都営バス大塚支所
テンプレート:都営バス営業所 都営バス大塚支所(とえいバスおおつかししょ)は、東京都文京区大塚にある都営バスの営業所である。営業所記号はGを用いる。
目次
沿革
- 1925年:東京市が市バス大塚営業所を開設する(現在の地下鉄新大塚駅付近にあった)。
- 1928年:現在地に移転。都電大塚営業所は旧・都バス大塚営業所へ移転する。
- 大戦中:練馬、滝野川を分車庫として管轄する。
- 1946年:練馬分車庫を営業所に格上げ、練馬営業所とする。
- 1949年:滝野川分車庫を営業所に格上げ、滝野川営業所とする。
- 1959年5月27日:志村分車庫を開設する。
- 1966年5月21日:志村支所を営業所に格上げ、志村営業所とする(1982年3月29日廃止)。
- 1968年2月25日:巣鴨支所を開設する。
- 1971年3月18日:巣鴨支所を営業所に格上げし、巣鴨営業所とする。
- 1979年11月23日:学04を廃止する。
- 2000年12月12日:急行02の運行を開始する。
- 2002年12月1日:急行02を廃止する。
- 2008年4月1日:大塚営業所から巣鴨自動車営業所大塚支所へ格下げする。
- 2009年12月:都営バスの営業所で初めて全車ノンステップ化を完了。
東京市電の車庫として使用されていた場所をバス車庫に転用したもので、開設年は1925年である。都電の車庫は大塚駅寄りの豊島区南大塚に移り、1971年に廃止されるまで使用された。
現行路線
都02系統(グリーンライナー)
系統名 | 運行区間 | 備考 |
---|---|---|
都02 | 大塚駅 - 大塚車庫 - 春日駅 - 本郷三丁目駅 - 上野広小路 - 御徒町駅 - 蔵前駅 - 石原三丁目 - 錦糸町駅[1] | |
都02 | 大塚駅 - 大塚車庫 - 春日駅 - 東京ドームシティ | 平日朝のみ |
都02 | 本所一丁目 → 蔵前駅 → 上野広小路 → 春日駅 → 大塚車庫 → 大塚駅 | 本所一丁目始発のみ |
都02出入 | 大塚駅 - 大塚三丁目 - 大塚車庫 | |
都02出入 | 大塚車庫 - 春日駅 - 本郷三丁目駅 - 上野広小路 - 蔵前駅 - 石原三丁目 - 錦糸町駅 |
- 1971年3月18日:大塚電車営業所所管の都電16系統の代替として516系統が開通する(1972年に、塚20系統へ変更)[2]。
- 1986年3月3日:都市新バス化され、塚20系統から都02系統へ変更される[3]。
- 2000年12月12日:急行02系統大塚駅 - 春日駅を新設する[4]。
- 2002年12月1日:急行02系統大塚駅 - 春日駅を廃止する。
大塚駅と錦糸町駅を結ぶ都市新バスで、愛称は「グリーンライナー」[3]。新大塚 - 本郷三丁目駅で丸ノ内線、春日駅 - 石原一丁目で大江戸線と並行する。
1971年3月に、都電16系統(大塚駅 - 錦糸町駅)の代替路線・516系統が新設されたのが始まりである。当初は区間便として大塚駅 - 厩橋、錦糸町駅 - 文京区役所(現・春日駅)も設定されたが、新系統番号化が行われ、塚20と改められた。1982年には錦糸町駅北口バスターミナル完成に伴い、総武線ガード下の停留所から発着場所が変更となった。
その後、アメヤ横丁などをはじめとした商業地を抱えていることや、並行する地下鉄がほとんどないことから輸送密度が高く、乗客の入れ替わりも多い路線だったが、春日通りにおける渋滞による定時性の確保が難しいなどの問題も抱えていた。このため、それを改善することもかねて、1986年に都01に続く都市新バスシステムの第2期導入路線に抜擢された[5]。これにより系統番号が現在の都02に改番、「グリーンライナー」の愛称が付けられ、方向幕も全面青色のものに交換された。平成に入ってすぐに錦糸町駅北口再開発工事が実施され、錦糸町駅 - 石原四丁目で錦糸町方面が経路変更を行う[6]。
転機が訪れたのは、2000年12月12日の大江戸線全線開業のときである。多くの区間で大江戸線と並行することとなり、路線短縮などの大きな変化が予測されていたが、他系統と異なり運行本数の減少のみが行われ、新たなバスサービスとして大塚駅 - 春日駅を新大塚・大塚三丁目・茗荷谷駅・伝通院のみ停車する急行02が新設されたが、利用はふるわず廃止された。また、この改正に伴い、朝夕を中心に頻繁に運転されていた大塚駅・大塚車庫 - 本所一丁目の区間便も大きく減少、今では朝に本所一丁目(始発専用のバス停)からでる大塚駅行き一本になってしまった。この便の車両は、大塚車庫から回送で本所一丁目までくる。数本は大塚駅 - 大塚車庫の出入便も運転され、平日には大塚駅 - 東京ドームシティ便も運転される。
