丹東市
丹東市(たんとうし)は、中華人民共和国遼寧省南部に位置する地級市。鴨緑江を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する国境の街である。旧名は安東。朝鮮族が20万人以上居住している。中朝貿易最大の物流拠点であり、その7割以上がここを通過すると言われている[1]。
目次
地理
北は遼寧省本渓市、西は鞍山市、大連市と接し、東は鴨緑江を隔てて北朝鮮新義州特別行政区と対する。鴨緑江には中朝友好橋が架かる。南は西朝鮮湾である。
歴史
古代には高句麗の領域であり、唐の高句麗征服後は安東都護府に属した。金代に婆速府路となり、元代にも婆娑府が置かれた。清朝は満州での漢人入植を禁止する封禁政策を取ったが、1874年に全面的に解禁し、1876年に安東県を設置した。
安東港は1903年に対外開港し、鴨緑江水運の発達により流域の物資集散地として発展した。 1931年に満州事変が勃発すると直ちに日本軍に占領され、満州国は1934年安東省を新設、安東県を省城とした。1937年安東県は安東市に昇格している。この時代には多数の日本企業が安東に進出した。1945年日本の降伏後は中国共産党軍が接収し、朝鮮戦争(1950年~1953年)では中国人民義勇軍の兵站前線となった。1965年安東市は丹東市に改称された。
2010年8月21日、鴨緑江上流における集中豪雨のため河川が氾濫。5万人以上が避難した事が伝えられた[2]。
行政区画
3市轄区・2県級市・1自治県を管轄する。
年表
遼東省安東市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国遼東省安東市が発足。金湯区・元宝区・中央区・鎮興区・鎮安区・浪頭区・五龍坡区・九連城区が成立。(8区)
- 1950年8月2日(3区)
- 金湯区が五龍坡区に編入。
- 元宝区・中央区・鎮興区が浪頭区に編入。
- 鎮安区が九連城区に編入。
- 1951年9月13日 - 市内行政区域の再編により、一区から八区までの区が成立。(8区)
- 1953年 - 四区の一部が分立し、九区が発足。(9区)
- 1954年6月19日 - 遼東省の分割により、遼寧省安東市となる。
遼寧省安東市
- 1954年12月13日 - 一区が金湯区に、二区が元宝区に、三区が中央区に、四区が鎮興区に、五区が鎮安区に、六区が浪頭区に、七区が五龍背区に、八区が九連城区に、九区が湯池区にそれぞれ改称。(9区)
- 1955年9月2日(7区)
- 鎮安区が元宝区に編入。
- 中央区が湯池区に編入。
- 1955年5月23日 - 九連城区の一部が安東専区安東県に編入。(7区)
- 1956年6月22日(5区)
- 九連城区が五龍背区に編入。
- 湯池区が浪頭区に編入。
- 1957年12月3日(3区)
- 金湯区が元宝区に編入。
- 浪頭区・五龍背区が合併し、郊区が発足。
- 1958年12月20日 - 安東専区安東県・鳳城県・寛甸県・岫岩県を編入。(3区4県)
- 1959年8月 - 元宝区の一部が分立し、金湯区が発足。(4区4県)
- 1960年3月29日 - 金湯区が元宝区に編入。(3区4県)
- 1965年1月20日 - 安東市が丹東市に改称。
安東専区
- 1955年11月11日 - 荘河県・岫岩県・安東県・寛甸県・鳳城県・桓仁県を編入。安東専区が成立。(6県)
- 1955年5月23日 - 安東市九連城区の一部が安東県に編入。(6県)
- 1956年6月22日 - 本渓市本渓県を編入。(7県)
- 1956年6月30日 - 本渓県が本渓市に編入。(6県)
- 1958年12月20日
- 荘河県が旅大市に編入。
- 安東県・鳳城県・寛甸県・岫岩県が安東市に編入。
- 桓仁県が本渓市に編入。
遼寧省丹東市
- 1965年1月20日 - 安東市が丹東市に改称。(3区4県)
- 安東県が東溝県に改称。
- 1965年2月26日 - 鎮興区が振興区に改称。(3区4県)
- 1965年12月27日 - 旅大市荘河県を編入。(3区5県)
- 1966年1月27日 - 本渓市桓仁県を編入。(3区6県)
- 1968年12月26日(3区4県)
- 荘河県が旅大市に編入。
- 桓仁県が本渓市に編入。
- 1980年3月8日 - 郊区が振安区に改称。(3区4県)
- 1984年11月28日 - 東溝県の一部が振安区に編入。(3区4県)
- 1985年1月17日(3区2県2自治県)
- 岫岩県が自治県に移行し、岫岩満族自治県となる。
- 鳳城県が自治県に移行し、鳳城満族自治県となる。
- 1986年2月24日 - 寛甸県の一部が振安区に編入。(3区2県2自治県)
- 1987年6月20日 - 寛甸県の一部が振安区に編入。(3区2県2自治県)
