セーヌ=サン=ドニ県
セーヌ=サン=ドニ県(Seine-Saint-Denis)は、フランスのイル=ド=フランス地域圏の県である。県庁所在地はボビニー。県内には地名の由来となったサン=ドニ大聖堂を擁するサン=ドニがある。同地には1998 FIFAワールドカップのスタジアムとしてスタッド・ド・フランスが建設された。
目次
地理
セーヌ=サン=ドニ県は、パリの北東部に位置する。その面積は約236平方キロメートルであり、フランスの県のうちでも小さい部類に入る。同様に小さな県であるオー=ド=セーヌ県及びヴァル=ド=マルヌ県とともに、パリの街を取り囲んでおり、この3県はパリの「小さな王冠」《la petite couronne》と呼ばれている。
水運
北西部においては、セーヌ川が境界となっている。 ウルク運河及びサン・ドニ運河が19世紀初頭に造られたほか、ヴェール=シュル=マルヌとヌイイ=シュル=マルヌとの短絡及び灌漑を目的として、1865年にシェル運河が開削された。
気候
セーヌ=サン=ドニ県の気候は、パリの気候に似ている。すなわち、西岸海洋性気候に属し、暖流である北大西洋海流の影響で高緯度の割には温暖である。 夏は平均気温が18度で、冷涼で乾燥しており過ごしやすく、冬も平均気温が6度程度と比較的温暖である。 年間降水量は647 mm ほどであり、それほど多くはない。
歴史
セーヌ=サン=ドニ県は、1964年7月10日の法律及び1965年2月25日のデクレの施行によって、1968年1月1日に設置された。現在の県北西部(サン=ドニ郡及びボビニー郡)はかつてのセーヌ県 の24コミューンで、現在の県東部(ランシー郡)はかつてのセーヌ=エ=オワーズ県の16コミューンである。
セーヌ=サン=ドニ県の設置は、パリ市を含むセーヌ県及びこれを取り巻くセーヌ=エ=オワーズ県を同時に廃止して、パリ市を独立させた上で、両県にまたがるパリ周辺部を再編することによって実現された。このような地域の分断は、多かれ少なかれ、ド・ゴールの政策実施の大きな障害(フランス共産党)が存在した特定の場所の特定の時代(フランス第五共和政移行期)における特定の政治勢力(ゴーリズム)の意図によってのみ、理由を説明することができる。
すなわち、フランス共産党は、1935年の地方選挙から「小さな王冠」の「赤いベルト」の各自治体において党勢を拡大させていたが、さらに支持を得、数次にわたってセーヌ県県議会議長の座を保持し続けていた。そこで、このような政局を解消するため、保守系政党によって、暗黙の譲歩としてのセーヌ=サン=ドニ県が設置され、そこがフランス共産党に領土として与えられたのである。
このような譲歩は、結果として、最も重要な都市開発(特にラ・デファンスやクレテイユ)が予定され、かつ、パリ近郊におけるフランス共産党の影響を低下させるために計画された、郊外の他2県(オー=ド=セーヌ県及びヴァル=ド=マルヌ県)の設置を容易にした。
もっとも、セーヌ=サン=ドニ県の微妙な県域設定には、人民戦線の時代から赤いベルトの核心であったセーヌ県の旧自治体に、左翼議員(特に共産主義者)を選出する可能性が低いことで有名なセーヌ=エ=オワーズ県の自治体を組み合わせることで、共産党の影響力を他の2県のように緩和するという、保守派の思惑もあった。
行政区画
セーヌ=サン=ドニ県は3つの郡、40のコミューンで構成されている。
テンプレート:Colorサン=ドニ郡 | テンプレート:Colorボビニー郡 | テンプレート:Colorランシー郡 |
|
---|