サンピエール島・ミクロン島
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サンピエール島およびミクロン島(テンプレート:Lang-fr)は、カナダのセントローレンス湾に浮かび、ニューファンドランド島南部に位置する島。フランスの海外準県 (collectivité d'outre-mer; COM)。豊かな漁場の海に囲まれているため、この島々を領有しているフランスとカナダとの間で漁業権と鉱物権をめぐる排他的経済水域についての論争があったが、1992年に一旦収束した。
歴史
アメリカ先住民(ミクマクといわれている)がもともと暮らしていたが、1520年にポルトガル人が発見し、1536年にはフランス人ジャック・カルティエが上陸し、サンピエール島と命名した。1702年のイギリス軍によるニューファンドランド遠征で破壊され、1713年、ユトレヒト条約でイギリスの領土になるが、1763年、パリ条約でイギリスはフランスに割譲した。しかし、1778年から1783年と1793年から1816年とイギリスが占領。その後、フランスに戻った。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、1940年にフランスがドイツに降伏し、サンピエール・ミクロンは親ドイツ派のヴィシー政府の領土となった。
この際、カナダ政府がサンピエール・ミクロンの占領を計画し、侵攻のための口実がいくつか作られた。その代表的なものに、サンピエール・ミクロンから放送されていたヴィシー政府のラジオが、グランドバンク付近で活動していたドイツ海軍のUボートを支援しているためというものがあったが、その証拠がなかったため結局カナダは占領しなかった。
1941年、自由フランス軍が島内で反乱を組織し、巡洋潜水艦「スルクフ」率いる小艦隊が抵抗を受けずに上陸し、島を占領したが、この作戦は前述のカナダの占領を防ぐために、カナダとアメリカ合衆国には事前に伝達がなされていなかった。
その後、サンピエール・ミクロンはド・ゴール将軍指揮下の自由フランス政府の側につき、海軍基地が置かれた。
1975年に海外領土 (territoire d'outre-mer; TOM) から海外県 (département d'outre-mer; DOM) に昇格し、1985年に特別自治体 (collectivité territoriale) に移行。さらに2003年の地方自治制度改革に伴い海外準県に移行した。
1960年代より続いていたフランスとカナダとの間での排他的経済水域についての論争について、1992年に国際司法裁判所の裁定により島の南東側の39km水域及び、幅17km、長さ322kmの南に細長い水域とをサンピエール・ミクロンの排他的経済水域として認めることで一旦収束した。
しかし2014年にフランスが大陸棚限界委員会に両島周辺での広大な経済水域を認めるよう申請したためカナダが強く反発し、問題が再発した。
地形
サンピエール島とミクロン島を中心とした不毛の島々からなる。サンピエール島は面積約26Km²の小さな島だがサンピエール島・ミクロン島の中心的な島であって、周囲に小島がいくつかある。ミクロン島はラングレード地峡により、もともと別の島であったラングレード島と結ばれている。
沖合にはバンク(グランドバンク)があり、タラなどが多数生息する世界屈指の好漁場となっている。
経済
世界有数の豊かな漁場に恵まれ、伝統的にタラ漁を中心とした漁業が盛んである。そして重要な漁業基地となっている。
住民
フランス人の住民がほとんどで、主にブルターニュやバスクから来た入植者の子孫である。
公用語はフランス語、宗教はカトリックがほとんどを占める。