参議院議長
テンプレート:政治の役職 参議院議長(さんぎいんぎちょう)は、参議院において秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、参議院を代表する役職(国会法19条)。なお、参議院議長の職務を代行する職である参議院副議長や仮議長についても述べる。
目次
概要
衆議院を代表する衆議院議長とともに、立法府を司る三権の長である。参議院議長は憲法上及び国会法上の国会の役員であり(日本国憲法第58条1項、国会法16条1号)、参議院議員の中から1名、議院によって選出される。
憲法上はともかく、参議院議員が内閣総理大臣に選出されたことはなく(大日本帝国憲法下では、上院の貴族院議員が内閣総理大臣に任命されたことはある。また、日本国憲法下でも首相指名選挙で参議院議員に票が投じられた例は多数ある)、議院内閣制をとる諸国でも首相は下院議員から通常選ばれるため、参議院議長は参議院議員の最高ポストといえる。
また、参議院は衆議院中心の政争から離れて置くべきとする風潮から、参議院議長は長老格の政治家が最後に就任する上がりのポストとされ、参議院議長経験者がさらなる権力欲を目指すことは慎むべきとする風潮が浸透している。そのような風潮から土屋義彦(1991年10月4日議長退任・1992年7月13日埼玉県知事就任)や江田五月(2010年7月25日議長退任・2011年1月14日法務大臣就任)のように参議院議長経験者が行政要職に就任した場合は、参議院議長の権威を損ねるとして批判的に見られることもある。ただし、青木幹雄や輿石東のように、「参議院議長」よりも「参議院議長を指名し得る与党の参議院議員団長」でいることを選ぶ例もある(青木は議長にならないまま引退、輿石は民主党が与党でなくなった後に参議院副議長になった)。
参議院議長の職については、国会法(昭和22年4月30日法律第79号)(以下、本項において「法」という)により両議院に共通した規定と、参議院規則(昭和22年6月28日議決)(以下、本項において「規則」という)による参議院独自の規定とがある。
なお、参議院議長に事故のあるときは、参議院副議長・仮議長・事務総長が議長の職務を代行する(法第21条以下)。
選任
参議院議長の選挙は、議会召集当日に議長が無い場合、集会した議員が総議員の3分の1に達した後、この日を以って退任する参議院副議長または事務総長による議長の職務代行のもとで行われる(法第6条・第7条、規則第4条)。議長選挙は被選人の氏名のみを記載する単記無名投票である(規則第4条第2項)。
各議員の席には前もって3枚の投票用紙(議長選挙用、副議長選挙用、予備)と各議員の名前が書いてある木札(名刺)が備え付けられている。参事の氏名点呼により呼ばれた議員は反時計回り(衆議院の正副議長選挙では時計回り)に壇上に上がって投票用紙と木札を2人の参事にそれぞれ手渡して順次投票を行う。投票終了後、投票漏れがないか確認し、投票漏れがなければ投票箱を閉鎖する。その後、4人の参事により名刺の計算と投票の点検が壇上にて行なわれる。そして事務総長に最終確認し、議長席に座っている参議院副議長または事務総長から投票総数、名刺の数の符合の有無のあと、結果が発表され(無効票が1票でもあるときは最後に「白票○○票」と読み上げる)、過半数を得たものを当選人とする[1] 。投票の過半数を得た者がないときは投票数上位2人について決選投票を行う。2人の得票数が同じ時はクジで決定する(規則第9条)。副議長の選挙では当選された参議院議長の職務のもとで行なわれ、選挙の手続きは議長の選挙と同様である。当選人の挨拶は衆議院では議長・副議長が選挙されてから行なうが、参議院では議長の当選後、副議長の当選後にそれぞれ行なわれる[2] 。なお、2013年8月の参議院副議長選挙では木札が240枚だったのに対して投票総数が243票となり付合しない事態を生じて再選挙となったが、3名が投票時に予備の投票用紙が重なっているのに気付かないで投票を行ったためとみられている[3][4][5]。
参議院議長は参議院第一会派から選出される慣例になっている。また、参議院通常選挙で半数改選されると、議長は非改選議員であっても再選されてもされなくても、一度辞任することが慣例となっている。その場合、参事が副議長辞職願の朗読を行なうことになっている(議員辞職願の場合も同様)。
設立当初の参議院は政党に所属しない議員が多く、議長がリーダーシップを発揮することも多かったが、参議院の政党化傾向に伴い議事運営の主導権が政党に移っていった。同時期に正副議長は院内会派を離脱し無所属となる慣例が成立した。
2007年の第21回参議院議員通常選挙では、民主党が大勝して参議院第一党となった。このため、1956年以来自民党が持っていた参議院議長のポストは初めて自民党を離れ民主党へ移った。2013年の第22回参議院議員通常選挙で自民党が参議院第一党になり、参議院議長のポストは民主党から自民党に移った。
任期
正副議長の任期は参議院議員の任期と同じであるが(法第18条)、実際には3年毎に行われる参議院議員通常選挙直後の国会冒頭において正副議長は辞任し、後任を選出することが慣例となっている。
