西崎幸広
テンプレート:Infobox baseball player 西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。現役時代は日本ハム、西武で活躍した。
長女は女優の西崎あや、次女はタレントの西崎莉麻(2人は2歳差だが、偶然にも同じ誕生日)。
来歴・人物
滋賀県立瀬田工業高等学校3年時に第54回選抜高等学校野球大会に出場。その後、愛知工業大学へ進学。当時の愛知大学野球リーグの通算最多勝利(37勝)、シーズン最多奪三振(1986年春季95個)、 1試合最多奪三振(1986年春季23個対名院大)などの記録を作る。テンプレート:Byの明治神宮野球大会優勝に貢献。同年のドラフト会議で日本ハムファイターズに1位指名(近藤真一の外れ1位)され入団。球団のエースナンバーである21を用意される。
1年目のテンプレート:Byに近鉄バファローズの阿波野秀幸と新人王の座を争う。勝ち数は同じ15で防御率もほぼ同じ、負け数は西崎の方が5つ少なかったが、投球イニングと奪三振で両リーグ最多を記録した阿波野が選出された。しかし通年なら新人王に値する成績を残したことが評価され、パ・リーグ会長特別賞を受賞した。
テンプレート:Byは松浦宏明(日本ハム)・渡辺久信(西武)と並んで最多勝を獲得し、エースの座を不動のものにした。ファン投票選出された1988年のオールスターゲームでは開場間もない本拠地東京ドームにおける第3戦で同僚田村藤夫と先発し、打者9人をパーフェクトに抑えた。
実績だけではなく、長身に細身の体型、甘いマスク、お洒落な私服という、そのルックスの良さでも注目を集めるようになり、当時流行していたトレンディドラマになぞらえ、阿波野と共に「トレンディエース」というニックネームで呼ばれるなど、従来の野球選手像を覆すアイドル的存在として女性を中心に圧倒的な支持を受けた[1]。球団の公式グッズとして、センサー内蔵の「近づくと声の出るポスター」が発売されたり、ファッション雑誌『MEN'S NON-NO』では表紙を飾り特集も組まれるなど、プロ野球選手の枠を超えた活躍も見せた。
阿波野秀幸と比べると、1987年から1990年の合計勝利数はぴったり同じ58勝で、まさにライバルと呼ぶにふさわしい数字が残っている[2]。 90年台に入ると、長年の登板過多により内転筋を痛めるようになる。1995年、ノーヒットノーランを達成すると、翌年には最多勝争い・最優秀防御率争いに加わりチームの優勝争いに貢献した。しかしテンプレート:Byに開幕投手として登板したもののケガで途中降板。入団最低の成績で終わるとシーズンオフにFA交渉を控えた矢先に球団から突如実質戦力外通告とも言える扱いを受け、石井丈裕、奈良原浩との1対2の交換トレードで西武ライオンズへ移籍。背景には当時の西武監督であった東尾修の高評価があったとされる。東尾は現役時代の自らの背番号である21を与え、翌年オフ入団の期待の新人・松坂大輔にエースの心得を授けるべく、「西崎を手本としろ」と松坂に言っている。
テンプレート:Byは脇腹痛などの故障で満足な働きができなかった。同年初出場した日本シリーズ第3・4戦での好投がきっかけでテンプレート:Byは抑えに転向し、20セーブを挙げる。松坂のプロ初勝利の際もリリーフした。テンプレート:Byは先発に復帰して6勝1敗、防御率も3点台と好成績を残したが、この頃から再び故障がちになる。テンプレート:By限りで引退した。
引退後はテンプレート:Byからテンプレート:ByにNHK、テンプレート:Byからは東北放送、北海道放送(テンプレート:Byまで)、スカイ・A sports+(主に楽天戦の解説、2012年よりJ SPORTSに放映権が移行)、テレビ埼玉などのプロ野球中継で野球解説を担当し、テンプレート:Byからは、札幌テレビ・STVラジオの解説を務める傍ら、日本ハムOB会副会長を務め、テンプレート:Byより木田勇に代わり、会長に就任する。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 日本ハム | 30 | 28 | 16 | 4 | 1 | 15 | 7 | 0 | -- | .682 | 893 | 221.1 | 185 | 20 | 62 | 4 | 5 | 176 | 7 | 0 | 77 | 71 | 2.89 | 1.12 |
テンプレート:By2 | 29 | 29 | 21 | 4 | 4 | 15 | 11 | 0 | -- | .577 | 983 | 241.2 | 211 | 22 | 73 | 3 | 0 | 181 | 1 | 0 | 74 | 67 | 2.50 | 1.18 | |
テンプレート:By2 | 27 | 27 | 17 | 2 | 2 | 16 | 9 | 0 | -- | .640 | 838 | 208.0 | 160 | 27 | 76 | 1 | 1 | 164 | 2 | 0 | 85 | 82 | 3.55 | 1.13 | |
テンプレート:By2 | 28 | 27 | 10 | 2 | 0 | 12 | 13 | 0 | -- | .480 | 823 | 192.2 | 177 | 28 | 88 | 1 | 3 | 154 | 4 | 0 | 92 | 83 | 3.88 | 1.38 | |
テンプレート:By2 | 19 | 15 | 7 | 1 | 0 | 10 | 6 | 1 | -- | .625 | 486 | 116.2 | 93 | 12 | 53 | 0 | 3 | 70 | 5 | 0 | 48 | 41 | 3.16 | 1.25 | |
テンプレート:By2 | 21 | 16 | 9 | 2 | 1 | 6 | 10 | 0 | -- | .375 | 580 | 136.2 | 129 | 10 | 54 | 1 | 2 | 107 | 1 | 0 | 64 | 62 | 4.08 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 23 | 22 | 17 | 3 | 4 | 11 | 9 | 1 | -- | .550 | 697 | 175.2 | 121 | 13 | 61 | 1 | 3 | 143 | 6 | 0 | 49 | 43 | 2.20 | 1.04 | |
