三崎千恵子

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テンプレート:Mboxテンプレート:ActorActress 三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、1920年9月5日(戸籍上は1921年2月20日) ‐ 2012年2月13日)は、日本の女優

来歴・人物

東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)出身。家業は青果問屋であった。東洋高等女学校を卒業後、白木屋(現在の東急百貨店)に入社する。そこでコーラス部に入ったことがきっかけで、1939年には松竹演芸部に歌手として所属する。のち、ムーランルージュなどを経て、1954年劇団民藝に入団する。『アンネの日記』などの舞台に出演し、新藤兼人監督の『どぶ』で映画にもデビューする。1967年の退団後は、テレビ・映画で活躍する。俳優の宮阪将嘉と結婚している(1997年に死別[1])。

1969年から始まった映画『男はつらいよ』シリーズでは、車寅次郎のおば(車つね)役として全48作に出演した。庶民的な演技で親しまれた。テレビドラマでは『パパと呼ばないで』での井上時枝役や『渡る世間は鬼ばかり』での「おたふく」の女将さん・塚田咲枝役で親しまれた。また、山岡久乃と親交があり「一緒に老人ホームに入らないか?」との誘いを受けた仲だったという[2]

普段から着物を愛用し、女優業の傍ら、「着付け教室」を開設するなどの活動も行った。

晩年は自宅のあった神奈川県鎌倉市の高齢者施設に居を移しており、2011年の映画『ムーランルージュの青春』には車椅子姿[3] で出演、これが生涯最期の仕事となった。

2012年2月13日19時15分、老衰により鎌倉市内の病院で死去[4][5]。享年92。戒名は「浄芸院真誉寿光泉恵大姉」で、夫・宮阪が死去した際、ともに受けた戒名だという。告別式では倍賞千恵子が弔辞を読み、自身のヒット曲「忘れな草をあなたに」をアカペラで歌い、故人に捧げた[6]

出演作

テレビドラマ

第118話「大泥棒一家」(1967年)
第126話「女の戦争」(1967年)
第298話「大人を恨みます! 17才の心中」(1970年)
第6部 第14話「弥七二人旅・津山」(1975年6月30日) - お倉 役
第8部 第4話「黄門さまに似た男・沼津」(1977年8月8日) - お米 役
第5部 第21話「犬に咬まれたドジな奴」(1978年6月26日) - お米 役
第7部 第14話「情けが仇の人助け」(1983年7月25日) - おきん 役
新・必殺仕舞人 第1話「草津湯煙血の煙」(1982年) - お寅 役
必殺渡し人 第1話「涼みの夜に渡します」(1983年) - お鹿 役
「密閉島」(1988年8月、日本映像)
「森村誠一の途中下車」(1990年5月、日本映像) - 政子 役

映画

脚注

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外部リンク

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