なお、任期中において議会が自ら選任した役員を解任するには国会法等のなど議会法上に特段の定めがある場合を除きなしえない[6]。現在、国会法は常任委員長についてのみ解任規定を置いており(国会法30条の2)、議長に対しての不信任決議は法的拘束力を有しないとされる。
待遇
日本の立法府である国会は、衆議院と参議院から構成するとされており(日本国憲法第42条)、参議院議長は衆議院議長とともに立法府の長である。このため歳費は他の議員よりも多額であり、行政府の内閣総理大臣や司法府の最高裁判所長官とほぼ同額となる。また、参議院議長・副議長はそれぞれ公邸へ入居することができる。
なお、参議院議長は自衛隊を公式に訪問し又は視察する場合その他防衛大臣の定める場合において栄誉礼を受ける栄誉礼受礼資格者に定められている(自衛隊法施行規則13条)。
先例では、参議院議長・副議長が現職で死去した場合は参議院葬となる(松平恒雄・小野明・西岡武夫)。
権限
内容
国会法第19条は「各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する」と定め、議長の権限には議院秩序保持権、議事整理権、議院事務監督権、議院代表権があり、国会法や議院規則などに規定されている議長の権限はすべてこれらのいずれかに属するとされる[7]。なお、議院秩序保持権の中には議事整理権の発動としての面をもつものもある[8]。
議院秩序保持権
議員秩序保持権には議院警察権(法114条)などが含まれる[9]。
- 議事堂内の警察権(法第法第14章(第114条~118条の2)、規則第16章第2節(第217条~第219条))
- 議場内部における現行犯人拘束の命令(規則第219条但書)
- 国会閉会中における議員辞職の許可(法第107条但書)
- 議員の議席位置の指定(規則第14条)
- 委員の選任および辞任の許可(規則第30条)
- 7日を超えない議員請暇の許可(規則第187条)
- 議場又は委員会議室に入る者のつえ等携帯の許可(規則第209条但書)
- 演壇登壇の許可(規則第213条)
- 振鈴を鳴らすことによって全ての者を沈黙させること(規則第214条)
- 全ての紀律についての問題の決定(規則第216条)
- 傍聴人の身体検査(規則第224条)
- 取締のための傍聴人数の制限(規則第226条)
- 議場の秩序を乱した議員に対する退席命令(法第116条後段、規則第232条)
議事整理権
議事日程の決定(法55条)や委員会への付託(法56条2項)、開議の決定(規則81条)のほか、議長決裁権(憲法56条2項)などもこれに含まれる[10]。
- 議院会議中における委員会開催の許可(規則第37条但書)
- 公聴会開催の承認(規則第62条)
- 会議開始時刻の変更(規則第81条)
- 午後4時を過ぎた場合の延会宣告(規則第82条)
- 発言通告をしない者が発言する場合の発言許可(規則第96条)
- 自席で発言している者に対する演壇での発言許可(規則第99条)
- 質疑終局動議の決定(規則第111条第2項)
- 質問主意書の会議録掲載における簡明化の指定(規則第155条)
- 議員の異議申し立てによる会議録の訂正の決定(規則第158条第2項)
- 特に緊急を要する場合の審査又は調査のための委員派遣の決定(規則第180条但書)
- 議長決裁権(憲法第56条第2項)
事務監督権
- 参議院事務総長の監督(法28条1項)
- 参議院法制局長の監督(法131条4項)
代表権
- 衆議院議長に事故があるときの国会開会式の主宰(法9条)
- 国会開会式は衆議院議長が主宰することになっており(法第9条)、参議院議長が主宰するのは、衆議院議長に事故(病気療養など)がある場合に限られる。
- 内閣への質問主意書の転送(法75条)
なお、皇室典範第28条により、参議院議長、副議長は皇室会議の議員として指定されている。ただし、皇室会議議員としての職務は参議院議長、副議長の職域とは関係ない。
議事整理権をめぐる論点
- 議長による投票時間の制限
衆議院規則には議長権限で記名投票の投票時間を制限できることが明記されているが(衆議院規則155条の2)、参議院規則には同様の規定が明記されていない。しかし、先例では、このような権限は議事整理権に含まれるものと解されている[8]。1998年8月12日に荒木清寛法務委員長解任決議案において、野党議員が通信傍受法案など組織犯罪対策三法案阻止を目的に牛歩戦術に出た時、斎藤十朗議長が議長権限で投票時間を制限した例がある。
- 副議長による散会宣言の無効
2004年6月5日、倉田寛之議長不信任決議案審議のため議長席に着いた本岡昭次副議長が散会宣言を行った。副議長は民主党出身であり、年金関連法案の廃案を目的としていた民主党の意向によるものであった。しかし、参議院規則では散会は議事日程に記載した案件の議事を終った時に限っているため、事務総長は議事日程に記載した案件を終了しておらず散会は無効と判断、副議長にその旨を伝えたが、その制止にも関わらず、副議長と野党議員は議場から退席した。その後、衛視に守られながら登場した倉田議長が再び議長席に上がり、散会の無効を宣言した。