隅田川花火大会開催時は、大塚駅 - 三筋二丁目と石原三丁目 - 錦糸町駅で分断運転を行っている[7]。
上60系統
系統名 | 運行区間 | 備考 |
---|---|---|
上60 | 上野公園 -(←上野広小路)- 根津駅 - 春日駅 - 白山二丁目 - 大塚駅 - 向原 - 池袋駅東口[1] | 平日・土曜は朝夕のみ運行 |
上60 | 上野公園 -(←上野広小路)- 根津駅 - 春日駅 - 白山二丁目 - 大塚駅 | |
上60出入 | 大塚車庫 - 大塚三丁目 - 大塚駅 | 都02出入と同一経路 |
- 1953年6月15日:60系統として池袋駅 - 御茶ノ水駅 - 水天宮間が開業する。
- 1954年9月20日:池袋駅 - 箱崎町間に延長。
- 1971年11月:茶60系統となり、池袋駅東口 - 大塚車庫 - 御茶ノ水駅東口間に短縮される。
- 1977年12月16日:大塚車庫経由から、南大塚一丁目経由へ変更される。
- 1979年11月23日:上池袋三丁目経由から、池袋サンシャインシティ・向原経由に変更される。
- 1982年12月26日:サンシャインシティ経由から、上下とも豊島区役所経由に変更される。
- 1990年7月21日:茶60系統を御茶ノ水発着から上野公園発着に変更し、系統番号を「上60」とする。同時に、文京区役所(現在の春日駅)経由となる。
60系統→茶60系統池袋駅東口 - 大塚駅 - 御茶ノ水駅方面への足としての運行期間が長かった。転機が訪れたのが、1977年に志村担当の東52(常盤台教会 - 東京駅、国際興業バスと共同運行)の廃止による、大塚車庫経由から南大塚一丁目経由にルートが変更された事。また、1979年の学04廃止(後述)により、サンシャインシティ経由へのルート変更を実施、1990年には文京区役所経由上野公園発着(現行)に改正され、系統番号が茶60から上60へ変更されている。
かつて上池袋にあった癌研附属病院[8]への足としての機能は、学04廃止による運行経路変更により、路線バスでの用足しが出来なくなった。また、大塚から南大塚・白山を経由する千川通り沿線の太田胃散や、共同印刷の本社機能・工場部門の分散化などにより、下請け企業への用務者も含めバス通勤客が次第に減少していった。それに伴い運行回数減、運行区間変更を余儀なくされた。
現在の池袋駅東口 - 大塚駅の運行は月 - 金曜は朝夕のみ、土休日は午前中 - 夕方に偏っている。大塚駅止まりのバスは駅手前(巣鴨小学校出発後すぐ)を左折、南大塚三丁目を右折して大塚駅に向かう。なお、池袋駅東口の乗り場の位置の関係上、上野公園方面は、池袋駅東口(10番乗り場)にはとまらず、次は豊島区役所となる。
廃止・移管路線
学01系統
巣鴨自動車営業所へ移管された。
都02乙系統
- 都02乙:池袋駅東口 - 東池袋四丁目 - 大塚車庫 - 春日駅 - 東京ドームシティ
- 都02乙:池袋駅東口 - 東池袋四丁目 - 大塚車庫 - 春日駅 - 東京ドームシティ - 水道橋駅 - 一ツ橋
大塚電車営業所の都電17系統(池袋駅前~数寄屋橋)代替バスとして運転開始した。楽67(旧番517)系統:池袋駅東口 - 水道橋駅 - 一ツ橋 - 東京駅八重洲口 - 有楽町駅前として開業。その後一ツ橋 - 有楽町駅を区間廃止で、池67系統に変わるが、都02乙系統となり、文京区役所前 - 一ツ橋間を朝平日三往復のみとして現在に至る。後巣鴨自動車営業所へ移管。
急行02系統
- 急行02:大塚駅 - 新大塚 - 大塚三丁目 - 茗荷谷駅 - 伝通院前 - 春日駅
掲載停留所のみ停車。詳細は都02を参照。
学04系統
都営バスが運行する学バスの中で、2013年時点で唯一欠番となっている当系統は、元は学バスを表す50番代の系統番号の54系統として池袋駅と東京教育大学(現・筑波大学)を結んでいた。
他の学バスと異なり、通学客輸送がメインであるのは無論、加えて当時併走する都バスの一般路線が無い地区(現在の豊島区役所 - 新大塚など)を走行し、一般客の利用も多かった。小石川5丁目まで運行されていたのは、適切な折返場・道路が大学付近になかったため。
1978年4月1日より東京教育大は「筑波大学」と改称・つくば市に移転することとなり3月31日をもって閉学した。運行意義を失った学04は閉学後も運行していたが、1979年11月23日に廃止された。廃止代替は、茶60系統の経路が変更された。
