二谷友里恵

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テンプレート:Infobox 人物 二谷 友里恵(にたに ゆりえ、1964年(昭和39年)11月16日 - )は、日本の元女優実業家トライグループ代表取締役社長。

来歴・人物

1964年(昭和39年)11月16日東京都出身。俳優二谷英明と女優の白川由美の一人娘として生まれる。松濤幼稚園慶應義塾幼稚舎慶應義塾中等部慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。

1982年(昭和57年)、高校3年生在学時に父と一緒に出演した資生堂エクボデオドラントのCMで芸能界デビュー。

1983年(昭和58年)、大学在学中に連続ドラマ「青が散る」に出演。女優として活躍。共演は石黒賢。主題歌は松田聖子

1984年(昭和59年)、ドラマ「家族ゲーム」で、母・白川由美長渕剛と共演。

1987年(昭和62年)6月12日、慶應義塾大学文学部卒業後、歌手郷ひろみと結婚し女優業を引退する。郷との結婚披露宴を中継したフジテレビの番組視聴率47.6%を記録。3年間ニューヨークへ移住。

1990年(平成2年)3月、郷との結婚生活を綴った『愛される理由』(朝日新聞社)は、出版部数70万部を超えるベストセラーで1990年度の書籍売り上げ1位である。2女を儲け、長女・次女共に慶應幼稚舎に入学する。

ファッションブランド「YURIE NITANI」を立ち上げて、デザイナー・事業家としての活動を開始する。

1998年(平成10年)4月9日、離婚。郷側が離婚に合わせて告白本『ダディ』(幻冬舎)を出版する。郷は当初二人の共著であるとしたが、友里恵は後に共著ではない[1]とし、言い分が食い違った。

離婚後、『ダディ』の中での、郷の恐妻ぶりをうかがわせる友里恵の人物描写や、実名・身分を公表して友人平田修と友里恵の、郷も交えた親友関係を記載したこと等が発端となり[2][3]、各芸能マスコミや週刊誌等でいっせいに友里恵の性格に対するバッシングや"離婚の原因は実は妻の不倫にあった"という類の記事[4]、家族に関してまで報じられた。離婚後マスメディアに対しては沈黙を守ったが、一社会人としては法に訴え、複数の裁判で虚偽の判決が下ろうとも、きりがない状態だった[5][4]。二谷はこれを"修行のような日々が延々続く。誹謗中傷を通り越して、完全な捏造記事で私の人物像が作り上げられていった"と表現している[6]。父の二谷英明は、娘を誹謗する加熱した報道に対し「本の内容だけが事実となって独り歩きしている」と不快感を表明する[7]。なお離婚原因については、郷自身が著書『ダディ』の冒頭で「僕の女性問題」[8]と記し、平田と友里恵の関係ついても「男女という意識を感じないからこそ成立するもの」と述べている。

2000年(平成12年)8月1日家庭教師のトライ創業者の平田修と再婚[9]。一方郷の方もニューヨーク在住の投資家令嬢と2000年(平成12年)11月に再婚(2005年春に2度目の離婚)している[10]

再婚後すぐ週刊誌『FOCUS』(2000年9月27日号)が、 “二谷は郷と結婚後、自身の知人である財界人から平田を紹介され、郷へ紹介したことで夫婦共通の親友となり深く信用。郷は女性ファンやその子供をターゲットとして「家庭教師のトライ」のパンフレットに登場し、全国ツアーのステージ上ではコンサート開始前に舞台のスクリーン上に「家庭教師のトライ」CMを流すなど平田の会社PRに協力していた[9]。離婚以前から、郷が承認する下で二谷と平田は2人で旅行していた[9]。二谷と郷が離婚の話し合いを始めたのは1996年(平成8年)秋頃からで、平田は1997年(平成9年)に離婚、二谷は1998年(平成10年)4月に離婚したが、郷は「まさか2人に、男女の関係があるとは思ってはいなかった」と証言[9]

同時期「週刊現代」(2000年10月31日号)に平田との関係について悪質と思える記事が掲載されたため(友里恵は同雑誌社とは別件で裁判中であったので)、事実無根として夫・平田修が即提訴して勝訴[11]

郷再婚時の報道や郷自身の発言をテレビで見た娘が「黙っていないでただしてほしい」という趣旨の意思表示をした事等がきっかけとなり[12]2001年5月2日、沈黙を破り『楯』(文藝春秋[13]を出版する[14]

2004年(平成16年)12月6日、郷は二谷と平田に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円(各7500万円)を信託銀行に預託するとの取り決めを実行せず、娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして各2000万円を請求する訴訟を起こす[15]。この訴訟は、2006年(平成18年)5月中旬、「父親には会いたくない」という娘2人の証言が決め手となり、郷が訴えを取り下げることで決着する[16]

2005年(平成17年)4月1日トライグループ代表取締役社長に就任。

主な出演作品

テレビ番組

関連項目

CM

脚注

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  1. 『楯』1章p14
  2. 1月9日(月)、デイリースポーツ:(英明は)郷の著書「ダディ」で友里恵さんの“潔癖性”や“暴力”が強調されているとして「本(の内容)だけが事実になって独り歩きしている」と不快感を表す熱い一面もあった
  3. 『ダディ』第9章p219-222
  4. 4.0 4.1 『楯』1章p16、8章p82-83
  5. 『楯』14章p199
  6. 『楯』8章p82
  7. 1月9日(月)、デイリースポーツ:郷の著書「ダディ」で友里恵さんの“潔癖性”や“暴力”が強調されているとして「本(の内容)だけが事実になって独り歩きしている」と不快感を表す熱い一面もあった/サンケイスポーツ:娘は「耐えて時期が過ぎるのを待つ」と言っている、などと気持ちを代弁していた/スポーツ報知:郷ひろみとの離婚時には、二谷さんが娘をかばう会見を開いた
  8. 『ダディ』第1章
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 「二谷友里恵に手玉に取られた郷ひろみの絶句」『FOCUS(フォーカス)』(2000年9月27日号、新潮社[1]
  10. 2005年04月22日、スポーツニッポン「歌手の郷ひろみ(49)が、00年11月に結婚した名美夫人(33)と離婚したことが21日分かった。」
  11. 『楯』8章p84-85
  12. 『楯』1章p17-19、14章156-157
  13. 『楯』(2001年5月20日、文藝春秋[2]
  14. この『楯』というタイトルについては、50音順に並べた場合に、必ず郷の出版した『ダディ』のすぐ前にくるように意識したとの説があるテンプレート:誰2
  15. 離婚後、継続して交渉が行われた結果、訴訟というかたちになった。(出典:『週刊ポスト』2005年2月21日号、小学館
  16. その経緯は、上記証言により敗色濃厚となった郷が和解を申し出るも、二谷は判決で是非をはっきりさせることを望み和解を拒否し、郷が訴えの取り下げを決断したというものである。(出典:『週刊文春』(2006年6月22日号、文藝春秋