- 1989年9月7日 - 寛甸県が自治県に移行し、寛甸満族自治県となる。(3区1県3自治県)
- 1992年1月23日 - 岫岩満族自治県が鞍山市に編入。(3区1県2自治県)
- 1993年6月18日 - 東溝県が市制施行し、東港市となる。(3区1市2自治県)
- 1994年3月8日 - 鳳城満族自治県が市制施行し、鳳城市となる。(3区2市1自治県)
- 1999年6月16日(3区2市1自治県)
- 振安区の一部が元宝区・振興区に分割編入。
- 東港市の一部が振興区に編入。
- 元宝区・鳳城市のそれぞれ一部が振安区に編入。
- 2008年8月14日 - 東港市の一部が振興区に編入。(3区2市1自治県)
住民、少数民族
29の民族が存在するが、古くから住んでいる民族は、漢族、満族、回族、朝鮮族、モンゴル族、シボ族などである。北朝鮮との国境に位置することから、少数民族の中では朝鮮族の影響が最も強く、標識や、商業用の看板などいたるところに、ハングルが併記されている。また朝鮮料理・韓国料理の店も数多い。朝鮮族の児童が通う民族学校も存在する。満族は、人名、言語、外見、風俗などが多数派の漢族と変わらないため、その存在はほとんど目立たないが、市全体の総人口の30%以上を占めている。また丹東周辺は、満族の主要な故地の一つでもある。回族は人口約1.8万人。回族および、イスラム教徒が丹東周辺に流入したのは、明末期から清初期と言われる。回族は飲食業に従事するものが多いため、丹東にはイスラム教徒専門の清真料理店も多く存在する。丹東のモスクは以前は中国寺院風の様式であったが、2004年に老朽化のため取り壊し、新たにアラブ様式の寺院が建てられた。
交通
- 航空:丹東中心部より14kmの東港市に丹東浪頭空港があり、1985年4月開港。北京、上海、成都、深圳、三亜などの国内線空路がある。
- 鉄道:市中心に丹東駅があり、瀋陽との間を結ぶ路線がある(瀋丹線)。平壌と北京、モスクワを結ぶ国際列車の経路でもある。2011年から丹大高速鉄道(大連北駅~荘河~東港~丹東)の建設が始まっていて、全長は292キロメートルで、設計速度は毎時200キロ。 [3]
- 主要道路:G201国道とG304国道。高速道路は瀋陽との間(瀋丹高速道路)が2002年に、大連との間(丹大高速道路)が2005年に開通した。丹大高速には、荘河サービスエリアと丹東サービスエリア(丹東東ICと丹東ICの間)がある。
- 北朝鮮への道路・鉄道:鴨緑江大橋(中朝友誼橋)。2011年から新鴨緑江大橋が建設されていて、全長は3キロメートル、幅33メートルで建設期間は3年の予定で、現在の鴨緑江大橋の下流8キロ、丹東の新開発区浪頭と新義州の南の龍川を結ぶ。 [4] [5] [6]
- バス路線:大連の凱旋広場(大連駅北口)から高速バスが一日8往復、大連長途汽車総站からミニバスが一日16往復出ている。所要時間は高速バス4時間、ミニバス6時間。瀋陽からは高速バスが一日少なくとも19往復、長春などとの間にバス路線がある。なお、北朝鮮・平壌間に一日一便国際旅客バスが運行しているという。
- 航路:韓国の仁川港との間を、ほぼ隔日でフェリーが往復している(東方明珠号)。
気候
経済
-
丹東新区(新城区)が振興区の浪頭付近に建設されていて、ここに市政府の引っ越しも終わっている。ここは計器計測器産業区・ソフトウェア産業区も建設予定で、丹東浪頭空港へも近く、北朝鮮へ新鴨緑江大橋も建設中で、北朝鮮との共同作業が進む黄金坪にも隣接している。この計画は遼寧省の「五点一線計画」に沿って、さらに下流の東港にある港口工業区へ続いている。 [7] [8]
農業・漁業
工業
丹東黄海バスなどの自動車産業・自動車部品産業、計器・計測機製造などが盛んである。[9]
サービス産業
市内の鴨緑江公園、虎山長城など、郊外の鳳凰山などへの観光が有名である。中国から北朝鮮への出入国の多くは、丹東市から行なわれている。
観光
丹東広域市
大学
- 遼寧丹東大学
- 丹東広播電視大学
- 遼東学院
- 遼寧機電職業技術学院
- 遼寧地質工程職業技術学院
特産品
姉妹都市
出典
外部リンク
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- ↑ 参考 : Iza
- ↑ 丹大高速鉄道 (中国語)
- ↑ 朝鮮新義州と中国丹東を結ぶ新しい鴨緑江大橋が建設開始 (中国語)
- ↑ 丹東鴨緑江大橋(百度百科) (中国語)
- ↑ 新鴨緑江大橋(互動百科) (中国語)
- ↑ 丹東新城区(別名: 国門湾新区) (中国語)
- ↑ 丹東新区・港口工業区の地図
- ↑ 2011年中国(丹東)国際計器・系測器博覧会) (中国語)