伊賀神戸駅
伊賀神戸駅(いがかんべえき)は、三重県伊賀市比土にある、近畿日本鉄道(近鉄)・伊賀鉄道の駅である。近鉄の管轄駅(近鉄と伊賀鉄道の共同使用駅)である。
近鉄の大阪線と、伊賀鉄道の伊賀線が乗り入れる。伊賀線は当駅が終点である。2007年9月30日以前は、伊賀線も近鉄の路線であったため、当駅は近鉄単独駅であった。
駅構造
合計3面3線のホームを持つ地上駅。駅舎は線路北側にある。
駅舎側に単式ホーム1面1線の伊賀鉄道ホームがある。かつては島式1面2線だったが、駅舎改良工事に伴う2007年7月9日の伊賀線のダイヤ変更により、6番線が廃止された。
その奥に相対式ホーム2面2線の近鉄ホームがある。かつては単式・島式併用の2面3線で、下りホームが島式であったが、伊賀鉄道側の線路はロープが張られ使用を停止、さらに駅舎改良工事時に柵が設置され線路も撤去された。
駅舎改良工事で、自動改札機は近鉄線と伊賀鉄道の乗り換えに対応するためにホーム側に移動された。かつては自動改札機が設置されていた場所付近に伊賀鉄道の自動券売機が設置された。廃止された6番線は伊賀鉄道ホームへの改札からの通路(スロープ)となり、近鉄時代まで使われていた通路は朝のラッシュ時(7:20 - 8:00)に学生および定期券所持者専用乗り換え口(2007年12月10日までは学生専用乗り換え口)になっている。それ以外の時間は柵で閉め切られる。
青山町寄りに保線用車両の留置線が設置されている(2007年頃までは引き上げ線として利用。また同時期までは大阪線本線上に逆方向の片渡り線も設置されていた)。
のりば
各ホームの詳細は駅舎側から順に以下の通り。1・2番のりばの有効長は10両。5番のりばの有効長は2両。
伊賀鉄道のりば | ||
---|---|---|
5 | テンプレート:Color伊賀鉄道伊賀線 | 上野市・伊賀上野方面 |
近鉄のりば | ||
1 | テンプレート:Color近鉄大阪線(下り) | 伊勢中川・松阪・宇治山田・賢島・津・名古屋方面 |
2 | テンプレート:Color近鉄大阪線(上り) | 名張・大和八木・大阪上本町・ 大阪難波・神戸(三宮)・奈良・京都方面 |
名阪特急は朝の大阪方面行きのみの停車で、名古屋行きはすべて通過する。そのため名古屋方面へは基本的に伊勢中川駅で乗り換えとなるが、直通急行が朝に1本だけ存在する。京伊特急はすべて通過するため京都方面へは大和八木駅で乗り換える必要がある。
特徴
- 近鉄線
- 快速急行以下の種別がすべて停車。
- 日中は上下とも1時間に1本特急が停車する。下り特急も伊勢中川駅で名古屋行特急にスムーズに連絡している(上り特急も伊勢中川駅で名古屋方面からの特急からスムーズに連絡している)。所要時間は大阪上本町まで約1時間、津まで約30分、四日市まで約55分、名古屋まで約1時間20分である。なお、朝6時台と7時台の大阪方面行は1時間に3本特急が停車し、18時台から22時台の伊勢中川方面行は1時間に2本特急が停車する。また、朝7時台の伊勢中川方面行も1時間に2本特急が停車し、18時台と19時台の大阪方面行も1時間に2本特急が停車する。早朝大阪方面行には始発の特急もある(実際は青山町駅から運転)。なお、当駅に停車する特急は布施駅には停車しない。
- 特急券と定期券の購入が可能。
- 自動改札機はオムロン製が設置されている(伊賀鉄道関連の改良工事により移設・増設された)。赤い自動改札機は出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCA対応。
- 自動精算機はPiTaPa・ICOCA対応のタッチパネル式のものが設置されている。
- 自動券売機は3台設置されている。1台のみタッチパネル式であるが、ICカードは使用不可。
- 特急列車が停車する際の車内チャイムは、瀧廉太郎作曲の「花」。
- 近鉄では駅名標で旧国名の部分が「大和八木」のように小さく表示されることが多いが、当駅は「伊賀」の部分も「神戸」と同じサイズで書かれている。また、以前(2004年ころまで)近鉄では駅や車内のアナウンスで旧国名を省略することがあったが、当駅は省略されることなく「伊賀神戸」とアナウンスされていた。近鉄で「神戸」が付く駅は他に、伊勢神戸駅(鈴鹿市駅の旧称)・広神戸駅・北神戸駅(いずれも現・養老鉄道養老線)が存在した。
- 1991年に青山町駅が配線変更され折り返し能力が向上する前は、当駅を始終着とする区間快速急行・普通列車が設定されていた。また、駅における列車案内表示や車両の行先表示幕でも、当駅に関しては旧国名を省略せず、「伊賀神戸」とフル表示されていた。
- 伊賀鉄道線
