沖電気工業
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テンプレート:Infobox 沖電気工業株式会社(おきでんきこうぎょう)は、東京都港区虎ノ門に本社を置く、通信機器、現金自動預け払い機 (ATM) 等の情報機器を主体に製造するメーカーである。通称「OKI」。東京証券取引所一部上場。芙蓉グループに属する。
目次
概要
日本最初の通信機器メーカーとして1881年(明治14年)創業以来、130年以上の歴史を誇り、日本電信電話公社グループ(現:日本電信電話株式会社、NTTグループ)との関係が強い。
近年、企業スローガンを「Open Up Your Dream」とし、ユビキタス社会の実現と「安全、安心、豊かな社会」への貢献を目ざし、NGN、インターネット、セキュリティ、ソフトウェア、サービスなど、情報と通信が融合した新たな分野へ事業領域を拡大している。
沿革
- 1881年 - 沖牙太郎により明工舎を設立、創業。
- 1889年 - 明工舎を沖電機工場と改称。
- 1896年 - 国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社・東京浪花町分局に納入。
- 1898年 - アメリカのウェスタン・エレクトリックと合弁企業設立の交渉をおこなうが、条件が折り合わず不成立となる[1]。
- 1912年 - 「沖電気株式会社」設立。
- 1927年 - 東京都西芝浦に芝浦工場(旧東京工場、後の旧6号別館)を開設。
- 1949年 - 企業再建整備法により「沖電気株式会社」を解散し、第二会社として「沖電気工業株式会社」設立。
- 1951年 - 東京証券取引所上場。
- 1956年 - クロスバー交換機を日本電信電話公社に納入。
- 1958年 - 群馬県高崎市に情報処理機器の工場として高崎工場開設。
- 1961年 - 東京都八王子市に半導体工場開設、トランジスタの生産開始。またトランジスタ式コンピュータOKITAC 5090を発売。
- 1962年 - 埼玉県本庄市に通信機器の工場として本庄工場開設。
- 1963年 - スペリーランド社と技術提携契約を結び、「沖ユニバック株式会社」設立。
- 1971年 - オンライン現金自動支払機(CD)を富士銀行に、D10デジタル局用交換機を電電公社に納入。
- 1980年 - 超LSI生産会社、宮崎沖電気(株)工場完成。
- 1982年 - 世界初の紙幣環流機能付きATM「AT-100シリーズ」を発売。
- 1982年 - 10月半導体製造子会社、宮崎沖電気(現 ラピスセミコンダクタ宮崎(株))で工場火災発生。以後、10月3日が沖電気防災の日となる。
- 1986年 - 埼玉県蕨市にソフトウェアの開発拠点システム開発センタ開設。
- 1990年 - 発光ダイオードを光源に用いたページプリンタ発売。
- 1992年 - 保守サービス事業会社株式会社「沖電気カスタマアドテック」設立。
- 1994年 - ページプリンタの事業会社「株式会社沖データ」設立。
- 1998年 - 篠塚勝正社長就任。「強みを生かせる事業ドメインへの集中」を目的とした「フェニックス21計画」を策定[2]。
- 1999年 - 東芝より国内民間向け金融自動化機器事業を譲受。
- 2000年 - サービス部門の一部を「株式会社沖コムテック」へ譲渡。
- 2001年 - カーエレクトロニクス事業をホンダ系部品メーカー、「株式会社ケーヒン」に譲渡
- 2002年 - IPTPCを設立。
- 2003年 - 芝浦地区の通称別館地区を一部を残し売却。
- 2005年 - 日本TIより液晶パネル向けドライバLSI事業を譲受。
- 2007年 - 東京証券取引所および大阪証券取引所の銘柄略称を、10月1日より「沖電気」から「OKI」に変更。
- 2008年 - 5月に半導体部門をロームに売却決定。10月、OKIの半導体部門を分社後、株式の95%をロームへ譲渡[3]。
- 2008年 - レガシー系を除く通信事業部門を新設分割により独立させ「OKIネットワークス」設立[4]。
- 2009年 - 6月の株主総会で篠塚社長退任、川崎新社長に交代。
- 2011年 - 2月までに早期退職優遇制度により1,018名の人員を削減実施。
- 2012年 - 株式会社OKIネットワークスを吸収合併。
- 2012年 - 田中貴金属工業から鶴岡工場およびプリント配線板事業を買収。OKI田中サーキットを新立[注 1][5][6]。
主な製品
- 電話交換機全般
- 企業向けボタン電話システム
