が(南海も含めて改札内には精算機も)設置されており、地上駅舎まで迂回しないで済むように配慮されている。なお、こちらの改札(元乗り換え改札口)は分離時に終日無人となった。
南海高野線ホームには、特急券発売窓口(運賃精算・ICカードチャージも可)・列車停止位置表示機能の付いたフルカラーLED式行先案内表示機、および極楽橋方面へのワンマン運転用のミラーが設置されている。また、当駅より極楽橋駅まで、駅名標がオリジナルのものに変更されている。この駅名標は2009年に順次取り付けられたものであり、4か国語対応の案内や、駅の標高などが記してある[4]。
トイレは、以前は改札外1か所・改札内2箇所(南海・JR1か所ずつ)に設置されていたが、バリアフリー化工事完成後はJR改札内トイレが無くなった。なお、南海の便所には女性用のみ洋式個室がある。南海の便所とホームの屋根は繋がっておらず一旦屋根のない部分を通る必要がある。ホーム屋根の終端部には傘が用意されているがこれは職員用であり、傘立てにもその旨が書かれている。また、ユニバーサルトイレについても改札外は一般の便所と併設されているが、南海側は従来のトイレが狭隘な場所にあるために組み込めず、橋上駅舎下に単独で設置されている。
JR・南海両社とも、駅自動放送の設備をこの駅に対応させていないため、駅係員が適宜肉声によって案内放送を行う。特に南海は、車両の増解結や回送・入換列車の通過・停車が頻繁に行われることに加え、2005年からは極楽橋方面ワンマン列車と難波方面が同一ホームに停車し始めるなど、自動放送を導入しづらい事情がある。南海では、当駅以北で駅自動放送設備が充実している一方、当駅以南の駅で肉声案内放送が行われる駅は、極楽橋駅と高野山駅が主であり、その他の駅では肉声での案内放送すら行われない。
かつて改札内の1番線にある待合室には、地元から寄贈された本が多数あるためにミニ図書館の役割を果たしており、待合時間を有効に活用出来た。バリアフリー化工事完成後は改札外に移され、引き続き地元の憩いの場となっている。
のりば
乗り場番号はJR・南海で通しとなっており、1 - 3番のりばがJR和歌山線ホーム、4・5番のりばが南海高野線ホーム(4・5番のりばともに上下線関係なく使用)となっている。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:ColorJR和歌山線 | 下り | 粉河・和歌山方面 | ただし当駅始発は2番のりば |
2・3 | テンプレート:ColorJR和歌山線 | 上り | 五条・王寺方面 | |
4・5 | テンプレート:Color南海高野線 | 上り | なんば方面 | 2線とも上下線共用 |
下り | 極楽橋・高野山方面 |
かつては終日和歌山方面からのJRの列車が2番のりば(中線)で折り返していたが、その後減便により昼間時以外のみ折返し列車が入り、それ以外では線路保守目的で1日1本の五条方面への列車が入る程度であった。しかし2010年3月のダイヤ改正で当駅 - 粉河駅間が保守工事運休対象から外されたことにより、保守工事運休実施時間帯の和歌山方面からの列車が2番のりばで折り返すことになったため、日中の五条方面の列車は保守工事有無に関係なく2番のりばへの発着に変更され、3番のりばの使用は朝晩のみとなった。 テンプレート:駅配線図
利用状況
各年度の1日平均乗降人員数は下表のとおり。
年度 | 西日本旅客鉄道 | 南海電気鉄道 | 出典 | |
---|---|---|---|---|
乗降人員 | 乗降人員 | 順位 | ||
1980年(昭和55年) | 12,816 | 11,284 | - | [5][7] |
1985年(昭和60年) | 12,712 | 10,437 | - | [5][7] |
1990年(平成 2年) | 5,898 | 10,503 | - | [5][7] |
1995年(平成 7年) | 6,620 | 11,388 | - | [5][7] |
2000年(平成12年) | 6,338 | 10,790 | - | [5][7] |
2001年(平成13年) | 6,176 | 10,413 | - | [5][7] |
2002年(平成14年) | 5,680 | 10,271 | - | [5][7] |
2003年(平成15年) | 5,502 | 9,951 | - | [5][7] |
2004年(平成16年) | 5,602 | 9,779 | 29位 | [5][7] |
2005年(平成17年) | 5,486 | 9,492 | - | [5][7] |
2006年(平成18年) | 5,472 | 9,361 | - | [5][7] |
2007年(平成19年) | 5,240 | 9,354 | - | [5][7] |
2008年(平成20年) | 5,312 | 9,254 | - | [5][7] |
2009年(平成21年) | 5,160 | 8,905 | - | [5][7] |
2010年(平成22年) | 5,176 | 8,763 | - | [5][7] |
2011年(平成23年) | 5,470 | 8,927 | 30位 | [5][6] |
上表の通り互いの利用者の比較は、1980年と1985年は国鉄が南海を少し上回っていたが、JRになった後の1990年以降はこれが逆転している。