- 伊賀線は近鉄線時代の頃、無人駅が多いことから不正乗車を抑止するため、またスルッとKANSAI対応カード及びJスルーカードが使用できず、対応エリア駅から間違って使用してきた人を確認するため、伊賀線ホームにおいて駅員による地上改札(近鉄では乗客に対して「検札」という言葉を使っていないため)が必要に応じて実施されていた。なお前述のように、伊賀鉄道への移管後は近鉄大阪線とは改札が分けられており、近鉄線から伊賀線への乗換の際には、一旦近鉄線の自動改札を出てから、伊賀鉄道の有人改札を通る形になっている(逆も同様)。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。伊賀鉄道は当初年度より、近鉄は2010年度より両社での乗り継ぎ人員を含んでいる。
年度 | 近畿日本 鉄道 |
伊賀鉄道 |
---|---|---|
1997年 | 1,477 | |
1998年 | 1,442 | |
1999年 | 1,521 | |
2000年 | 1,601 | |
2001年 | 1,522 | |
2002年 | 1,429 | |
2003年 | 1,368 | |
2004年 | 1,320 | |
2005年 | 1,279 | |
2006年 | 1,256 | |
2007年 | 1,410 | 2,767 |
2008年 | 1,634 | 2,179 |
2009年 | 1,545 | 2,098 |
2010年 | 2,864 | 2,031 |
2011年 | 2,750 | 1,894 |
2012年 | 2,653 | 1,802 |
- 伊賀神戸駅の利用状況の変遷は下表の通り。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位: 人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意のこと。
- 2007年までは伊賀線も近鉄直轄路線であり、大阪線と伊賀線相互の乗換客を計上していないので比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
- 2010年11月9日の乗降人員は5,455人[1]。
年度別利用状況(近鉄 伊賀神戸駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 138,120 | ←←←← | 60,084 | 198,204 | |||
1951年(昭和26年) | 133,170 | ←←←← | 58,652 | 191,822 | |||
1952年(昭和27年) | 131,850 | ←←←← | 59,776 | 191,626 | |||
1953年(昭和28年) | 109,800 | ←←←← | 58,572 | 168,372 | |||
1954年(昭和29年) | 124,230 | ←←←← | 65,552 | 189,782 | |||
1955年(昭和30年) | 156,810 | ←←←← | 65,826 | 222,636 | |||
1956年(昭和31年) | 145,890 | ←←←← | 71,348 | 217,238 | |||
1957年(昭和32年) | 141,660 | ←←←← | 74,086 | 215,746 | |||
1958年(昭和33年) | 142,200 | ←←←← | 67,599 | 209,799 | |||
1959年(昭和34年) | 131,250 | ←←←← | 65,949 | 197,199 | |||
1960年(昭和35年) | 124,500 | ←←←← | 64,937 | 189,437 | |||
1961年(昭和36年) | 134,970 | ←←←← | 71,746 | 206,716 | |||
1962年(昭和37年) | 140,700 | ←←←← | 74,968 | 215,668 | |||
1963年(昭和38年) | 148,200 | ←←←← | 72,013 | 220,213 | |||
1964年(昭和39年) | 155,100 | ←←←← | 76,720 | 231,820 | |||
1965年(昭和40年) | 152,790 | ←←←← | 81,826 | 234,616 | |||
1966年(昭和41年) | 150,750 | ←←←← | 83,406 | 234,156 | |||
1967年(昭和42年) | 152,310 | ←←←← | 78,044 | 230,354</span> | |||
1968年(昭和43年) | 161,140 | ←←←← | 98,546 | 259,686 | |||
