都営バス新宿支所

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新宿分駐所時代(山手通り側)

都営バス新宿支所(とえいバスしんじゅくししょ)は、京王線初台駅近くの新宿区西新宿にあり、新宿駅渋谷駅を発着する一部系統を受け持っている。営業所記号はCを用いる。かつては「新宿自動車営業所」だったが、2000年12月12日大江戸線開業時に渋谷自動車営業所新宿支所、2006年4月1日に新宿分駐所となった[1]

2009年4月1日はとバスへ委託されると同時に組織上は廃止となるが、名称は分駐所から支所に再び昇格、再び渋谷自動車営業所新宿支所に組織変更され、営業所記号も復活した。

沿革

  • 1982年12月26日:田70を目黒との共同管轄とする。
  • 1997年3月:都営バス初のノンステップバス (C-C200) が登場する。
  • 2000年12月12日大江戸線全線開業に伴い田70と秋76、四80が廃止。営業所から支所へ格下げされる。
  • 2003年4月1日:渋66が杉並から移管され、都01(一部)を新宿が担当する。
  • 2006年4月1日:渋66系統をはとバスへ委託の為に杉並へ再移管、分駐所へ格下げされる。(C→B)
  • 2009年4月1日:はとバスへ委託で組織としては廃止となったが、それと同時に名称は支所(B→C)へ格上げとなった。

1980年代 - 1990年代の最盛期には、新宿駅(新宿車庫)から飯田橋秋葉原方面、六本木田町方面などのドル箱路線が多数運行されていた。しかし、2000年12月12日大江戸線環状部分が開業すると、ほぼ並行する前述2系統と四80(四谷駅前 - 赤坂アークヒルズ)が廃止された。

これにより、2001年時点での所管はC・H01と宿74・75、品97とそれらの出入庫系統のみとなり、営業所自体も支所に格下げされた。

2003年はとバス委託を免れた渋66都01(一部)を新宿が担当することとなり、一時的に以前の活気を取り戻したが、2006年4月1日に渋66を杉並にはとバス委託で再移管され、分駐所に格下げされた。車両数も青梅より少なくなり、乗務員の一部も他の営業所に異動となった。

2009年4月1日に新宿分駐所は、はとバスの管理委託となり組織上廃止され、同時に乗務員も全員他所に移動となった。(名称上は支所に再昇格) この際に品川から渋88、小滝橋から早81が新宿に移管し、都01の新宿担当便は渋谷に、C・H01は小滝橋に移管された。

現行路線

宿74・宿75系統

ファイル:Tobus C-W295.jpg
2002年頃まではC・H01専用のスロープ車・リフト車が充当された宿74 (C-W295)
  • 宿74:新宿駅西口 - 東新宿駅 - 国立国際医療センター - 東京女子医大
  • 宿74:新宿車庫前 - 中央公園 - 新宿駅西口
  • 宿75:新宿駅西口 - 東新宿駅 - 抜弁天 - 東京女子医大
  • 宿75:新宿駅西口 - 東新宿駅 - 抜弁天 - 東京女子医大 - 市谷仲之町交差点 - 合羽坂下 - 三栄町 - 四谷二丁目 - 四谷駅 - 麹町四丁目 - 半蔵門 - 三宅坂
  • 宿75:新宿車庫 - 東京オペラシティ南 - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局前→)- 新宿駅西口

早81系統

  • 早81:早大正門 - 東京女子医大 - 四谷三丁目 - 千駄ヶ谷駅 - 原宿駅 -(←表参道 / 渋谷区役所渋谷駅西口→)- 渋谷駅東口(平日・土曜
  • 早81:早大正門 - 東京女子医大 - 千駄ヶ谷駅 - 原宿駅 -(←表参道 / 神南一丁目・渋谷駅西口→)- 渋谷駅東口(休日
  • 早81:早大正門 - 東京女子医大前 - 千駄ヶ谷駅前 - 表参道 -(神南一丁目→)- 渋谷駅西口 → 渋谷駅東口(正月
  • 早81:小滝橋車庫 - 高田馬場駅 - 早大正門

早大正門 - 千駄ヶ谷駅が44系統として開業されてから、路線延長以外はあまり大きな変更がない。

原宿 - 渋谷間では反時計回りの循環経路をとっている。早大正門発は代々木競技場の南東を回って渋谷公園通り経由で渋谷へ向かい、池86と同様のルートで折り返す。渋谷駅東口の前後では乗り通し可能。2009年4月、長年担当していた小滝橋から新宿に移管、はとバス委託となった。小滝橋車庫への出入便は移管後も存続している。小滝橋車庫から、新宿車庫の間は回送される。

