ドイツのボードゲーム
テンプレート:出典の明記 ドイツのボードゲームとは、広義にはドイツで作られるボードゲームを指すが、狭義には1990年代中盤から現在までに発売され、世界的な人気を獲得した独特のテーブルゲーム群を指す。なお、ゲーム評論の分野の大家である安田均はこれらのゲーム群を「ドイツゲーム」と呼んでいる。
概要
本項で詳述する「ドイツのボードゲーム」とは、後述する特徴を持つ非電子型のテーブルゲーム(俗に言うアナログゲーム)のことである。その多くはドイツ人の作者、あるいはドイツのメーカーによるものが中心であるため「ドイツのボードゲーム」「ドイツゲーム」などと呼ばれるが、周辺のフランス・オランダ・イギリス、あるいはアメリカや日本製のゲームも後述する特徴を持つならばドイツゲームの一種として語られる場合が多い。
「ドイツのボードゲーム」もしくは「ドイツゲーム」と呼ばれるものは狭義の「ボードゲーム」にとどまらず、(形状で分類すると)カードゲーム、ダイスゲーム、立体ゲームといった非電子型のテーブルゲーム全般を含む。このジャンルは日本ではアナログゲームと呼ばれることもある。
ただし、アナログゲームであってもテーブルトークRPGやトレーディングカードゲーム、ウォー・シミュレーションゲームはドイツ製のものでもドイツゲームの範疇に含まれないことが多い(これらはドイツ主導で発展したゲームではないため)。
日本において「ドイツのボードゲーム」もしくは「ドイツゲーム」と呼ばれるこのジャンルは当のドイツではSpiel(シュピール)と呼称することが一般的である[1]。チェスなどの伝統的なゲームと区別する場合は、Autorenspielと呼ぶこともある。Autorenは「著者」を意味するドイツ語であり、現代的なドイツゲームではゲームデザイナーの個性が重視されているためにこのような呼称がつけられている。
ドイツ以外でも、フランス、オランダ、スウェーデンなどの欧州諸国ではここで紹介しているようなスタイルのボードゲーム/カードゲームの市場が比較的発展している。そのため、「ユーロゲーム」という呼称も存在する。
この分野に関わる重要なゲームの賞として、ドイツ年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres)、ドイツゲーム大賞(Deutscher Spielepreis)がある。
来歴
安田によれば、ボードゲームは20世紀の最後の四半世紀に爆発的に発展したとされる。具体的には1970年代後半の英米におけるウォー・シミュレーションゲームの発達とテーブルトークRPGの出現、それに続く1980年代のこれらのジャンルの隆盛を画期とする。とはいえ、こうした新しいボードゲームの潮流は1980年代後半に始まるコンピューターゲームの爆発的な発展によってユーザーの多くを奪われ、死に絶えたようにも思われていた。実際、安田によればアメリカの老舗のゲーム評論誌「Games」も1992年から1995年までは年間ベストゲーム一覧すら掲載出来ないような惨状であったとされる(安田2006)。
しかし、この間、密かに独自の発達を続けていたのが、本項で採り上げる、いわゆる「ドイツゲーム」であった。1970年代後半から1980年代初頭のあたりから後述する各種の特徴を持つ新しいスタイルのボードゲームがドイツで発売されはじめ、国内において独自の市場を確立させていった。1995年に発売された『カタンの開拓者たち』の大ヒットをきっかけに、翌1996年あたりからドイツゲームは世界的なブームを巻き起こした。
現在ではドイツは世界屈指のボードゲームの市場を持つ国であり、2007年には俗に言うアナログゲームの総売り上げが4億ユーロを突破しており、これはその時点でのドイツの玩具市場の総売上の17.8%を占めていた[2]。20世紀後半よりドイツが突出したボードゲーム大国になった理由は様々な説があるが定説と呼べるものはない。説の一つには「ドイツでは労働厚生の制度がしっかりしており残業が少なく家族で過ごす時間が多くとることが出来るため、夜に家族全員で遊ぶことができるボードゲ-ム文化が発展した」というものがある。[3]
