リバウド
テンプレート:サッカー選手 リバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ(Rivaldo Vítor Borba Ferreira, 1972年4月19日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。「レフティモンスター」「左足の魔術師」と言われる。リヴァルド、ヒヴァウド、ヒバウドと表記される場合もある。
人物
1999年には世界最優秀選手と欧州最優秀選手(バロンドール)に選ばれ、2002年日韓W杯ではロナウド、ロナウジーニョらと共に3Rと呼ばれる攻撃陣を結成し、ブラジルの5回目の優勝に貢献した。 実家の家計が苦しく、ユース時代にはバス代を節約するために、25kmも離れた練習場まで歩いて通った。また、プロになって初めてステーキを食べた時に、それまで栄養失調だったことから歯が抜け落ち、入れ歯になってしまった。
2008年10月には古巣モジミリンECの会長に就任した。
経歴
クラブ
パルメイラスでの活躍を経て1996年、当時ヴェルディ川崎から500万ドルのオファーがきていたが、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍。初年度にも関わらず46試合で21得点という好成績を残し、移籍したロナウドの後釜としてFCバルセロナへと移籍した。
バルセロナでは1997-98、1998-99シーズンでのリーグ連覇に貢献し、1998-99シーズンにはバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞。2000-2001シーズンから背番号が「11」から「10」になり、スター選手であるルイス・フィーゴがライバル関係にあるレアル・マドリードへ移籍したため、リバウドがエースとなった。また2001-02シーズンでは、パトリック・クライファート、ハビエル・サビオラと共にトリデンテ(三椏の矛)とよばれるトリオの中心として、強烈な攻撃を披露していた、しかし、このシーズンのリバウドは怪我が多く、試合数得点数ともに入団以来最低の成績であった。
ルイス・ファン・ハール監督との折り合いが悪く、2002-03シーズンからファン・ハールがバルセロナの監督を再び就任することになると、2002年にACミランへ移籍した。だが、イタリアのプレースタイルに馴染めず、更に自身の離婚問題でコンディションを崩し出場機会に恵まれず、2003年に退団した。
その後ギリシャのオリンピアコスFCに移籍。リーグの得点王になるなど中心選手としてリーグ3連覇に貢献したが、2006-07シーズンオフに契約交渉が決裂し退団。ブラジルに帰国する予定であったが、家族がギリシャに残ることを希望したため、退団して2週間後にオリンピアコスのライバルであるAEKアテネFCと2年契約を結ぶ。しかし、またもチームと軋轢が生じ、2008年8月29日、ウズベキスタンリーグ1部のFCブニョドコルと2年契約を結んだことがAEKアテネより発表された。その後、クラブでは2連覇に貢献し、特に2009年シーズンにはリーグ得点王にも輝いた。 2010年8月にブニョドコルとの契約を解除して退団した。その後、自身のツィッター上において、2011年にリバウド自身が会長を務めるモジミリンECで現役生活を再開することを発表した。しかし、2011年1月23日にサンパウロFCへのレンタル移籍が発表された。それからカブルスコルプSCと契約を結んだ。そして2012ー2013シーズンからは、ADサンカエターノと1年契約で移籍し、2013年2月9日、移籍後初ゴールをあげた。
2014年3月15日、自身のインスタグラム内で現役引退を発表した[1]。
伝説のハットトリック
バルセロナ所属時の2000-2001リーガ最終節、勝利した方が翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場(4位)となるバレンシアCF戦で、リバウドはチームの全得点となるハットトリックを記録し勝利に導いた。1点目は前半3分、バレンシアの壁を僅かに掠めてネットに突き刺さったフリーキック。2点目は前半ロスタイムに、得意の強烈な低い弾道のミドルシュートでゴールを奪った。
そして3点目は、2対2の同点のまま、後半43分と残り時間はわずかとなり、引き分けならバレンシアがチャンピオンズリーグに出場するという状況であった。ペナルティエリア外にいたリバウドは、フランク・デ・ブールからのパスを「ゴールを背にしたまま胸でトラップして、左足のオーバーヘッドキックを放ち」それを一挙動で行った。ゴールキーパーのサンティアゴ・カニサレスは、アウトカーブがかかったこのシュートを止められず、ゴール左下隅に突き刺さった。
スタンドで観戦していた当時のジョアン・ガスパール会長が珍しく狂喜乱舞し、試合が終了するとカンプ・ノウの観客は興奮のあまりピッチに崩れ込んだ。ルイス・エンリケに「あれはキャプテン翼でしか表現できないプレーだよ」と言わしめ、メディアからも「キャプテン翼は実在した」と絶賛された。2001年から『キャプテン翼 ROAD TO 2002』が連載されるとリバウドをモデルにしたFCバルセロナとブラジル代表の10番・リバウールが登場し、上記のゴールシーンもリバウールの必殺技「ハイジャンピングボレー」として誌上で再現されている[2]。
ブラジル代表
ブラジル代表としては1993年12月16日のメキシコ戦で代表デビューを飾る。ブラジル五輪代表として1996年アトランタオリンピックに出場するが、自身のミスもあり準決勝で敗戦した。
FIFAワールドカップではブラジルの栄光のNo.10を1998年と2002年の二大会にわたって背負った。1998 FIFAワールドカップ大会では、準々決勝で当時世界最高のゴールキーパーと言われていたデンマーク代表のピーター・シュマイケルから2得点を奪い計3得点をあげるものの、ブラジル国民を納得させることが出来なかった。
2001年に行われた2002 FIFAワールドカップ南米予選では同国は苦戦を続けたが、10月7日のチリ戦で1得点を上げ本大会出場に貢献した。試合後、スタジアムを埋め尽くしたサポーターがリバウドへ大喝采を送った。
2002年の本大会では5得点を決め決勝でも2得点に絡む活躍を見せ、代表で活躍出来ないと言われていた批判を一蹴し、ロナウド、ロナウジーニョ、カフー、ロベルト・カルロスらとともに5度目の優勝に大きく貢献した。また1999年のコパ・アメリカではロナウドとともに得点王になりMVPにも輝いた。
所属クラブ
- 1988年-1991年 テンプレート:Flagicon パウリスタFC
- 1991年 テンプレート:Flagicon サンタクルスFC
- 1992年-1993年 テンプレート:Flagicon モジミリンEC
- 1993年-1994年 テンプレート:Flagicon コリンチャンス
- 1994年-1996年 テンプレート:Flagicon SEパルメイラス
- 1996年-1997年 テンプレート:Flagicon デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- 1997年-2002年 テンプレート:Flagicon FCバルセロナ