学07系統
- 学07:御茶ノ水駅 - 龍岡門 - 東大病院 - 東大構内
巣鴨自動車営業所へ移管された。
上26系統
共管の時を含め、南千住自動車営業所・江東自動車営業所へ移管が、乗客の乗車率が低迷している為にのちに、はとバス委託路線となり青戸支所に再移管となった。
42系統
- 42:赤羽駅東口 - 稲付2丁目 - 東十条6丁目 - 神谷1丁目 - 王子3丁目 - 王子駅前
43系統
- 43:池袋駅東口 - 西巣鴨 - 巣鴨駅前 - 白山上 - 団子坂下 - 荒川4丁目 - 三ノ輪駅前 - 千束 - 浅草雷門
巣鴨電車営業所のあった時には、大塚自動車営業所で担当していた此の系統は、都電廃止で、巣鴨電車営業所が廃止されるとそのまま線路をはがし、建物も再利用で、巣鴨自動車営業所が発足した。 巣鴨自動車営業所が開設されると移管された。後、1972年の系統番号整理で、草63系統となった。
車両
指定車種:いすゞ自動車+川崎重工→IKコーチ
音声合成:レシップ→レゾナント・システムズ 過去の放送のときは「つぎとまります」や「発車します、おつかまりください」のイントネーションが違ったが、放送を東京スカイツリー開業に合わせて夢の下町タイプに交換してからは他営業所との違いがなくなってしまった。このほか、江戸川と早稲田も旧放送時代、他の営業所とは根元放送が異なった。だが、その営業所も交換後他営業所と同じになった。
大塚支所の再編計画により上26系統が南千住の所管になったことで(現在は青戸)や都02乙系統が巣鴨の所管になったことでH代車やK代車の中型長尺ノンステップバス(日野HR)が南千住・巣鴨に全車転出した。
上記の理由で車両が余るため、P代車の一部 (P455-462) が江戸川や江東、南千住に転出したほか、M代車の一部 (M139-144) も北や品川に転出した。
そのため、現在はH代車(大型)が13台 (H120, 123-132, 150, 151) 、M代車が6台 (M133-138) 、N代車が1台 (N374) 、P代車が5台 (P450-454) 、R代車が6台 (R580-585) 、S代車が3台 (S650-652) 、T代車が4台 (T197-199, 241) 、V代車が1台 (V291) 所属する。
- T代車のハイブリッドバスとV代車のハイブリッドバスもJ-BUSで製造されている。→日野車体
ハイブリッドバスを除き、グリーンライナーのサボ・マークを装備。近年は都市新バスも一般系統との違いがなくなり、特に一般車と新バス車の運用を区別しない営業所も増えたことから、フロント・マークがついてもどちらかは通常仕様の例が多く、両方揃っている例は大塚を除くと今は数少なく、今後は希少化となりつつある。
大塚支所の今後
2007年1月の東京都入札情報「巣鴨自動車営業所活用の検討調査委託」(契約番号18-00727、整理番号477)において、大塚営業所の廃止が明記された。
脚注
参考文献
- 都営バス系統案内図
- 都バス担当(系統)営業所一覧表
- 方面別新旧系統一覧表(以上、東京都交通局発行、1972年12月1日版)
- 都営交通路線案内図(東京都交通局発行、1978年版)
関連項目
テンプレート:Coord- ↑ 1.0 1.1 東京都乗合自動車の運行系統の名称及び区間、昭和54年11月22日 交通局告示第11号
- ↑ 東京都交通局70年史、Page52~53、2-11-(1)表 代替バス推移より
- ↑ 3.0 3.1 東京都交通局80年史、Page311、都市新バス運行系統(平成3年4月1日)より
- ↑ 東京都交通局80年史、Page52、表5-4 新たなバスサービス(平成14年4月1日現在)より
- ↑ 豊島区、文京区、台東区、墨田区の4区を通る路線であるため、PRがしやすいことも選定理由のひとつであった。なお、この路線は都01と異なり、運行の全てを東京都独自の予算でまかなっていた。
- ↑ 法恩寺橋をわたってすぐの交差点で親不孝通りに入り、江東橋交差点で京葉道路に向かい錦糸町へ到達する経路を取り、錦糸町駅 - 石原四丁目はループ上の経路となった。錦糸町駅では、四ツ目通りの総武線ガード下や南口(現在のタクシー乗り場近辺)において発着を行った。これらが解消されるのは、錦糸町駅北口バスターミナルが再完成した1997年。
- ↑ 「隅田川花火大会」開催時の運行について、2010年7月22日、東京都交通局
- ↑ 2009年11月現在、癌研病院は江東区有明へ移転した。最寄り駅は国際展示場駅・有明駅。