倉田議長は、議長不信任案が議題となっており、自身に対する議案であるため議長を一時的に務めることができず、また副議長も退席しているため、川村良典参議院事務総長が議長職を代行して仮議長の選挙を実施し、竹山裕が仮議長に就任。同仮議長の議事の元で議長不信任案の採決が行われ、否決された。否決後は倉田議長が議長職に復帰して議事を進め、年金関連法案は可決された。
議長は自らに対する不信任決議案が議事になっている時に職務を行うことができない規則になっているにもかかわらず、衛視による排除という実力行使を伴って議長が議事整理権を行使した行為は、議長の職務権限の一部を制限する規則を無効化する越権として批判された。また副議長が民主党の意向によって規則上認められない散会宣言を行ったこと、不測の事態が起った際には議院運営委員会理事の助言にもとづいて議長もしくは議長の職権を代行する副議長が議事整理を行う慣行があるにもかかわらず、議長・副議長とも与野党理事の協議をまたずに議事整理を行ったこと等、様々な問題を残した。
職務の代行
議長に事故がある場合(議事が長時間となり議長が休息をとる場合を含む。交代は概ね2時間を経過したところで行なわれるが、衆議院では答弁が終わってから交代するのに対し、参議院では答弁を行なっている間に交代している)又は議長が欠けた場合は、議長の職務は副議長が行う(法第21条)。
本会議場の壇上中央には議長席があり、議長席から見て右脇(議席から見て左)には事務総長席があるが、副議長席といったものはなく、議長に事故等がない限り副議長は自らの議席で審議に参加する。この場合、慣例・先例により議長が投票(賛否表明)をしない案件(例:参議院における内閣総理大臣指名選挙)であっても、議席の副議長は他の議員と同様採決に参加する。
副議長も事故がある場合は、仮議長を選挙又は議院の委任により議長において選任して議長の職務を行わせる(法第22条第1項・第3項)。
副議長又は仮議長が議長の職務を行う場合、自称(例:「議長は○○委員長に○○君を指名します」)・他称は単に「議長」となり、「副議長は」「副議長において」のような呼び方はしないのが慣例である。
なお、仮議長の選挙の場合や、議長若しくは副議長が欠けたためその選挙の必要があるときに副議長若しくは議長に事故がある場合、議長及び副議長が共に欠けたことによる選挙の場合 においては事務総長が議長の職務を行う(法第22条第2項、法第24条)。
一覧
歴代参議院議長
参議院議長 | |||||||
代 | 氏名 | 就任日 | テンプレート:0テンプレート:0退任日と退任理由 | テンプレート:Anchors※ | 出身党派 | 備考 | |
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1 | 50px | 松平恒雄 | 1947年(昭和22年)5月20日 | 1949年(昭和24年)11月14日 | 亡 | 緑風会 | |
2 | 50px | 佐藤尚武 | 1949年(昭和24年)11月15日 | 1950年(昭和25年)7月12日 | 慣 | 緑風会 | |
3 | 1950年(昭和25年)7月12日 | 1953年(昭和28年)5月2日 | 満 | ||||
4 | 50px | 河井彌八 | 1953年(昭和28年)5月19日 | 1956年(昭和31年)4月3日 | 辞 | 緑風会 | |
5 | 50px | 松野鶴平 | 1956年(昭和31年)4月3日 | 1956年(昭和31年)11月13日 | 慣 | 自由民主党 (旧吉田派) |
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6 | 1956年(昭和31年)11月13日 | 1959年(昭和34年)5月2日 | 満 | ||||
7 | 1959年(昭和34年)6月23日 | 1962年(昭和37年)8月6日 | 慣 | ||||
8 | 50px | 重宗雄三 | 1962年(昭和37年)8月6日 | 1965年(昭和40年)7月30日 | 慣 | 自由民主党 (佐藤派) |
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9 | 1965年(昭和40年)7月30日 | 1968年(昭和43年)7月7日 | 満 | ||||
10 | 1968年(昭和43年)8月3日 | 1971年(昭和46年)7月17日 | 慣 | ||||
11 | 50px | 河野謙三 | 1971年(昭和46年)7月17日 | 1974年(昭和49年)7月26日 | 慣 | 自由民主党 (中曽根派) |
テンプレート:Nowrap党籍離脱。 |
12 | 1974年(昭和49年)7月26日 | 1977年(昭和52年)7月3日 | 満 | ||||
13 | 50px | 安井謙 | 1977年(昭和52年)7月28日 | 1980年(昭和55年)7月7日 | 満 | 自由民主党 (無派閥) |