特徴
「ドイツのボードゲーム」は、一般に以下のような特徴を持つ。
- 最大の特徴は、対象を子供から大人までとする、いわゆる「ファミリーゲーム」を指向している点である。この点に関連して、具体的には以下の特徴を持つ。
- ルールが比較的簡単。その場で説明してすぐ遊べる程度。
- プレイ人数は2人のものもあるが、3人~6人程度の多人数ゲームが多い。4人までを対象にするゲームでは、2人用の特殊ルールの設定がなされるものが多い。人気ゲームでは4人より多人数でプレイするための拡張キットが発売されることがある(例:カタンの開拓者たち)。
- 子供でもできるが、大人でも(大人同士でも)十分楽しめる内容である。
- 対象年齢は、4歳から、6歳から、8歳からなど、細かく設定されている。
- プレイ時間は、短いもので数分。長いもので60分からせいぜい90分程度。
- 運と技術の両方が適度に必要。つまり、単純な双六のように運だけによるゲームはほとんどなく、囲碁や将棋のようなアブストラクトゲームによく見られる、運の要素を排除したゲームも少ない。従って、初心者や子供でも勝つことができ、また、習熟することにより勝ちやすくなるという上達の要素もある。
- ゲームのコンポーネント(内容物)はしっかりとした造作となっており、板状のボード、(多くは木製の)コマなどが用いられる。造形デザインや描かれるイラストもレベルが高い。
- ゲームのデザイナー(作者)が意識され、パッケージに明記されることが多い。人気デザイナーも多く、デザイナーの名前が売り上げにも影響する。
代表的なデザイナー
- ライナー・クニツィア(Reiner Knizia、ドイツ)
- 「アメン・ラー」「チグリス・ユーフラテス」「ロストシティー」「砂漠を越えて」「ラー」「サムライ」
- ヴォルフガング・クラマー(Wolfgang Kramer、ドイツ)
- 「6ニムト!」「エルグランデ」「ミッドナイトパーティー」「ティカル」「トーレス」「アンダーカバー」
- クラウス・トイバー(Klaus Teuber、ドイツ)
- 「カタンの開拓者たち」「貴族の務め」「ドリュンター・ドリューバー」「バルバロッサ」
- アレックス・ランドルフ(Alex Randolph、アメリカ)
- 「ガイスター」「ハゲタカのえじき」「ザーガランド」「イースター島」
- アラン・ムーン(Alan.R.Moon、イギリス)
- 「エルフェンランド」「ユニオンパシフィック」「カピトール」「アムレット」
- シド・サクソン(Sid Sackson、アメリカ)
- 「アクワイア」「キャントストップ」「メトロポリス」「マロニーの遺産」
- ライホルト・ウィティヒ(Reinhold Wittig、ドイツ)
- 「ドクターファウスト」「クラクラ」「叔母の遺産」「カバの子供にエサをあげよう」
- シュテファン・ドラ(Stefan Dorra、ドイツ)
- 「イントリーゲ」「バケツくずし」「1号線で行こう」「ロバの橋」
- ミヒャエル・シャフト(Michael Schacht、ドイツ)
- 「王と枢機卿」「ジャンク」「パリス」「コロレット」
- ハインツ・マイスター(Heinz Meister、ドイツ)
- 「オールザウェイホーム」「ザップゼラップ」「ディスクショット」
- ウヴェ・ローゼンベルク(Uwe Rosenberg、ドイツ)
- 「ボーナンザ」「マンマミーヤ!」「アグリコラ」「ルアーブル」
- フリーデマン・フリーゼ(Friedemann Friese、ドイツ)
- 「G7」「電力会社」「看板娘」「ファウナ」
代表的な作品
ボードゲーム、ドイツ年間ゲーム大賞、ドイツゲーム大賞記事中での紹介リストも参照のこと。
日本の状況
