中村英一
テンプレート:Otheruseslist テンプレート:BLP unsourced 中村 英一(なかむら えいいち、1947年3月2日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。東京都出身。元シンエイ動画所属。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。
略歴
1966年にAプロダクション(現:シンエイ動画)のアニメーター募集に応募して第一期生として入社。
当時は、百数十名の応募に対して、合格は4人という狭き門だった。同期には須田正己など(但し須田は研修を受けたのみ)。楠部大吉郎など東映動画出身のベテランアニメーターから技術を吸収して、多数のアニメで原画を担当した。
その後、1976年9月にAプロダクションがシンエイ動画に改組された際も、多くのスタッフが独立した中で、中村はシンエイ動画に留まって、2007年まではシンエイ動画の作画部長を務めた。シンエイ動画を代表するスタッフの一人であり、現在シンエイ動画に所属するアニメーターの渡辺歩や大塚正実らに多大な影響を与えた人物。また、原恵一が『ドラえもん』で各話演出を担当していた頃、彼の演出に難色を示した作画スタッフが原と対立した事があり、その時に両者の仲裁をした事もあった。
テレビアニメ『ドラえもん』ではパイロット版「勉強べやのつりぼり」のキャラクターデザイン・作画監督として参加し、それから2005年のリニューアルまで同作品のキャラクターデザイン・総作画監督を務めていた。リニューアル後も引き続き各話の作画監督を担当していたものの、富永貞義とほぼ同時期(2007年上半期)に降板した(富永は2008年4月に渡辺歩と共同でキャラクターデザインとして再登板している)。その後はシンエイ動画を定年退職し、アニメーターから一線を退いた。
主な参加作品
テレビアニメ
- オバケのQ太郎 (1965年-1967年、動画)
- パーマン (1967年-1968年、動画)
- 巨人の星 (1968年-1971年、原画)
- アタックNo.1 (1969年-1971年、作画監督・原画)
- 新・オバケのQ太郎 (1971年-1972年、作画監督補佐・原画)
- 赤胴鈴之助 (1972年-1973年、原画)
- 荒野の少年イサム (1973年-1974年、原画)
- 侍ジャイアンツ (1973年-1974年、原画)
- ガンバの冒険 (1975年、原画)
- 元祖天才バカボン (1975年-1977年、原画)
- おれは鉄兵 (1977年-1978年、原画)
- 一球さん (1978年、原画)
- ドラえもんシリーズ
- ドラえもん (1979年のテレビアニメ) (1979年-2005年、キャラクターデザイン・総作画監督・作画監督・原画)
- ドラえもん (2005年のテレビアニメ) (2005年-2007年、作画監督)
劇場映画
- パンダコパンダ (1972年、原画)
- パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 (1973年、原画)
- 草原の子テングリ (1977年、原画)
- ドラえもん のび太の恐竜 (1980年、原画)
- ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ (1981年、作画監督)
- ドラえもん のび太の海底鬼岩城 (1983年、原画)
- ドラえもん のび太の魔界大冒険 (1984年、オープニング作画)