四条畷駅
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四条畷駅(しじょうなわてえき)は、大阪府大東市学園町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の駅である。
概要
四條畷市の代表駅であるが、当駅は大東市に所在している。1895年の開業時は、四條畷という自治体はまだ存在せず、四條畷といえば、四條畷古戦場に基づく広域地名であり、現在の大東市側が四条村、四條畷市側が甲可村だった。ちなみに、甲可村は1932年に改称して、四條畷村になる。
また、表記については当用漢字(現・常用漢字)推進の影響で「四条畷」となっているが、もとは市名の表記と同様に「四條畷」であった(地名表記については表記 「四條畷」と「四条畷」も参照)。四條畷市が「四條畷」への駅名表記変更を2004年より要望しているが、JR西日本は「自治体の要望による駅名の改名は原則自治体費用負担で行う」としているため、数億円の費用がかかる改名は実現していない[1]。
駅構造
待避設備を備えた島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。改札口は1ヶ所のみ。
2006年3月9日からエスカレーター、同年3月27日からエレベーターが稼動を開始。エレベーターは改札外にも設置されている。
1・2番のりば(京橋方面行)の最下層に1895年の浪速鉄道四條畷駅開業当時のレンガ造りホームが現在も残っており、反対側ホームから見ることができる。
駅長が配置された直営駅であり、管理駅として星田駅 - 鴻池新田駅間の各駅を管轄している。おおさか東線放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業までは徳庵駅や放出駅も管轄していた。ICカード乗車券「ICOCA」を利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
のりば
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2 | テンプレート:Color学研都市線 | 下り | 京橋・北新地・尼崎方面 | 一部の当駅始発は4番のりば |
3・4 | 上り | 松井山手・木津方面 |
- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
- 1番のりばが下り待避線、2番のりばが下り本線、3番のりばが上り本線、4番のりばが上り待避線である。全のりばが京橋方面からの列車の折り返しに対応している。
ダイヤ
日中は1時間あたり快速4本、各駅停車が4本の合計8本が停車する。この時間帯は相互接続の設定があり、内側の2・3番のりばには快速、外側の1・4番のりばには各駅停車が停車する。
朝晩には当駅折り返しの各駅停車も設定されており、基本的に1・4番のりばに停車する[2]。当駅に折り返し列車が設定される時間帯は、折り返し列車により線路が塞がるため、緩急接続が住道駅で行われる。相互接続がない各駅停車は2・3番のりばに停車する。2番のりばに当駅折り返しの各駅停車が停車している間は、快速も1番のりばに停車する。2002年3月22日までは折り返し列車が日中にも設定されていた。
夜間の当駅止まりの列車は、放出駅まで回送されるか、当駅に留置されるかのどちらかである。
利用状況
大阪府統計年鑑[3]によると、一日の平均乗車人員は下表の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 19,409 |
1998年 | 19,005 |
1999年 | 18,665 |
2000年 | 18,466 |
2001年 | 18,562 |
2002年 | 18,281 |
2003年 | 18,513 |
2004年 | 18,298 |
2005年 | 18,201 |
2006年 | 18,306 |
2007年 | 18,539 |
2008年 | 18,652 |
2009年 | 18,410 |
2010年 | 18,608 |
2011年 | 18,680 |
2012年 | 18,771 |
駅周辺
- 楠公通り商店街
- 四條畷神社(東へ1Km)
- 飯盛山城跡(東へ2.5Km)
- 和田賢秀墓地(北へ1Km)
- 楠正行墓地(西へ400m)
- 大阪府立四條畷高等学校
- 四條畷学園高等学校・中学校
- 四條畷学園短期大学
- 四条畷学園小学校
- 四条畷学園幼稚園