日本では、1970年代から1980年代にボードゲームとしてのウォー・シミュレーションゲームが模型ファンに紹介されたことをきっかけに、遊び応えのある新しいスタイルのボードゲーム・カードゲームというものが日本でも発売されるようになった。エポック社やツクダ、バンダイなどからアメリカ製のボードゲームのルール翻訳版が発売されたり(『アクワイア』、『ディプロマシー』、『フンタ』など)、日本オリジナルのボードゲームも多数製作されていたのだが(『超人ロック』(黒田幸弘)、『魔法帝国の興亡』(大貫昌幸など)、この頃にはドイツ独自のボードゲーム市場自体が未成熟な状態であり、『スコットランドヤード』などのごく一部の例外を除いて日本に紹介されるドイツゲームはほとんどなかった。
しかし、1990年代に入ると日本ではボードゲームの氷河期にあたる時代になり、ボードゲームと言えば、将棋やオセロなどの古典を除くとモノポリーや人生ゲーム程度しかない状況が続いていた。かつて発売されていた「遊び応えのある新しいスタイルのボードゲーム・カードゲーム」もウォー・シミュレーションゲームのように書籍流通にシフトすることもできなかったため輸入品さえ国内では入手困難な状況となる。
そんな中、1993年に東京にボードゲーム専門店「メビウスゲームズ」が創業。数多くのドイツゲームを輸入し、日本語翻訳ルールを添付しての販売をはじめ、ボードゲーム文化をかろうじてつなぎ止めることとなる。
1995年にドイツ本国で『カタンの開拓者たち』が発売され大ヒットする。その話題がTCGやTRPGなどを嗜んでいた日本のアナログゲームユーザーたちにも広まり、このことから「ドイツのボードゲーム」の認知度がにわかに高まった。その流れに乗って、テーブルトークRPG雑誌でドイツゲームの紹介が行われるようになり、アナログゲームを扱うホビーショップやインターネット上の通信販売サイトなどでは日本語翻訳ルールをつけた海外ゲームの輸入販売が行われるようになった。この時期に上記のメビウスゲームズは「メビウス訳付きゲーム」を他のホビーショップにも委託販売することを始めた。これらのことから「日本語翻訳つきゲーム」のユーザーの入手しやすさは序々に広がっていき、多数のドイツゲームを日本人でも遊べる環境が整えられた。
21世紀に入ってからはルールだけでなくコンポーネントから日本語化した「完全日本語版」のドイツゲームの販売や、日本人の手による「ドイツスタイルのアナログゲーム」が作られるようにもなってきている。それらには海外のゲームショウに出展されたものもある。ボードゲーム専門誌も商業ベースで発刊されるようになった。2008年には BS日本でボードゲーム紹介番組「The ゲームナイト」が放映され、映像マスメディアへの露出も始める。2011年の東日本大震災の影響からの節電ブームでは「コンピュータゲームと違って電気を使わない」という視点から一般メディアにドイツゲームが注目され、日経新聞やNHKが取材をしたこともある。
これらのドイツスタイルのアナログゲームは趣味人向けにホビーショップ中心に流通されており、玩具店や量販店などでの流通は弱いのが現状でもある。ドイツゲームが本来遊び手として想定しているようなファミリー層に対するアピールが出来てないという指摘もある[3]
なお日本以外のアジア圏においての状況としては、2000年代に韓国と中国で「ドイツスタイルのアナログゲーム」のブームが起こっており、現在では80後の世代を中心に日本以上の知名度を形成している。両国のボードゲーム文化の特徴として、都市部に開設されている「ボードゲームカフェ」でのプレイを軸としている部分がある。
ドイツゲームを扱う日本の団体・人物の関連項目
脚注
- ↑ 競技、芝居、娯楽, 気晴らしなどの意味を包括する言葉であり、日本語の意味としては「ゲーム」よりも「遊び」に近い
- ↑ Spielbox-online:Spiele erreichen die 400-Millionen-Grenze
- ↑ 3.0 3.1 竹内書店新社『ボードゲーム天国 1号』(2003年)
参考文献
- 安田均 『ゲームを斬る!』 新紀元社、2006