テンプレート:By2 | 25 | 24 | 12 | 2 | 2 | 8 | 14 | 0 | -- | .364 | 789 | 181.0 | 202 | 24 | 64 | 1 | 2 | 151 | 8 | 0 | 87 | 82 | 4.08 | 1.47 | |
テンプレート:By2 | 27 | 27 | 3 | 1 | 0 | 7 | 8 | 0 | -- | .467 | 742 | 177.0 | 140 | 14 | 102 | 2 | 5 | 146 | 4 | 0 | 74 | 71 | 3.61 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 26 | 26 | 5 | 1 | 0 | 14 | 7 | 0 | -- | .667 | 769 | 181.2 | 152 | 17 | 89 | 2 | 4 | 139 | 10 | 0 | 63 | 58 | 2.87 | 1.33 | |
テンプレート:By2 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | -- | .500 | 173 | 40.1 | 36 | 3 | 23 | 0 | 1 | 23 | 2 | 0 | 18 | 14 | 3.12 | 1.46 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 24 | 7.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.57 |
テンプレート:By2 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 20 | -- | .667 | 149 | 34.1 | 32 | 3 | 14 | 2 | 1 | 36 | 0 | 0 | 13 | 13 | 3.41 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 22 | 8 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | -- | .857 | 266 | 59.0 | 57 | 4 | 36 | 2 | 0 | 49 | 3 | 1 | 30 | 25 | 3.81 | 1.58 | |
テンプレート:By2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 128 | 31.0 | 26 | 3 | 12 | 0 | 0 | 26 | 2 | 0 | 11 | 11 | 3.19 | 1.23 | |
通算:15年 | 330 | 258 | 117 | 22 | 14 | 127 | 102 | 22 | -- | .555 | 8340 | 2004.0 | 1723 | 200 | 809 | 20 | 30 | 1573 | 55 | 1 | 785 | 723 | 3.25 | 1.26 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝:1回 (1988年)
表彰
- ベストナイン:1回 (1988年)
- ゴールデングラブ賞:2回 (1988年、1996年)
- パ・リーグ会長特別賞 (1987年)
- 月間MVP:4回 (1987年8月、1989年4月、1993年6月、1996年4月)
- 東京ドームMVP:1回 (1989年)
記録
- 初記録
- 初登板:1987年4月11日、対西武ライオンズ2回戦(西武ライオンズ球場)、3回裏に3番手で救援登板、4回2/3を3失点(自責点2)で敗戦投手
- 初奪三振:同上、6回裏に伊東勤から
- 初先発:1987年4月16日、対近鉄バファローズ3回戦(後楽園球場)、7回2失点
- 初勝利・初完投勝利:1987年4月22日、対ロッテオリオンズ2回戦(川崎球場)、9回1失点
- 初完封勝利:1987年8月2日、対西武ライオンズ19回戦(札幌市円山球場)
- 初セーブ:1991年9月8日、対ロッテオリオンズ23回戦(釧路市民球場)、9回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点
- 節目の記録
- 1000投球回:1992年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏1死目に達成 ※史上245人目
- 1000奪三振:1994年4月9日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、4回表に定詰雅彦から ※史上91人目
- 1500投球回:1995年4月22日、対西武ライオンズ5回戦(東京ドーム)、2回表2死目に達成 ※史上140人目
- 100勝:1995年8月18日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(千葉マリンスタジアム)、先発登板で6回1失点 ※史上113人目
- 1500奪三振:2000年4月9日、対オリックス・ブルーウェーブ3回戦(西武ドーム)、7回表に田口壮から ※史上43人目
- 2000投球回:2001年9月8日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(西武ドーム)、5回表2死目に三輪隆を左飛で達成 ※史上80人目
- その他の記録
背番号
- 21 (1987年 - 2001年)
出演番組
- STVファイターズスタジアム
- Dramatic Game 1844 - 札幌テレビ制作の日本ハム戦の解説に限って担当[3]。
- ぞっこん!スポーツ - この番組が縁でコンサドーレ札幌の藤田征也選手と親交を深めた。
- マハトマパンチ(スポーツコーナー 不定期出演)
- J SPORTS STADIUM - 主に楽天戦の解説を担当
- ほくほくテレビ(ファイターズコーナー 主に月曜日)
- STVテレビコンサドーレ札幌試合実況中継(ゲスト)
- 1×8いこうよ! - 1×8シニア野球団スーパーアドバイザーとして出演。番組としては、現役当時のユニフォームデザインではなく、北海道日本ハムファイターズのユニフォームという特別仕様。
- スカイ・Aスタジアム
- 断然 パ・リーグ主義!!