PS2用ゲームソフト「東京バス案内2」で、この系統が取り上げられた。

渋88系統

ファイル:Toei-bus-C-E874.jpg
中型車が使用されることもある渋88系統 (C-E874)
  • 渋88:渋谷駅 - 南青山五丁目 - 南青山七丁目 - 六本木駅 - 虎ノ門五丁目 - 神谷町駅 - 虎ノ門 - 新橋駅
  • 渋88:新宿車庫 → 西参道 →(無停車)→ 新宿四丁目 → 北参道 → 表参道 → 渋谷駅西口(平日・土曜朝1本のみ)
  • 渋88:渋谷駅東口 → 表参道 → 北参道 → 新宿四丁目 →(無停車)→ 角筈二丁目 → 西参道 → 新宿車庫(平日夜1本のみ)

廃止路線

田70系統

  • 田70甲:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 三ノ橋 -(←鳥居坂下 / 飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70乙:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 三ノ橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70丙:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 赤羽橋 -(←鳥居坂下 / 飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70丁:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 赤羽橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70出入:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 - (←角筈二丁目/新宿郵便局前→) - 新宿駅西口

新宿方面と田町方面で経由が異なっていた。六本木の芋洗坂が20時以降の車両通行を禁止してからは、両方向とも飯倉片町経由となった。都営地下鉄大江戸線が開業したことで路線の多くで重複することから、2000年12月12日に廃止。その後、一部に「ちぃばす」が設定された。

PS用ゲームソフト「東京バス案内」で、中ノ橋 → 新宿駅が収録されている。

東72系統

  • 東72:新宿駅西口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 代々木一丁目 - 代々木駅前 - 北参道 - 千駄ヶ谷駅前 - 球場前 - 北青山一丁目 - 赤坂八丁目 - 山王下 - 溜池 - 虎の門 - 新橋 - 数寄屋橋 - 有楽橋 - 東京駅八重洲口
  • 東72:新宿駅西口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 代々木一丁目 - 代々木駅前 - 北参道 - 千駄ヶ谷駅前 - 球場前 - 北青山一丁目 - 赤坂八丁目 - 山王下 - 溜池 - 虎の門 - 新橋

1952年に40系統(新宿駅 - 東京駅南口)として開業した。現在はバス空白地帯となっている青山・神宮球場・日本青年館を経由していた。開業から僅か2ヶ月後には東中野駅 - 新宿駅西口を延長、その1年後には赤坂経由・東京駅八重洲口発着に変更するなど、短期間で大幅な路線改編を見せる。改編はさらに続き、東京方面を千駄ヶ谷八幡から千駄ヶ谷駅前経由に(1962年5月10日)、新宿駅西口 - 代々木駅前を西参道経由に変更(1970年10月15日)した。

1971年には東中野駅 - 新宿駅西口を短縮と同時に新橋折返便を新設、直後に東72と名乗った。12月には新宿駅西口方面も千駄ヶ谷駅前経由となると、5年後の1977年に全線が廃止された。路線廃止まで、経由地変更や短縮などが相次いだ路線だった。赤坂青山周辺で廃止された路線の一部では、港区コミュニティバス「ちぃばす」が運行している。

秋76系統

  • 秋76:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局前→)- 新宿駅西口 -(←新田裏 / 新宿区役所前→)- 抜弁天前 - 若松町 - 牛込柳町 - 牛込北町 - 津久戸町 - 飯田橋 - 小石川橋 - 水道橋 - 御茶ノ水駅前 - 万世橋 -(←秋葉原駅西口/岩本町駅→)- 秋葉原駅東口
  • 秋76:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局前→)- 新宿駅西口 -(←新田裏 / 新宿区役所前→)- 抜弁天前 - 若松町 - 牛込柳町 - 牛込北町 - 津久戸町 - 飯田橋 - 飯田橋終点(現;都営飯田橋駅前)

1970年3月27日に新宿駅西口 - 岩本町が513系統として開通し、その後終点が秋葉原駅東口に延長、新宿側が橋78系統の廃止で新宿車庫発着となるが、2000年12月12日の大江戸線開業によって廃止された。テンプレート:要出典範囲

橋78系統

  • 橋78:新橋駅 - 西新橋一丁目 - 虎の門 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅南口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 新宿車庫前(初台交差点) - 初台 - 幡ヶ谷 - 笹塚 - 明治大学 - 下高井戸
  • 橋78:新橋駅 - 西新橋一丁目 - 虎の門 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅南口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 新宿車庫前(初台交差点) - 新宿車庫

1982年12月26日に全線廃止。

草79系統

  • 草79:新宿車庫裏 - 中央公園 - 新宿駅西口 - 厚生年金会館前 - 曙橋 - 市谷見附 - 飯田橋 - 小石川橋 - 妻恋坂 - 鳥越神社 - 厩橋 - 二天門 - 浅草公園