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14 | 50px | 徳永正利 | 1980年(昭和55年)7月17日 | 1983年(昭和58年)7月9日 | 満 | 自由民主党 (田中派) |
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15 | 50px | 木村睦男 | 1983年(昭和58年)7月18日 | 1986年(昭和61年)7月22日 | 慣 | 自由民主党 (田中派) |
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16 | 50px | 藤田正明 | 1986年(昭和61年)7月22日 | 1988年(昭和63年)9月30日 | 辞 | 自由民主党 (宮澤派) |
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17 | 50px | 土屋義彦 | 1988年(昭和63年)9月30日 | 1989年(平成元年)7月9日 | 満 | 自由民主党 (安倍派) |
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18 | 1989年(平成元年)8月7日 | 1991年(平成3年)10月4日 | 辞 | ||||
19 | 50px | 長田裕二 | 1991年(平成3年)10月4日 | 1992年(平成4年)7月9日 | 満 | 自由民主党 (竹下派) |
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20 | 50px | 原文兵衛 | 1992年(平成4年)8月7日 | 1995年(平成7年)7月22日 | 満 | 自由民主党 (三塚派) |
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21 | 50px | 斎藤十朗 | 1995年(平成7年)8月4日 | 1998年(平成10年)7月25日 | 満 | 自由民主党 (小渕派) |
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22 | 1998年(平成10年)8月4日 | 2000年(平成12年)10月19日 | 辞 | ||||
23 | 50px | 井上裕 | 2000年(平成12年)10月19日 | 2001年(平成13年)8月7日 | 慣 | 自由民主党 (森派) |
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24 | 2001年(平成13年)8月7日 | 2002年(平成14年)4月22日 | 辞 | ||||
25 | 50px | 倉田寛之 | 2002年(平成14年)4月22日 | 2004年(平成16年)7月30日 | 慣 | 自由民主党 (江藤・亀井派) |
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26 | 50px | 林寛子 | 2004年(平成16年)7月30日 | 2007年(平成19年)7月28日 | 満 | 自由民主党 (二階グループ) |
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27 | 50px | 江田五月 | 2007年(平成19年)8月7日 | 2010年(平成22年)7月25日 | 満 | 民主党 (菅グループ) |
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28 | 50px | 西岡武夫 | 2010年(平成22年)7月30日 | 2011年(平成23年)11月5日 | 亡 | 民主党 |
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29 | 50px | 平田健二 | 2011年(平成23年)11月14日 | 2013年(平成25年)7月28日 | 満 | 民主党 (川端グループ) |
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30 | 50px | 山崎正昭 | 2013年(平成25年)8月2日 | 現職 | 自由民主党 (町村派) |
||
テンプレート:Anchors^※ 満…議員任期満了による退任、慣…半数改選による慣例的辞任、辞…一身上その他の理由による辞任、亡…死亡。 |
歴代参議院副議長
参議院副議長 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
代 | 氏名 | テンプレート:0テンプレート:0任期と退任理由 | テンプレート:Anchors※ | 出身党派 | |||
