女流王将戦
霧島酒造杯女流王将戦(きりしましゅぞうはい じょりゅうおうしょうせん)は、囲碁・将棋チャンネルを運営する株式会社 囲碁将棋チャンネル[注釈 1]が主催[注釈 2]、霧島酒造が協賛する将棋の女流タイトル戦。
女流王将を決める三番勝負は、毎年10月に、第1局を霧島酒造の本社のある宮崎県都城市の霧島創業記念館「吉助」で対局し、第2局・第3局(一日に2局)を東京将棋会館で行っている[注釈 3]。
本棋戦は、本戦・三番勝負が、囲碁・将棋チャンネルで放送される、棋士・女流棋士のタイトル戦では唯一の「テレビ棋戦」[2]である[注釈 4]。日本将棋連盟の機関誌 『将棋世界』 では、棋士タイトル戦・女流タイトル戦の番勝負は、全て棋譜を掲載するが、本棋戦については、三番勝負の終了直後に発売される号(第33期は2011年12月号)で番勝負の結果と観戦記のみを掲載し、囲碁・将棋チャンネルで三番勝負が放送された後に発売される号(第33期は2012年2月号)で、新女流王将の表彰式の模様を報じる際に、はじめて三番勝負の棋譜を掲載する配慮をしている。
しくみ
予選と本戦と三番勝負で構成される。本戦の優勝者が現・女流王将と三番勝負を戦い、先に2勝した方が次の女流王将となる。
全体を通じて持ち時間は各25分(チェスクロック使用)、切れたら40秒将棋。
- 予選
女流王将とシード者(前期三番勝負敗者、前期挑戦者決定戦進出者、タイトルホルダー)を除く、すべての日本将棋連盟所属女流棋士、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属女流棋士、フリーの女流棋士、女流アマチュア5名が参加する。予選通過者は本戦に進出する。
予選は、各組ごとに一日2局指し、当日にその組の予選通過者を決める。ただし、マイナビ女子オープン、女流王座戦の一次予選とは異なり、一斉予選ではない。
- 本戦
予選通過者とシード者の計16名でのトーナメントを行う。
- 女流王将戦三番勝負
女流王将と本戦優勝者が三番勝負を戦い、勝者が新たな女流王将となる。
しくみ(過去)
第30期まで
予選と本戦と五番勝負からなる。本戦の優勝者が現・女流王将と五番勝負を戦い、先に3勝したほうが次の女流王将となる。
- 予選
女流王将とシード棋士を除くすべての女流棋士が参加する。トーナメント形式による予選通過者はシードの人数によって異なり、通過者は本戦に参加する。持ち時間は各2時間。
シード棋士は第24期(2002年)までは前期五番勝負敗者、前年度挑戦者決定リーグの上位5位まで、第25期(2003年)からは前期五番勝負敗者、前年度本戦ベスト4、タイトル保持者である。
- 本戦
第24期までは予選通過者とシード者の8名による総当たりのリーグ戦、第25期からは12名でのトーナメント戦を行う。持ち時間は各2時間。
- 女流王将戦五番勝負
女流王将と本戦優勝者が五番勝負を戦い、勝者が新たな女流王将となる。持ち時間は各3時間。
第31期
第31期に限り以下のように変更された。
- (1) 第30期以前の予選・本戦に代えて、選抜された女流棋士8名(第30期ベスト4、タイトル保持者2名、ポイントランキング上位1名、主催者推薦枠1名)の特別トーナメント戦[注釈 5]を2009年8月から9月にかけて行い、挑戦者を決定した。上田女流二段が特別トーナメント戦を制して初のタイトル挑戦を決めた。
- (2)タイトル戦が五番勝負から三番勝負に短縮された。清水女流王将と上田女流二段の三番勝負は第1局が2009年10月11日に、第2局・第3局が11月2日に行われた。第2局は午前10時開始、第3局は午後2時開始の一日2局となった。
- (3)持ち時間が、挑戦者決定トーナメント・タイトル戦三番勝負とも、「25分(チェスクロック使用) 切れたら40秒将棋」と大幅短縮された。
なお、(2)と(3)は、第32期以降も引き継がれている。
クィーン王将
女流王将を通算5期獲得した女流棋士は「クィーン王将」の永世称号が与えられる。2008年現在、クィーン王将の資格を持つ女流棋士は清水市代のみ。林葉直子は10連覇という大記録を残し、クィーン王将の資格保持者となったが、その後、日本将棋連盟を退会したためクィーン王将の称号を使用する資格を失っている。
休止と再開
2008年10月8日、日本将棋連盟は、日刊スポーツが主催していた女流王将戦を、第30期をもって休止すると発表した[3]。朝日新聞は「連盟が本棋戦を維持するのに負担が大きくなった」と伝え[4]、読売新聞は「一部スポンサーの撤退が原因」と報じた[5]。将棋連盟は、女流王将戦の再開に向けて今後努力すると表明し[3]、LPSAも同様の意向を表明していた[6]。
