三木鉄道三木線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月28日 (月) 04:39時点における210a (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
テンプレート:UKrail-headerテンプレート:BS-datenテンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-tableテンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS

|}

三木線(みきせん)は、兵庫県加古川市厄神駅から兵庫県三木市三木駅までを結んでいた三木鉄道鉄道路線である。2008年4月1日に廃止された。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):6.6km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:9駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:スタフ閉塞式

概要

美嚢川沿いの田園地帯を走り、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線と金物の町三木を結んでいた。

元々の開業意図が貨物輸送であり、当時の物流ルートであった美嚢川の舟運を代替する目的で加古川・高砂へ向かって線路が敷かれたため、歴史的な人的交流ルートとズレがあり、1916年の開業当初から旅客輸送は僅少であった。

1937年に現在の神戸電鉄粟生線が開業すると京阪神方面への旅客流動はさらに減り、戦後の貨物輸送廃止後はジリ貧となっていた。このため1968年には赤字83線に選定され、また1981年に第一次特定地方交通線に指定され、1985年に三木鉄道へと転換された。しかし、転換前は加古川への直通列車が主体であったが、転換後は加古川への直通列車もなくなったために一層乗客が減少するという厳しい状況が続いていた。

三木鉄道は長らく保有車両が2両と旅客鉄道会社では日本最少であったが1998年末に1両増備されたため最少ではなくなった。営業距離も第三セクター鉄道では最短であったが2002年開業の芝山鉄道にその座を譲った。

経営改善を狙い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発中の線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル (DMV) を導入して、三木線の終点三木駅から約800m離れている神戸電鉄三木駅の間を直通することも検討していたが、2006年に三木市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約に掲げ市長に当選した薮本吉秀2007年3月1日の市議会で全線の廃止を正式決定し、早ければ2007年度中に廃線とする方針を表明した。4月26日には三木鉄道の取締役会でも廃線が決定された。

7月23日、市長が廃止届けを提出し、2008年4月1日に廃止する予定を表明した[1]

この決定によって予定通り全線が廃止され、特定地方交通線から鉄道として存続した路線では7例目、うち第三セクター鉄道として存続した路線では5例目、さらにそのうち会社の名前も消滅する全線廃止のケースでは4例目となった。

運行形態

線内折り返し列車のみ1時間あたり1 - 2本程度の運行で、ワンマン運転を実施していた。交換可能な途中駅はなく全線1閉塞であり、1本の列車が線内を行き来していた。国鉄時代は加古川線直通の加古川駅発着が多く、5時 - 22時の運行であった。

利用状況

輸送実績

収入実績

歴史

ファイル:Miki raliway in 1940.JPG
戦時中では招集された出征兵士が乗っていた(1940年撮影)

播州鉄道によって1916年に開業し、播丹鉄道を経て、1943年に戦時買収され国鉄三木線となった。

三木線の経営を播州鉄道から引き継いだ播丹鉄道は三木駅から先、明石市大明石町までの免許を1926年に取得していたが1937年に失効している[2]

国鉄再建法の規定により1981年に特定地方交通線に選定され、1985年に第三セクターの三木鉄道に転換された。転換にあたり、より利用しやすいよう簡素な構造の駅をいくつか新設している。このため、駅間距離は比較的短い。

廃止前後の動き

テンプレート:出典の明記

ファイル:三木鉄道最終列車.jpg
三木駅に到着する営業最終列車(三木駅22:52着、9分延着[3]
ファイル:Kamisohtown Kunikane Kakogawacity Hyogopref Miki railroad trace.JPG
撤去済みの軌道敷跡(加古川市上荘町、2010年12月撮影)

三木鉄道が2007年7月に始めた休日限定の列車の貸切プランが好調で、車内でブッシュドノエルを作る列車[4]や、廃止を惜しむ鉄道ファンによるイベント列車[5]が報道された。また、三木駅ではDVD写真集せんべいチョロQなども販売された。

2008年3月1日より、「Thanks ありがとう三木鉄道 1916-2008」と書かれた惜別ヘッドマークが、所属するミキ300形全車両に掲出されていた。また、同年3月29日から31日は、名残を惜しむ鉄道ファンや沿線住民が大量に乗車することによる混雑が予想されたため、警備員70人体制で備えた。

同月31日の営業最終日は平日にもかかわらず、初発列車から満員状態になった[6]ほか、15時には三木駅前にて三木高校吹奏楽部が「いい日旅立ち」などを演奏する[7]といった惜別イベントも実施された。同日の22時52分、ミキ300-104を充当した[8]営業最終列車が三木駅に9分遅れで到着[3]したことをもって列車の運行を終了したのち、23時5分、乗客からの花束贈呈や鉄道部長の挨拶[9]があり、24時をもって三木駅の扉が閉じられた。

廃線後、踏切は撤去され、線路内や三木駅内等に立ち入ることはできず、線路だけが残されていたが、2009年3月から線路の撤去作業が開始され、同年6月20日時点では約8割の作業が終了している[10]ほか、宗佐駅国包駅の撤去作業も完了した。

