芦川村

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テンプレート:Infobox 芦川村(あしがわむら)は、山梨県にあった

2006年8月1日笛吹市への編入合併により同村及び東八代郡は消滅した。

概要

地理

東八代郡の最南端、山梨県を「国中地方」と「郡内地方」に分ける御坂山地にある山村。

富士川の支流芦川の源流部にある。

また、2006年3月1日中道町甲府市に編入されたことで、東八代郡で唯一の自治体となっていた。

気候

ファイル:Nakaashikawa Ashikawa Yamanashi in about 1945.jpg
冬季には雪に閉ざされる
1945年頃撮影
  • 年平均気温が10.4℃であり、これは県庁所在地である甲府市との平均気温と約3度ほど差がある。夏は冷涼であるが、冬は雪が降る。風向きはは芦川渓谷に沿って東風と西風が強い。[2]

自然災害

人口

  • 誕生後から第二次世界大戦終戦までは主に都心部からの疎開者復員兵によって人口が増加したが、終戦後は集団就職などによって都心部に人口が流出し、人口が減少した。[4]2003年4月1日芦安村が5町村と合併して南アルプス市となった後は、山梨県下で最も人口の少ない自治体だった。人口が1000人が満たないことゆえに過疎化が進行し、若年層の流出が深刻であり、高齢化が進んだ。[2]それを食い止めることを目的として村内に居住することを目的として1983年1984年1989年に教員住宅、[5]さらに2001年に上芦川に村営住宅を完成させた。[6]また、1988年に山村留学事業を開始し、村営住宅が建設され、小中学生11人・教員が20人が入居し、村民になった。[5]

歴史

吾妻鏡』に拠れば治承4年(1180年)10月13日には甲斐源氏の一族が甲府盆地から鳥坂峠・大石峠を越え富士北麓に至る若彦路を通過したとされる。

沿革

地域

大字

  • 笛吹市の編入合併後には「笛吹市芦川町(大字)」と表記される。
    • 上芦川
    • 新井原
    • 中芦川
    • 鶯宿

行政

  • 村長 - 野沢今朝幸

行政施設

村の歌・花・木・鳥

1969年4月1日に村花・村木が制定される[8]

村章

  • 1969年3月24日に左右を「ア」と置き、図案化し、「川」を配し、村民の「和・協力・団結」と村の発展を象徴している目的に制定された。[8]

自治体合併

甲府市・中道町・上九一色村との合併

笛吹市との合併

産業


交通

交通死亡事故達成

バス

道路

国道はない。

アクセス

最寄り駅:JR中央本線石和温泉駅

甲府市から

東京都から

2010年3月に、御坂山地を挟んだ富士河口湖町との間に若彦トンネルが供用され、富士北麓地域とのアクセス道路が確保された。

ファイル:Wakahiko Tunnel north entrance.jpg
若彦トンネル北口(芦川側)

教育

建築様式

観光地

祭事・催事

出身者

参考文献

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 3.2 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p80
  4. 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p74
  5. 5.0 5.1 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p79
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p82
  7. 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p71
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite web
  12. 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p81
  13. 村勢65周年記念誌 [閉村記念誌] 芦川 ふるさとの詩 p83

関連項目

外部リンク

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