駅周辺
橋本市の中心街となっている。駅前にはバスロータリーあり。市役所などの官公庁は当駅から西寄り、国道24号沿いに集中している。
公的機関
- 橋本市役所
- 橋本市民会館・教育文化会館
- 橋本市保健福祉センター
- 橋本市消防本部
- 橋本簡易裁判所
- 橋本地方合同庁舎
- 橋本労働基準監督署
学校
- 和歌山県立古佐田丘中学校・橋本高等学校
- 橋本市立橋本中学校
- 橋本市立橋本小学校
商業施設等
観光施設等
路線バス
歴史
- 1898年(明治31年)4月11日 - 紀和鉄道開業当初の終着駅として設置。
- 1900年(明治33年)11月25日 - 当駅から粉河駅まで路線延伸し和歌山駅(現・紀和駅)まで直結。途中駅となる。
- 1904年(明治37年)8月27日 - 紀和鉄道の路線が関西鉄道に譲渡され、同社の駅となる。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。和歌山線の所属となる。
- 1915年(大正4年)
- 1922年(大正11年)9月6日 - 大阪高野鉄道合併により国鉄と南海鉄道の駅となる。
- 1924年(大正13年)11月1日 - 南海高野線が当駅から学文路駅まで延伸。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 南海鉄道が近畿日本鉄道と合併。国鉄と近鉄の駅となる。
- 1945年(昭和20年)7月24日 - 米軍機により駅舎や2番線上りホームに停車中の貨物列車に機銃掃射を受け、駅構内で5名、周辺で2名が死亡。
- 1947年(昭和22年)6月1日 - 旧南海鉄道の路線が近鉄から南海電気鉄道に譲渡され、国鉄と南海電気鉄道の駅となる。
- 1959年(昭和34年)7月30日 - 駅舎改築工事竣工[8]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本と南海電気鉄道の駅となる。
- 1995年(平成7年)
- 2005年(平成17年)10月16日 - 南海高野線の当駅以南でワンマン運転開始。
- 2011年(平成23年)3月1日 - 南海橋上駅舎とエレベーター付き跨線橋などのバリアフリー化工事が完成[3]。
鉄道唱歌
鉄道唱歌第5集(関西・参宮・南海篇)(1900年(明治33年)作詞)43番の歌詞にて、当駅が登場する。なお、作詞当時において現在の南海の橋本・九度山・高野山の各駅は存在していないため、歌詞中の「橋本」は紀和鉄道の橋本駅のことである。 テンプレート:Indent
その他
- 駅前広場には「まことちゃん」の像があるが、作者である漫画家の楳図かずおは、ともに隣町である高野町生まれ・五條市育ちである。
- JR線の長距離乗車券では横浜線の橋本駅と区別するため、「(和)橋本」と印字される。
- 1945年7月24日の米軍機による機銃掃射の際の弾痕が跨線橋下の倉庫の板壁に残っていたが、2010年にバリアフリー化工事で跨線橋ごと取り壊される事となり、市民有志が板壁の一部と「大正元年九月 鉄道院 東京月島機械製作所製造」の刻印がある跨線橋柱を譲り受けた。板壁と跨線橋柱は近くの丸山公園・地蔵菩薩像前に移設保存され、2011年7月22日に板壁保存記念・犠牲者追悼式典が営まれた[9][10][11]。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color和歌山線
- 南海電気鉄道
- テンプレート:Color高野線
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color各駅停車
脚注
- ↑ ズームカーとは主に難波駅 - 高野下駅・極楽橋駅間の直通運転(大運転)を行う列車のことである。
- ↑ 出典:橋本市:JR・南海 橋本駅 バリアフリー化整備工事のお知らせ〜4月から本格工事が始まります〜テンプレート:リンク切れ (橋本市公式サイト 企画部 企画経営室のページより)
- ↑ 3.0 3.1 JR・南海「橋本駅」バリアフリー工事完成|高野山麓 橋本新聞 - 橋本新聞社 2011年3月1日発信
- ↑ 南海電鉄 高野線 こうや花鉄道 天空|こうや花鉄道プロジェクト/これまで実施したプロジェクト - 「南海高野ほっと・ねっと」内
- ↑ 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 テンプレート:PDFlink - 和歌山県
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 高野線・乗降人員 - 南海アド
- ↑ 7.00 7.01 7.02 7.03 7.04 7.05 7.06 7.07 7.08 7.09 7.10 7.11 7.12 7.13 7.14 テンプレート:PDFlink - 和歌山県
- ↑ 天王寺鉄道管理局三十年写真史P203 年表
- ↑ 戦争語り継ぐJR橋本駅の銃弾跡残る板壁、丸山公園内に移設展示へ。傷痍軍人会/高野山麓 橋本新聞2011年3月1日更新
- ↑ 橋本駅「銃痕板壁」保存式遺族ら50人冥福祈る/高野山麓 橋本新聞2011年7月22日更新
- ↑ いま問う平和:'11夏 戦争の証人、遺族ら追悼 橋本駅跨線橋の板壁保存/和歌山テンプレート:リンク切れ毎日新聞2011年7月23日地方版