1969年(昭和44年) | 154,290 | ←←←← | 111,300 | 265,590 | |||
1970年(昭和45年) | 156,120 | ←←←← | 114,078 | 270,198 | |||
1971年(昭和46年) | 154,800 | ←←←← | 125,355 | 280,155 | |||
1972年(昭和47年) | 166,530 | ←←←← | 145,060 | 311,590 | |||
1973年(昭和48年) | 177,900 | ←←←← | 151,422 | 329,322 | |||
1974年(昭和49年) | 191,610 | ←←←← | 139,307 | 330,917 | |||
1975年(昭和50年) | 206,130 | ←←←← | 149,708 | 355,838 | |||
1976年(昭和51年) | 188,220 | ←←←← | 146,140 | 334,360 | |||
1977年(昭和52年) | 200,700 | ←←←← | 153,677 | 354,377 | |||
1978年(昭和53年) | 218,400 | ←←←← | 161,953 | 380,353 | |||
1979年(昭和54年) | 242,250 | ←←←← | 169,641 | 411,891 | |||
1980年(昭和55年) | 254,700 | ←←←← | 168,878 | 423,578 | |||
1981年(昭和56年) | 266,850 | ←←←← | 170,715 | 437,565 | |||
1982年(昭和57年) | 272,040 | ←←←← | 172,840 | 444,880 | 11月16日 | 2,176 | |
1983年(昭和58年) | 283,650 | ←←←← | 177,391 | 461,041 | 11月8日 | 2,338 | |
1984年(昭和59年) | 287,610 | ←←←← | 174,350 | 461,960 | 11月6日 | 2,354 | |
1985年(昭和60年) | 297,000 | ←←←← | 182,484 | 479,484 | 11月12日 | 2,338 | |
1986年(昭和61年) | 307,050 | ←←←← | 199,476 | 506,526 | 11月11日 | 2,509 | |
1987年(昭和62年) | 299,850 | ←←←← | 219,407 | 519,257 | 11月10日 | 2,567 | |
1988年(昭和63年) | 309,930 | ←←←← | 217,559 | 527,489 | 11月8日 | 2,563 | |
1989年(平成元年) | 314,370 | ←←←← | 231,763 | 546,133 | 11月14日 | 2,727 | |
1990年(平成2年) | 328,980 | ←←←← | 237,794 | 566,774 | 11月6日 | 3,005 | |
1991年(平成3年) | 337,530 | ←←←← | 222,540 | 560,070 | |||
1992年(平成4年) | 336,360 | ←←←← | 214,742 | 551,102 | 11月10日 | 2,995 | |
1993年(平成5年) | 341,850 | ←←←← | 221,917 | 563,767 | |||
1994年(平成6年) | 369,330 | ←←←← | 224,879 | 594,209 | |||
1995年(平成7年) | 372,240 | ←←←← | 225,175 | 597,415 | 12月5日 | 2,749 | |
1996年(平成8年) | 346,380 | ←←←← | 220,513 | 566,893 | |||
1997年(平成9年) | 322,350 | ←←←← | 216,831 | 539,181 | |||
1998年(平成10年) | 317,550 | ←←←← | 208,618 | 526,168 | |||
1999年(平成11年) | 343,380 | ←←←← | 213,339 | 556,719 | |||
2000年(平成12年) | 371,400 | ←←←← | 212,863 | 584,263 | |||
2001年(平成13年) | 345,540 | ←←←← | 210,006 | 555,546 | |||
2002年(平成14年) | 317,340 | ←←←← | 204,131 | 521,471 | |||