跡地利用については、三木市が検討のための諮問機関「三木鉄道跡地等利用検討委員会」を設置[11]し、2008年のほぼ年間にわたって検討が行われた結果、街づくりの観点から重要な用地と位置づけられ、鉄道の歴史継承や観光振興のほか、災害対策強化なども盛り込んだ計画が策定された。計画では「三木駅周辺エリア」と「軌道敷エリア」に大別され、前者では路線バスの結節点など地域交通の拠点として、後者では踏切跡の交通障害除去(道路拡幅)のほか一部の鉄道施設について保存・活用をはかる内容となっている[12]。なお、後者のうち鉄道営業当時の景観を保存した遊歩道を整備するとしていた加古川市境付近の区間において、約80メートルにわたるレール枕木の盗難が2011年6月に明らかとなった[13][14]

年表

  • 1916年大正5年)11月22日 - 播州鉄道 厄神 - 別所間(3.3M≒5.31km)が開業。国包駅、石野停留場、別所駅開業。
  • 1917年(大正6年)1月23日 - 別所 - 三木間(0.8M≒1.29km)が延伸開業し全通。三木駅開業。
  • 1921年(大正10年)5月9日 - 石野停留場休止[15]
  • 1923年(大正12年)7月1日 - 石野停留場営業再開。
  • 1930年昭和5年)4月1日 - 営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(4.1M→6.7km)。
    • 12月20日 - 別所 - 三木間に高木神前停留場開業。
  • 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道が国有化、三木線となる[16]。別所 - 三木間改キロ (+0.1km)。石野停留場を駅に格上げ。高木神前停留場廃止。
  • 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物営業廃止。
  • 1981年(昭和56年)9月18日 - 特定地方交通線第1次廃止対象として廃止承認。
  • 1984年(昭和59年)2月23日 - 第三セクター鉄道への転換を決定。
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 三木鉄道に転換。別所 - 三木間改キロ (-0.2km)。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業。高木駅は旧・高木神前停留場と同一地点。
  • 2006年(平成18年)3月18日 - ダイヤ改正を実施、早朝の始発列車を30分繰り下げ。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 全線廃止 (-6.6km)。神姫バス三木鉄道代替バスを運行開始。

駅一覧

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
厄神駅 - 0.0 西日本旅客鉄道:加古川線 加古川市
国包駅 1.0 1.0  
*宗佐駅 0.5 1.5  
*下石野駅 0.5 2.0   三木市
石野駅 0.6 2.6  
*西這田駅 1.7 4.3  
別所駅 1.0 5.3  
*高木駅 0.7 6.0  
三木駅 0.6 6.6  

廃止代替バス

テンプレート:Main 2008年4月1日より神戸電鉄恵比須駅(一部の便は三木鉄道三木駅)から厄神駅間で神姫バスにより代替バスが運行され[17]、基本的に三木鉄道廃止当時の運行本数(毎時1 - 2本)を維持しているが、時刻が多少変更となっている。なお、日中はすべての便が恵比須駅 - 厄神駅間の運行となっている。

代替バスではICカードのNicoPaならびにICOCAPiTaPaが使用可能となっている(厄神駅で接続する加古川線はサービスエリア外)ほか、神姫バス全線定期が使用できる[18]

関連項目

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:特定地方交通線

テンプレート:赤字83線テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ
  1. 鉄道事業法では廃止予定日1年前までに届け出ることになっているため、2007年7月23日に提出された廃止届けも廃止予定日は2008年8月1日となっていたが、関係自治体などへの意見聴取で反対がなければ廃止予定日を繰り上げてもよいことになっており、三木鉄道でも廃止日が2008年4月1日に繰り上げられた。
    • 「三木鉄道株式会社の鉄道事業(三木線)の廃止について」国土交通省近畿運輸局 2007年7月23日
    • 「三木鉄道株式会社の鉄道事業の廃止予定日の繰上げについて」国土交通省近畿運輸局 2007年10月31日
  2. 森村誠之著『鉄道未成線を歩く 〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.178
  3. 3.0 3.1 神戸新聞(2008年4月1日付)・毎日新聞(2008年4月1日付)・朝日新聞(2008年4月1日付)
  4. 『長〜いロールケーキ作ろう! 三木鉄道、22日に催し』 神戸新聞(2007年12月8日付)
  5. 『列車「貸し切りプラン」人気 廃止前の三木鉄道』 神戸新聞(2007年12月17日付)
  6. 神戸新聞(2008年4月1日付)
  7. 神戸新聞(2008年4月1日付)
  8. 神戸新聞(2008年4月1日付)の写真記事
  9. 神戸新聞(2008年4月1日付)
  10. 『レールの撤去作業ほぼ完了 三木鉄道』 神戸新聞(2009年6月20日付)
  11. テンプレート:PDFlink - 三木市(2007年11月1日施行)
  12. テンプレート:PDFlink - 三木鉄道跡地等利用検討委員会(2008年10月付、2011年7月閲覧) ※後述する軌道敷盗難事案の当該区間の詳細は p.26 など。
  13. 80メートルの線路と枕木なくなった 旧三木鉄道 - 神戸新聞(2011年6月23日付、同年7月24日閲覧)
  14. 廃線レール80メートル盗まれる 旧三木鉄道、枕木110本も - msn産経ニュース(産経新聞、2011年6月23日付、同年7月24日閲覧)
  15. 「地方鉄道運輸営業一部休止其他」『官報』1921年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. 「鉄道省告示第120号」『官報』1943年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. JR時刻表 2008年4月号 交通新聞社
  18. テンプレート:PDFlink - 神姫バスグループ(2008年4月1日付)