置戸駅
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ファイル:Chihoku Line Oketo Station--modified.jpg JR北海道当時の駅舎(ホーム側より撮影、1989年3月) ファイル:北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線・置戸駅・CR75-3・1.jpg 発車時刻待ちの北見行CR75-3(置戸、1998年7月3日) |
ファイル:Oketo eki.jpg
1977年、国鉄池北線時代の置戸駅と周囲1km範囲。右上が北見方面。標高約220m、周囲の山々と300m程高低差のある谷筋に、木材搬出を主目的として作られた駅で、山を越えた北隣の石北本線留辺蘂駅と似ている。駅裏正面から池田側に北見営林局置戸営林署管轄の広大なストックヤード(土場)が広がる。その周囲には沢山の木工場が建てられており、駅裏は殆んど全て木材関係の施設が占めている。相対式ホーム2面2線と駅舎横の北見側に貨物ホームと引込み線、駅裏側に3本の留置線、そこからヤードの池田側へ2本の貨物積卸線が伸びる。かつてはもう一本ヤードの中央に伸びていたが、既に撤去されて軌道跡が小道状になっている。その積卸線と本線との間に建家があるが、置戸-陸別間にある池北峠越え用の補機用機関車の車庫で、以前はそのすぐ北見寄りに転車台があったが、撤去され埋められて殆んど痕跡が無くなっている。
かつてはこのヤードの南西端へ置戸森林鉄道が接続し、西方の常呂川上流、現在の鹿の子ダムよりさらに上流にある支流の上ホロカトコロナイ川や、勝山から南西に分かれる支流の仁居常呂川上流から、勝山に設けられた土場を中継地として、木材を運び込んでいた。写真左下に見える踏切よりも川寄り、本線の常呂川鉄橋手前に窪んでカーブして行く跡と本線の短い鉄橋が残っているが、軌道はそこを潜り抜けて、川を渡らずに旧道に沿って山裾を回り込みながら勝山へ向かっていた。 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
かつてはこのヤードの南西端へ置戸森林鉄道が接続し、西方の常呂川上流、現在の鹿の子ダムよりさらに上流にある支流の上ホロカトコロナイ川や、勝山から南西に分かれる支流の仁居常呂川上流から、勝山に設けられた土場を中継地として、木材を運び込んでいた。写真左下に見える踏切よりも川寄り、本線の常呂川鉄橋手前に窪んでカーブして行く跡と本線の短い鉄橋が残っているが、軌道はそこを潜り抜けて、川を渡らずに旧道に沿って山裾を回り込みながら勝山へ向かっていた。 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
置戸駅(おけとえき)は、北海道常呂郡置戸町字置戸にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である。電報略号はオケ。
駅構造
- 相対式ホーム2面2線の地上駅。コミュニティーセンターと合築になっている。
- 社員配置駅(駅長と助役)。平日日中のみ営業。改札業務はしなかった。廃止前1ヶ月程度の期間は土日祝も営業していた。
- 廃止後は観光案内所で北海道北見バスの回数券・定期券を発売し、バスは駅前には乗り入れている[1]。
- この駅での夜間停泊は行わず、北見駅へと折り返していた(国鉄時代からふるさと銀河線初期は回送列車扱いだった)
駅名の由来
アイヌ語の「オ・ケトゥ・ウン・ナイ」(川尻に毛皮を干す枠のある川)より。
駅廃止後
駅事務室が置戸町歯科診療所へ改修されたほか[2]、2012年(平成24年)10月25日には駅の吹き抜けの開放的な空間を生かして町民有志が運営する「ぽっぽ絵画館」 が開設された[3][4]。ホームや線路・碑などはそのまま残されている。
駅周辺
置戸町の中心駅。町の機能がほぼそろっている。
- コミュニティーホール「ぽっぽ」
- 置戸町役場
- 北見警察署置戸駐在所
- 置戸郵便局
- 北見信用金庫置戸支店
- きたみらい農業協同組合(JAきたみらい)置戸支店
- 北海道置戸高等学校
- 国道242号
- 常呂川
- 北海道北見バス「置戸」停留所
歴史
- 1911年(明治44年)9月25日 - 国有鉄道の駅として開業。一般駅。
- 1921年(大正10年) - 置戸森林鉄道開設。
- 1932年(昭和7年)頃 - 駅舎改築[5]。
- 1961年(昭和36年) - 置戸森林鉄道廃止。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
- 1989年(平成元年)6月4日 - 北海道ちほく高原鉄道に転換。
- 2006年(平成18年)4月21日 - ふるさと銀河線廃線により廃止。
置戸森林鉄道
- 1920年(大正9年) - 置戸森林鉄道敷設工事着工。
- 1921年(大正10年)
- - 中里に貯木場(中置戸土場)設置。
- 8月 - 幹線(置戸駅-中置戸-二股(現・勝山))16.6km竣工。
- 11月 二股より仁居常呂支線 9.6km、士居常呂支線 11.8km 各線延長。
- 1922年-1925年 仁居常呂支線 25.1km、士居常呂支線 24.9km 各線延長。
- 1923年(大正12年) - 置戸貯木場(駅土場)設置。
- 1925年(大正14年) - 駅土場へ引込線200m敷設。
- 1929年(昭和4年) - 士居常呂支線 4.0km延長。
- 1931年(昭和6年) - 中置戸土場閉鎖、置戸駅土場に集約。
- 1961年(昭和36年) - 廃止、軌道撤去。
隣の駅
小利別と置戸間の釧北峠(現・池北峠)に、1916年(大正5年)から1931年(昭和6年)まで釧北信号場が置かれていた。また、同一地点に戦後まもない頃(時期不詳)から1957年(昭和32年)まで釧北仮乗降場が置かれていた。
参考資料
- 置戸町史 上下巻 昭和60,62年発行
脚注
関連項目
テンプレート:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線- ↑ “発信2012 ふるさと銀河線 廃止その後 上 代替バス 重い地元負担 減便も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年4月24日)
- ↑ “旧ふるさと銀河線置戸駅 町歯科診療所の移転進む スペース広がり車いすにも対応 4月オープン予定”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2007年1月20日)
- ↑ “旧置戸駅舎に絵画館 町民有志が運営 全国「無名画家」寄贈の100点展示”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年10月25日)
- ↑ “旧置戸駅舎にオープン ぽっぽ絵画館 作家の力作 多彩に集結 セレモニーに50人 画家、寄贈者が解説も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年10月26日)
- ↑ 置戸町史 上巻 昭和60年8月発行 P732。