筑前りょう太
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筑前 りょう太(ちくぜん りょうた、男性、本名:椎葉 亮司(しいば りょうじ)、1973年2月24日 - )は、日本のプロレスラー。福岡県糟屋郡志免町出身(一時は博多区出身を名乗っていた)。リングネームは出身地に因む。血液型A型。元マスクマンSHIIBA(シーバ)。現在は九州プロレス理事長兼選手。
プロレスによる地域興しを模索し、KAIENTAI-DOJO所属時に在住していた千葉では千葉商工会議所青年部の理事を務めていた。現在はプロレス興行の傍ら、子供の健全育成やスポーツ文化の増進を目的に、学校などでの講演活動も行う。
来歴
- 九州産業大学在学時から体を鍛え、卒業後、プロレスラーになるためメキシコへ渡航。
- 1998年1月4日、「SHIIBA」という名の覆面レスラーとしてメキシコ・アステカブドーカンにてミル・マスカラス&ブルー・デモン・ジュニア組と対戦。パートナーはアイスキラー。
- 帰国後、磁雷矢・飛影・SHIIBAの3人でルチャリブレ日本なるユニットを組み、華☆激に参加。大きな和太鼓を担いで入場し、リング上で演奏するパフォーマンスで場内を湧かせた。
- 大量離脱後の全日本プロレスにも参戦していた。
- KAIENTAI-DOJO(K-DOJO)所属になってからは「千葉ポートタワーズ」のメンバーとして活躍。その後、ヒールユニット「勤王党」のメンバーとなった。
- K-DOJOでの活動と並行し新日本プロレスに魔界倶楽部のマスクマン「魔界2号」として参戦。巨体ながらテクニカルな部分を存分に披露した。だがIWGP U-30無差別級王座保持者である棚橋弘至とのマスク剥ぎマッチに敗れ素顔となった。後に、新日本プロレスの単発興行であるWRESTLE LANDにも再び魔界2号として参加している。
- 2007年5月19日に開催のパフォーマンスイベントRINGにて「レッツゴー!陰陽師」のダンスが行われた際に矢部野彦麿役の和泉元彌と共に坊主ダンサーズの一員として参加し注目された。
- 生まれ故郷の九州で地域密着型のプロレス団体を立ち上げる夢を実現するため、KAIENTAI-DOJOからの脱退と九州プロレス設立を決意した。九州プロレスは2007年10月16日、日本初のNPO法人によるプロレス団体として認証され、筑前は理事長に就任。
- 2007年12月15日にKAIENTAI-DOJO所属としての最終試合を行い、千葉商工会議所のメンバー等も多数応援に駆けつけた。
- 2008年2月5日、九州プロレス設立記者会見。2008年5月11日、プレ旗揚げ戦。2008年7月6日、福岡市天神の西鉄ホールにて旗揚げ戦を開催。
得意技
- がつんといくばい
- クローズライン。
- かつぐばい
- エクスプロージョンより改称、アルゼンチン・バックブリーカー。
- とぶばい、アートバープレス
- ビッグスプラッシュより改称、コーナーからのボディ・プレス。
- まわるばい
- スリング・ブレイド。
- 博多押さえ込み
- ロープに自分の足をかけての逆さ押さえ込みで、反則技である。魔界2号時代に棚橋弘至からフォールを奪ったこともある。
- スピアー
タイトル歴
- UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座:1回(パートナーはTAKAみちのく)
- STRONGEST-K優勝
入場テーマ曲
- 初代:「WANT WALK A WAY」(メルソン)
- 二代目:「黒田節」
- 三代目:「offensive poune」(T.A.Factory)※キングレコード「KAIENTAI-DOJO」に収録
特記
- 必殺技の前には「かつぐばーい!」、「とぶばーい!」などと予告の博多弁で雄叫びをあげてテンションを高めている。私生活やリング外でも博多弁で通した。
- 一時期対戦相手に握手を求め、それに応じようとする相手に「嘘じゃー!!」と叫び襲撃するという手口も使っていた。
- 以前のプロフィールでは、誕生日が1月4日だった。現在は2月24日となっている。
- 好物は益正の牛すじ。筑前りょう太、SHIIBA、魔界2号で選手名鑑が分かれていたときも、このデータだけは共通だった。
- 家庭での子育てぶりを綴るブログを書いている。
- K-DOJO時代、観客60歳以上限定の興行「R-60」をプロデュースした。
関連項目
外部リンク
- 悪役レスラー“裏”物語(筑前りょう太のブログ)