- 大阪電気通信大学 四条畷学舎
- 北新町公園
- 絵日傘ハイキングコース(東南へ8Km)
- 室池ハイキングコース(東へ5Km)
- 大阪特殊自動車学校(送迎バス利用)
- ファミリーマート 四条畷駅前店
- 近畿大阪銀行
バス路線
周辺のベッドタウン化に伴い、バスの拠点となっているが、周辺道路は狭く、バスが1車線の狭い道を通っているところもある。
- 京阪バス(四条畷駅停留所)
- 21号経路:京阪大和田駅 行(国道中野、猪鼻橋経由)
- 33号経路:寝屋川市駅 行(砂、電気通信大学前〈寝屋川本校〉経由。このバスのみ交野営業所が管轄)
- 四條畷市コミュニティバス
- 1号経路:さつきヶ丘公園 行(清滝団地、逢坂、飯盛霊園、田原台一丁目、グリーンホール田原、緑風台経由)
- 忍ケ丘駅 行(市民総合センター経由)
- 2号経路:緑風台 行(清滝、逢坂、田原台一丁目経由)
- 4A号経路:さつきヶ丘公園 行(四条畷神社伊勢屋前、〈清滝トンネル・土休日は緑の文化園〉、田原台一丁目、田原台センター、緑風台経由)
- 西部1循環経路:四條畷市役所、蔀屋公民館、堀溝三丁目(堀溝小学校)方面
- 1号経路:さつきヶ丘公園 行(清滝団地、逢坂、飯盛霊園、田原台一丁目、グリーンホール田原、緑風台経由)
- かつて大阪市営バスが乗り入れていた時期があった、現在も市販の道路地図には、「四条畷駅(市・京阪)」の表記がなされている。
- 近鉄バス(四条畷停留所)
歴史
浪速鉄道の終点として開業し、関西鉄道が買収した。城河鉄道の免許線を建設し、両者合わせて名古屋 - 大阪間の本線として機能させるものであったが、大阪鉄道の買収により本線が湊町駅(現在のJR難波駅)起点になったため、当駅は支線の途中駅になった。1907年の国有化後に線路名称設定で片町線となり、大阪側が1932年に電化された際には電車終点駅となった。それ以来同線の運行上の拠点となっている。長尾駅まで電化区間が延長された後も半数近くの列車は片町駅 - 当駅間の区間運転で残り、電車での運転系統は大半が片町発着であった。その後、片町駅の留置線の敷設に伴って京橋発着の運転系統が設定され、朝晩に京橋駅 - 当駅間の列車が設定されている。
年表
- 1895年(明治28年)8月22日 - 浪速鉄道片町駅 - 当駅間開業に伴い、同線の終着駅として設置。
- 1897年(明治30年)2月9日 - 関西鉄道に譲渡。
- 1898年(明治31年)4月12日 - 関西鉄道が長尾駅まで延伸し、途中駅化。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 鉄道国有法により、国有鉄道の駅になる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、桜ノ宮線の所属となる。
- 1913年(大正2年)11月15日 - 線路名称改定。桜ノ宮線が片町線に編入され、当駅もその所属となる。
- 1932年(昭和7年)12月1日 - 片町駅 - 四条畷駅間の電化に伴い、電化と非電化の境界駅となる。
- 1950年(昭和25年)12月25日 - 四条畷駅 - 長尾駅間が電化され、電化と非電化の境界駅が長尾駅に移行。
- 1978年(昭和53年)4月10日 - 2面3線を4線に拡張し、橋上駅舎完成[4]。
- 1979年(昭和54年)10月1日 - 当駅を含む長尾駅 - 片町駅間の各駅に、関西の国鉄線では初の自動改札機を設置(JR東西線開業で交換)。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始[5]。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color学研都市線(片町線)
- テンプレート:Color快速
- テンプレート:Color区間快速
- 忍ケ丘駅 - 四条畷駅 - 住道駅
- テンプレート:Color普通
- 忍ケ丘駅 - 四条畷駅 - 野崎駅
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 「四条畷」→「四條畷」に数億円? JR、依然変更されず - 産経新聞、2010年1月30日。
- ↑ 但し、朝ラッシュ時は2番のりばになることがあり、深夜時の回送列車に限り3番のりば折り返しもある。
- ↑ 大阪府統計年鑑 - 大阪府
- ↑ 学研都市線の歴史年表 - 片町線複線化促進期成同盟会
- ↑ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日