- IPテレフォニーシステム
- VoIPシステム
- ビデオ会議システム
- 動画監視システム
- 集積回路(ロジックLSI、メモリLSI、光部品)
- 現金自動預け払い機(ATM)、消費者金融の自動契約機
- 各種発券機
- KIOSK端末
- 銀行向け事務集中システム・ソリューション
- コールセンターの開発・構築・運営支援
- プリンター(沖データ)
- マルス(主にMV端末(みどりの券売機)など)
- スマートフォン向け業務アプリケーション構築・運用支援
- DressUP IT基盤ソリューションサービス
- 基幹業務システム構築・運用支援
- プライベートクラウド導入支援サービス
- 仮想化ITソリューションサービス
- 各種ASP事業(銀行口座からのモバイルSuicaチャージ/Edyチャージ、iアプリバンキング中継サーバ、位置表現抽出・管理サービス「LocoSticker」)
かつてはパソコン(ifシリーズ)や電子ボード「かわら版」なども手がけていたことがあったが、現在は撤退している。このため現在一般市場(コンシューマー)向け製品としてはプリンターがあるのみで、電機労連大手各社の中では知名度がやや劣る。
- 防災無線の制御箱
関連会社
- 沖データ - パソコン用プリンターの事業会社。
- 沖電気カスタマアドテック(OCA) - 沖電気製品の保守を主な事業としている。
- 沖コムテック(OCT)
- OKIソフトウェア(OSK)
- 沖ウィンテック - 旧沖電気工事。電気工事業者。
- 静岡沖電気
- 長野沖電気
- 日本ビジネスオペレーションズ(JBO) - ATMの遠隔運用保守請負業者。
- OKIプロサーブ
- 沖電線 - 電線・プリント基板メーカー。
- 岡谷電機産業
- サクサホールディングス
- オキシーテック - 水中音響機器の計測、開発。
- 沖電気防災 - 日本ドライケミカルとの合弁、防災機器の開発・製造・販売等を主事業とする。
- OKIサーキットテクノロジー
CM
- 2009年10月より、菅野美穂をイメージキャラクターに採用したプリンターのTV CMを開始。
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テレビ・ラジオ
- 報道ステーション(テレビ朝日) - 毎週木曜日提供。
- スポーツフロンティア(テレビ朝日)
- がっちりマンデー!!(TBSテレビ) - 2010年10月から提供。
その他
沖電気(OKI)陸上競技部
- 陸上競技(長距離走・マラソン・駅伝)の実業団チーム。半導体製造子会社の宮崎沖電気の陸上チームとして1986年発足、2009年廃部。陸上部発足当時は男子選手も所属していたが、1996年頃から女子選手のみ所属のチームとなった。なお例年12月開催の全日本実業団対抗女子駅伝では、1996年・1997年・1999年の合計3回優勝を果たした。
- かつて同チームの監督・総監督だった廣島日出国(元旭化成所属)は、陸上競技の解説者としてお馴染みであった。また1991年世界陸上東京大会男子マラソン金メダリストの谷口浩美(元旭化成)が、同チームの助監督・監督を務めた時期があった。同チームの所属選手では、1996年アトランタオリンピック7位入賞・2000年シドニーオリンピック10位と、2大会連続五輪で女子10000m代表だった川上優子や、日本陸上選手権女子10000m優勝・2001年名古屋国際女子マラソン3位の岡本幸子らがいた。
- しかし2002年に川上、2003年に岡本らが相次いで引退した後の同チームは、駅伝等での成績が振るわない状況が続いた。さらに不景気による経営改善策の一環のため、2009年3月末をもって廃部となった。
関連項目
- 田中哲朗
- ラピスセミコンダクタ - (旧・OKIセミコンダクタ。かつての沖電気工業の半導体部門)
脚注
注
- ↑ 同社は2014年4月1日、OKIサーキットテクノロジーに社名変更。
出典
外部リンク
テンプレート:芙蓉グループ- ↑ 沖電気社史『進取の精神 -- 沖電気120年のあゆみ』2001年、P23 - 26[1]。このときウェスタン・エレクトリックの日本側代理人だった岩垂邦彦が、沖の合弁断念後に合弁先として自ら設立したのが日本電気である。
- ↑ 『進取の精神 -- 沖電気120年のあゆみ』P398 - 401[2]
- ↑ 半導体事業を分社し新会社を設立
- ↑ OKIネットワークスを設立
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news