紀陽銀行
株式会社紀陽銀行(きようぎんこう、The Kiyo Bank, Ltd.)は、和歌山県和歌山市本町に本店を置く地方銀行。
概要
2006年(平成18年)10月10日、和歌山県に本店を置いていた同じく紀陽ホールディングスの完全子会社で第二地方銀行だった和歌山銀行を吸収合併した。これ以前に阪和銀行が経営破綻していたことから、紀陽銀行は県に本拠を置く唯一の銀行となった。また2013年10月1日には、親会社である紀陽ホールディングスを吸収合併し、東証にテクニカル上場・再上場した[1][2]。
和歌山県、和歌山市の指定金融機関であり[3][4]、合併後、県内の貸出金残高シェアでは46%を占めており、圧倒的なシェアとなった。また、個人貯蓄が全国的に多い同県において、預金残高38%と高いシェアとなっている。
大阪府・奈良県および東京都に支店・出張所を出店している。かつては海外や名古屋にも拠点を置いていた。大阪市内に店舗を数店構えているが、府内の拠点は安藤忠雄の設計した堺支店(堺市)である。同市のメインストリートである大小路と大道筋の交差点に立地しており、界隈のランドマーク的役割を担っている。
大阪府内には比較的早くから進出しており、府中南部に34もの支店を構えている。また、府内では預金残高の24%、貸出金残高の43%を占めている。和歌山銀との合併を契機とし、今後も更に堺市以北の地域を強化していく方針である。具体的には、大阪市内を中心に5店舗支店を新設する計画を打ち出しており、既に一部支店では営業を始めている。
2015年5月、創立120周年を迎えるに当たり、イメージキャラクターとして和歌山県出身の田中理恵を起用。TVCM等に出演している[5]。
沿革
- 1895年(明治28年)5月2日 - 紀陽貯蓄銀行として設立。
- 1922年(大正11年) - 普通銀行に転換、株式会社紀陽銀行に改組。
- 1997年(平成9年)11月25日 - 経営不安の風評が流布され、和歌山市内の複数の店舗で取り付け騒ぎが発生。数日で約3000億円の預金が流失。
- 2005年(平成17年)3月16日 - 和歌山銀行との持株会社方式による経営統合に合意。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)6月18日 - 同行初のネット上の支店として、インターネット支店が開業。
- 2010年(平成22年)5月4日 - 勘定系システムをBankVisionへ移行し、稼働を開始[6]。
- 2013年(平成25年)
コンビニATM
店舗外ATM
関連会社
- 紀陽ビジネスサービス株式会社
- 阪和信用保証株式会社
- 紀陽リース・キャピタル株式会社
- 株式会社紀陽カード
- 株式会社紀陽カードディーシー
- 紀陽情報システム株式会社
過去に在籍した著名人
かつては体操を支援し、日本トップレベルの強豪として多数の名選手を輩出したが、バブル崩壊と共に廃部した。紀陽銀行体操部は徳洲会体操部に受け継がれている。
- 岡村輝一 - 1972年(昭和47年)ミュンヘン五輪男子団体金メダル
- 森末慎二 - 1984年(昭和59年)ロス五輪男子鉄棒個人金メダル
- 梶谷信之 - ロス五輪男子平行棒銀メダル
- 外村康二 - 1988年(昭和63年)ソウル五輪男子団体銅メダル
- 小西裕之 - ソウル五輪男子団体銅メダル
- 畠田好章 - 1992年(平成4年)バルセロナ五輪男子団体銅メダル
- 田中光 - 1996年(平成8年)アトランタ五輪出場
ギャラリー
- Kiyo-Bank,Sakai branch.jpg
堺支店
脚注
注
- ↑ 同年11月13日までに315億円が注入された。この法律の適用に基づく地域金融機関への公的資金注入は初である。
- ↑ 和銀の6ヶ店(合併前に本店営業部から改称していた和歌山中央支店を含む)を紀陽銀の店舗として存続させ、残り28ヶ店を近隣の紀陽銀行各既存店舗へ統合。