なお、第30期女流王将の清水市代は、2009年10月31日まで女流王将のタイトル名を使用することとされた[3]。
清水が女流王将のタイトル名を保持していた翌2009年7月31日、日本将棋連盟は女流王将戦を再開すると発表した[7]。棋戦名は「霧島酒造杯女流王将戦」となり、日本将棋連盟と(当時)サテライトカルチャージャパンが主催し、霧島酒造が協賛する形となった。サテライトカルチャージャパンは囲碁・将棋チャンネルの運営会社であり、2009年の時点で、既に銀河戦を主催していた。
第31期霧島酒造杯女流王将戦は、「しくみ(過去)-第31期」で既述のように、さまざまな点で第30期以前より簡素化されたが、タイトル戦三番勝負が、第30期女流王将の清水がタイトル名を失う期限ギリギリの2009年10月~11月に実施された。休止時の第30期と、再開後の第31期の間の空白は生じず、女流王将戦の中断は回避された。
2010年3月24日、日本将棋連盟は 『女流王将戦再開までの経緯』 を発表し、休止直前の女流王将戦が、「女流王将戦を支えるために連盟自身が費用を負担する」不自然な形に陥っていたことなど、休止と再開の詳細について明らかにした。また、LPSAとの協議で、2010年の第32期ではLPSAからの参加者を5名に限定する[8]ことを合意した旨を明らかにした。[2]
なお、2011年の第33期からは、すべてのLPSA所属女流棋士の参加が実現し[9]、2012年5月1日現在(第34期予選終了時点)の日本将棋連盟 『棋戦情報:女流王将戦』では「(女流王将戦は)全女流棋士と選抜された女流アマチュアで行います」と表示されている。しかし2013年の第35期では、LPSAと日本将棋連盟の対立問題(詳しくは日本女子プロ将棋協会#問題を参照)の影響から石橋幸緒・渡部愛の両名が予選から除外された。その翌年の2014年第36期では、LPSA所属の女流棋士も再度全員参加しフリー女流棋士も参加している[10]
歴代三番勝負
年は三番勝負が行われた時点。
1995年から2008年までは五番勝負(先に3勝したほうが女流王将)。1992年は実施せず。
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注釈
- ↑ 運営会社名は「株式会社 囲碁将棋チャンネル」、チャンネル名は「囲碁・将棋チャンネル」である。囲碁・将棋チャンネル公式サイト
- ↑ 女流王将戦は、将棋マガジン主催で1978年度に創設され、後に1993年度の第15期までは株式市場新聞が主催、2008年度の第30期までは日刊スポーツが主催していた。一時は北海道新聞も主催に加わっていた[1]。2007年と2008年は、青森県おいらせ町の衣料品店であるナカト(同社社長の中戸俊洋は、将棋普及の功績により第5回(1998年度)大山康晴賞を受賞)がスポンサーに加わり、「抜群の活躍をした者」に「中戸賞奨励賞」を贈呈した。受賞者は、2007年が里見香奈、2008年が鈴木環那であった。
- ↑ 女流王将戦は、休止前の第30期までは五番勝負であり、毎年5月~6月に行われていた。
- ↑ 再開直後の第31期では、三番勝負のみを囲碁・将棋チャンネルで放送した。
- ↑ 第31期の、予選・本戦に代わる「選抜された女流棋士8名による特別トーナメント戦」に出場したのは、第30期ベスト4:矢内理絵子女王・鈴木環那女流初段・千葉涼子女流三段・岩根忍女流二段、タイトル保持者:石橋幸緒女流王位・里見香奈倉敷藤花、ポイントランキング:上田初美女流二段、主催者推薦枠:笠井友貴女流アマ名人(段位・肩書は当時)。
出典
- ↑ 「道新スタッフブログ:【女流王位戦】女流王将戦を主催・取材のころ」
- ↑ 2.0 2.1 日本将棋連盟 2010年3月24日 『女流王将戦再開までの経緯』
- ↑ 3.0 3.1 3.2 日本将棋連盟 2008年10月9日 『女流王将戦の休止について』
- ↑ 「女流王将戦、30期で休止 将棋連盟「維持負担が増大」」朝日新聞、2008年10月8日
- ↑ 「女流王将戦が休止に」読売新聞、2008年10月9日付朝刊
- ↑ LPSA 2008年10月10日 『女流王将戦の休止について』
- ↑ 日本将棋連盟 2009年7月31日 『女流王将戦の再開について』
- ↑ 日本将棋連盟 『2010年(平成22年)第32期 女流王将戦 予選』
- ↑ 日本将棋連盟 『2011年(平成23年)第33期 女流王将戦 予選』
- ↑ 日本将棋連盟 『2014年(平成26年)第36期 女流王将戦 予選』
外部リンク
- 女流王将戦(日本将棋連盟公式サイト)
- 女流王将戦(囲碁・将棋チャンネル公式サイト)