1 | 松本治一郎 | 1947年5月20日 - 1949年2月24日 | 追 | 日本社会党 | |||
2 | 松嶋喜作 | 1949年3月26日 - 1950年5月2日 | 満 | 民主自由党 | |||
3 | 三木治朗 | 1950年7月12日 - 1953年5月2日 | 満 | 日本社会党 | |||
4 | 重宗雄三 | 1953年5月19日 - 1956年5月9日 | 辞 | 自由党 | |||
5 | 寺尾豊 | 1956年5月9日 - 1956年11月13日 | 慣 | 自由民主党 | |||
6 | 1956年11月13日 - 1958年6月12日 | 閣 | |||||
7 | 平井太郎 | 1958年6月16日 - 1959年6月23日 | 慣 | 自由民主党 | |||
8 | 1959年6月23日 - 1962年7月7日 | 満 | |||||
9 | 重政庸徳 | 1962年8月6日 - 1965年6月1日 | 満 | 自由民主党 | |||
10 | 河野謙三 | 1965年7月30日 - 1968年8月3日 | 慣 | 自由民主党 | |||
11 | 安井謙 | 1968年8月3日 - 1971年7月17日 | 慣 | 自由民主党 | |||
12 | 森八三一 | 1971年7月17日 - 1974年7月7日 | 満 | 自由民主党 | |||
13 | 前田佳都男 | 1974年7月27日 - 1977年7月28日 | 慣 | 自由民主党 | |||
14 | 加瀬完 | 1977年7月28日 - 1979年8月30日 | 辞 | 日本社会党 | |||
15 | 秋山長造 | 1979年8月30日 - 1980年7月17日 | 慣 | 日本社会党 | |||
16 | 1980年7月17日 - 1983年7月9日 | 満 | |||||
17 | 阿具根登 | 1983年7月18日 - 1986年7月7日 | 満 | 日本社会党 | |||
18 | 瀬谷英行 | 1986年7月22日 - 1989年8月7日 | 慣 | 日本社会党 | |||
19 | 小野明 | 1989年8月7日 - 1990年4月19日 | 亡 | 日本社会党 | |||
20 | 小山一平 | 1990年4月25日 - 1992年7月7日 | 満 | 日本社会党 | |||
21 | 赤桐操 | 1992年8月7日 - 1995年8月4日 | 慣 | 日本社会党 | |||
22 | 松尾官平 | 1995年8月4日 - 1998年7月25日 | 満 | 新進党 | |||
23 | 菅野久光 | 1998年7月30日 - 2001年7月22日 | 満 | 民主党・横路グループ | |||
24 | 本岡昭次 | 2001年8月7日 - 2004年7月25日 | 満 | 民主党・横路グループ | |||
25 | 角田義一 | 2004年7月30日 - 2007年1月30日 | 辞 | 民主党・横路グループ | |||
26 | 今泉昭 | 2007年1月30日 - 2007年7月28日 | 満 | 民主党 | |||
27 | 山東昭子 | 2007年8月7日 - 2010年7月30日 | 慣 | 自由民主党・高村派 | |||
28 | 尾辻秀久 | 2010年7月30日 - 2012年12月26日 | 辞 | 自由民主党・額賀派 | |||
29 | 山崎正昭 | 2012年12月26日 - 2013年8月2日 | 慣 | 自由民主党・町村派 | |||
30 | 輿石東 | 2013年8月2日 - | 民主党・横路グループ | ||||
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参議院仮議長
参議院仮議長 | |||
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木檜三四郎 | 1947年10月13日 | 議長・副議長事故(皇室会議等出席)の間 | 議長に指名一任 |
黒田英雄 | 1950年3月31日 | 副議長事故(欠席)につき一日限り | 議長に指名一任 |
小林英三 | 1954年1月27日 - 1954年2月20日頃 |
副議長不在(訪米)の間を通じて | 議長に指名一任 |
中川以良 | 1956年5月30日 | 議長事故(欠席)につき副議長寺尾豊不信任決議案審議の間 | 投票により選出(201票中133票) |
竹山裕 | 2004年6月5日 | 副議長事故(欠席)につき議長倉田寛之不信任決議案審議の間 | 投票により選出(149票中129票) |
※このほか、1956年6月2日、議長事故(病気)につき副議長寺尾豊不信任決議案審議のため仮議長を選挙する手続がとられたが、投票途中に議長松野鶴平が出席し、仮議長の選挙は必要がなくなった旨を宣告した例がある。
その他
- 衆・参両院議長に支給されている交際費について、両院が使途の明示を拒否し続けていることが、一部メディアの報道により明らかになった。両院議長は三権の長である以上、交際費の使途を公開すべきとの指摘が出ている[11]。