2003年(平成15年) | 300,570 | ←←←← | 200,155 | 500,725 | |||
2004年(平成16年) | 286,590 | ←←←← | 195,363 | 481,953 | |||
2005年(平成17年) | 268,710 | ←←←← | 198,047 | 466,757 | 11月8日 | 2,892 | |
2006年(平成18年) | 264,210 | ←←←← | 194,085 | 458,295 | |||
2007年(平成19年) | 265,650 | ←←←← | 250,422 | 516,072 | 10月1日 伊賀線を分離 | ||
2008年(平成20年) | 300,630 | ←←←← | 295,742 | 596,372 | 11月18日 | 5,770 | |
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | 11月9日 | 5,455 |
2007年(平成19年)10月1日に伊賀線は近鉄から分離された。これ以前のデータでは、同一鉄道事業者(近鉄)運営路線であった大阪線と伊賀線の乗り継ぎ利用者については当駅の乗車(乗降)人員数にカウントされていないが、当駅で乗車し伊賀線方面に向かった利用者についてはカウントされている。一方、近鉄からの伊賀線分離以降は、大阪線と伊賀線の乗り継ぎ利用者は当駅(近鉄伊賀神戸駅)の乗車(乗降)人員数にカウントされており、伊賀鉄道伊賀神戸駅で乗車し伊賀線方面に向かった利用者については当駅(近鉄伊賀神戸駅)の乗車(乗降)人員数にカウントされていない。従って、2007年度(平成19年度)・2008年度(平成20年度)については、実際の利用状況の動向とは別に、これらの要因で数値が大きく変動している(増加している)ように見えるので、数値の推移を見る場合は注意を要する。
- 伊賀鉄道線
年度別利用状況(伊賀鉄道 伊賀神戸駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
2007年(平成19年) | 433,050 | ←←←← | 73,252 | 506,302 | 下半期の値 | ||
2008年(平成20年) | 658,080 | ←←←← | 137,381 | 795,461 | 11月14日 | 3,883 | |
2009年(平成21年) | ←←←← |
駅周辺
駅周辺は昔ながらの住宅街となっているが、人家はあまり多くない。
- 木津川
- メナード青山リゾート(送迎バス)
歴史
- 1922年(大正11年)7月18日 - 伊賀鉄道(旧)(現在の伊賀線)庄田駅が上野町(現・上野市) - 名張(のちの西名張)間開通時に開業。場所は現在の伊賀神戸駅から西名張方向に数百メートル進んだ地点であった。
- 1926年(大正15年)
- 1929年(昭和4年)3月31日 - 伊賀電気鉄道庄田駅、会社合併により大阪電気軌道伊賀線の駅となる。
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)9月26日 - 伊賀線が大阪電気軌道より参宮急行電鉄に譲渡され、参宮急行電鉄単独駅となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道と参宮急行電鉄の会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1945年(昭和20年)6月1日 - 伊賀線の伊賀神戸 - 西名張間が休止。
- 1946年(昭和21年)3月15日 - 伊賀線の伊賀神戸 - 西名張間が営業再開。
- 1959年(昭和34年)12月23日 - 大阪線の美旗 - 伊賀神戸間複線化。
- 1961年(昭和36年)8月21日 - 大阪線の伊賀神戸 - 阿保間複線化。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 伊賀線の伊賀神戸 - 西名張間廃止。伊賀線の終着駅となる。
- 2007年(平成19年)
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 大阪線
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color普通
- 伊賀鉄道
- 伊賀線
- 比土駅 - 伊賀神戸駅
かつて存在した路線
- 近畿日本鉄道
- 伊賀線(廃止区間)
- (比土駅 -) 伊賀神戸駅 - 美旗新田駅
脚注
- ↑ 駅別乗降人員 大阪線 - 近畿日本鉄道