都営地下鉄新宿線の開業を目前にした改編で、1979年11月23日に廃止された。

四80系統

  • 四80:四谷駅前 - 赤坂見附 - 溜池 - (←赤坂アークヒルズ前) - 赤坂アークヒルズ

現在でこそ、港区には六本木ヒルズ東京ミッドタウンなど大規模再開発により誕生した商業施設が点在するが、最初に開業したのが赤坂アークヒルズである。

この系統の開業時は東京メトロ南北線がなく、アークヒルズへは国会議事堂前駅赤坂駅、神谷町駅のみで不便だった(溜池山王駅は開業前)。そんな中、アークヒルズの目の前を通る都01(渋谷駅 - 新橋駅)は唯一のアクセス手段として利用客が増え、交通局としても利用客減に悩まされ続けるなかで救世主となった。そんな追い風を受けて新しいアクセス路線を新設することになり、1986年4月17日に誕生した。

運行開始よりすぐに利用客が定着、混雑も激しくなったため増回し、車両も大型車に変更した。さらに不足する需要の応対には、品川から応援(当時運行されていた四92の区間便を間引きし、四80で運行)に当たっていた。中型車は小滝橋自動車営業所へ転属させ、同所の東71(東京駅北口~大久保駅前)や早81(早大正門~渋谷駅西口)等の閑散路線用に交換した。

しかし、一番恐れていた事態が発生する。南北線の延伸が決まり、営団地下鉄;現東京メトロ銀座線と南北線の交差地点に溜池山王駅を開業させることになり、風向きが一気に不安定になる。溜池山王駅が開業することによって全区間が平行区間になり大打撃を受け、四80は土休日の運行が中止、目黒延伸で六本木一丁目駅が開業した時点で役割を終えた。それに追い打ちをかけるかのように、3ヵ月後の都営地下鉄大江戸線開通で平日便も廃止され、完全に息の根を止められた。四92も反96に統合され、都営バスでも有数の車窓風景の名所であった迎賓館から路線が消えた。現在、四80が使用していたアークヒルズ構内は、都01の折返し便が使用している。

ちなみに四80は、アークヒルズを出ると道路の構造上で溜池方面へ曲がれないため、一旦逆の渋谷方向に走り、首都高谷町JCT下でUターン、六本木通り東行きの「赤坂アークヒルズ前」に停車して四ッ谷駅へ向かっていった。この間の所要時間は約5分で、地下道を通ればアークヒルズ構内で乗り遅れたバスに道路上で乗ることも可能だった。

池86系統

  • 池86:新宿車庫 → 西参道→ 新宿四丁目 → 表参道 → 渋谷駅西口(西参道~新宿4丁目間は無停車)
  • 池86:渋谷駅東口 → 表参道 → 新宿四丁目 → 新宿伊勢丹前(新宿伊勢丹前~新宿車庫間は回送)

2009年4月1日の都01撤退により廃止された。が、渋88系統の入出庫の内の1便を営業しており、系統番号の変更位で、現在も運転されている。出入とも新宿車庫前の発着である。渋88出入系統を参照。池86の本線は都営バス早稲田営業所を参照。

移管路線

C・H01系統

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都01系統

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渋66系統

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品97系統

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備考

指定車種いすゞ自動車工業川崎ボディ→IK-コーチ(※1970年代までは、後部の丸いグリルが特徴であった富士重工業製ボディを架装されたいすゞBA20も配置されていた)

音声合成レシップ → ネプチューン(現・レゾナント・システムズ

  • 長らくいすゞ自動車工業製が中心(C・H01用の都市型超低床車を除く)だったが、営業所から近い都庁構内のCNGステーション新設によりCNG車も投入された。(三菱ふそう、日産ディーゼル、日野自動車の合計4社製共配置された。3ドアーのリフト付き車も含む)
  • 一時期、日野自動車工業製(C-F460・C-F461)が配置されたが、2005年に杉並に転出して在籍が無くなるものの、2007年に再配置された。10月にはC・H01・宿74・宿75などにBRCハイブリッドも投入された。
  • 都営初のノンステップバス (C-C200) が投入された営業所。C-C200 は2009年11月に除籍されるまで、他営業所に転出することは無かった[2]
  • 渋谷自動車営業所新宿分駐所時代は、記号がBになったと共に標記も(渋谷)となっていた。しかしナンバーのみは新宿分駐所配置を表す練馬であった。

脚注

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関連項目

テンプレート:Tobus

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  1. 営業所記号はCだったが、分駐所時代には渋谷のBに変わった。ナンバーは品川ではなく練馬のまま。
  2. 同時期に C201 も登場したが、こちらは試験運行を都営バス管内各地で行うのに伴い、新宿以外に品川・葛西・練馬・小滝橋を経て所属し、2010年除籍。