- 2002年-2003年 テンプレート:Flagicon ACミラン
- 2004年 テンプレート:Flagicon クルゼイロEC
- 2004年-2007年 テンプレート:Flagicon オリンピアコスFC
- 2007年-2008年 テンプレート:Flagicon AEKアテネFC
- 2008年-2010年 テンプレート:Flagicon FCブニョドコル
- 2011年 テンプレート:Flagicon サンパウロFC
- 2012年 テンプレート:Flagicon カブルスコルプSC
- 2013年 テンプレート:Flagicon ADサンカエターノ
- 2014年 テンプレート:Flagicon モジミリンEC
獲得タイトル
- 1996年 アトランタオリンピック3位
- 1997年-1998年 スペインリーグ優勝(FCバルセロナ)
- 1998年-1999年 スペインリーグ優勝(FCバルセロナ)
- 1998年 ワールドカップ準優勝
- 1999年 コパ・アメリカ優勝 MVP 得点王(5得点)
- 2002年 ワールドカップ優勝
- 2002年-2003年 UEFAチャンピオンズリーグ優勝(ACミラン)
- 2004年-2005年 ギリシャリーグ優勝(オリンピアコス)
- 2005年-2006年 ギリシャリーグ優勝(オリンピアコス)
- 2006年-2007年 ギリシャリーグ優勝(オリンピアコス)
- 2008年 ウズベキスタンリーグ優勝(FCブニョドコル)
- 2008年 ウズベクカップ優勝(FCブニョドコル)
- 2009年 ウズベキスタンリーグ優勝(FCブニョドコル)
個人タイトル
- 1999年 - FIFA最優秀選手賞
- 1999年 - バロンドール
- 1999年 - コパ・アメリカ MVP 得点王(5得点)
- 1999年 - 20世紀の偉大なサッカー選手100人 51位(ワールドサッカー誌選出)
- 1999年 - 2000年 - UEFAチャンピオンズリーグ得点王(10得点)(FCバルセロナ)
- 2009年 ウズベク・リーグ得点王(20得点)
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1991||サンタクルス||||||18||8|||||||||||| |- |1992||モジ・ミリン||||||27||9|||||||||||| |- |1993||rowspan="2"|コリンチャンス||||rowspan="5"|1部||19||11|||||||||||| |- |1994||||22||6|||||||||||| |- |1994||rowspan="3"|パルメイラス||||29||13|||||||||||| |- |1995||||45||17|||||||||||| |- |1996||||30||23|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1996-97||デポルティーボ||rowspan="4"|11||rowspan="6"|プリメーラ||41||21|||||||||||| |- |1997-98||rowspan="5"|FCバルセロナ||34||19|||||||||||| |- |1998-99||37||24|||||||||||| |- |1999-00||31||12|||||||||||| |- |2000-01||rowspan="2"|10||35||23|||||||||||| |- |2001-02||20||8|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2002-03||rowspan="2"|ACミラン||rowspan="2"|11||rowspan="2"|セリエA||22||5|||||||||||| |- |2003-04||0||0|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2004||クルゼイロ||11||1部||11||2|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2004-05||rowspan="3"|オリンピアコス||5||rowspan="4"|スーパー||23||12|||||||||||| |- |2005-06||rowspan="3"|10||23||7|||||||||||| |- |2006-07||27||17|||||||||||| |- |2007-08||AEKアテネ||29||8||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2008-09||rowspan="2"|FCブニョドコル||6||rowspan="2"|オリーリーグ||||7|||||||||||| |- |2009-10||10||||20|||||||||||| |-
テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始156||72|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行45||17|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行198||107|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行22||5|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行73||43|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終494||244|||||||||||| |}
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |1998-99||rowspan="4"|FCバルセロナ||||6||3 |- |1999-00||||14||10 |- |2000-01||||13||11 |- |2001-02||||12||6 |- |2002-03||ACミラン||||13||2 |- |2004-05||rowspan="4"|オリンピアコス||||6||1 |- |2005-06||||5||2 |- |2006-07||||6||0 |- |2007-08||||6||3 |- !通算!!colspan="2"|UEFA |81||38 |}
出典
外部リンク
- Rivaldo site テンプレート:Fr icon
- Rivaldo's official website
- テンプレート:Twitter テンプレート:Pt icon
- テンプレート:FIFA player
- Midfield Dynamo's 10 Heroes of the Copa América Rivaldo listed in the top 10
- national-football-teams.com
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