大沢樹生

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大沢 樹生(おおさわ みきお、1969年4月20日 - )は、日本俳優であり、アイドルグループ光GENJIの元メンバー。本名、大澤 樹生(読み同じ)。愛称は「ミッキー」。東京都江東区大島(おおじま)出身。所属事務所である株式会社ドリームフォープロモーションの代表取締役社長も務める。

人物

東京富士幼稚園、江東区立第四大島小学校、江東区立第二大島中学校江東区立第四大島中学校を経て、明治大学付属中野高校定時制中退→ウィッツ青山学園高等学校通信制卒業[1]

身長177cm、体重67kg、血液型A型。左利き

経歴

  • 1982年昭和57年)1月17日、姉が履歴書を送り、小学校6年生の3学期の時にジャニーズ事務所に入所。
  • 1983年(昭和58年)3月25日イーグルスのメンバーとしてレコードデビュー。しかし、同グループは後に自然消滅。その後は、NHKレッツゴーヤング』のレギュラーとなり、「サンデーズ」の一員として活動していた。
  • 1987年(昭和62年)8月19日内海光司と共に光GENJIのメンバーとして再びレコードデビューを果たす。当時18歳であったが、20歳と2歳年上にサバを読んでいた。田原俊彦をはじめとして、当時はアイドルが年齢をいつわることはよくあることであった。
  • 1994年平成6年)8月31日佐藤寛之と共に光GENJIを脱退、ジャニーズ事務所を退社。翌1995年(平成7年)に個人事務所「サクセス」と、ファンクラブ「MOST」を立ち上げた。俳優業の他に、ソロ歌手としてもシングルやアルバムを数枚リリースした。
  • 1996年(平成8年)に女優の喜多嶋舞できちゃった結婚(妊娠3か月)するが、2005年(平成17年)9月20日離婚。なお、一人息子の親権は喜多嶋側にあったが、2007年(平成19年)4月より大沢が親権を持ち、2013年(平成25年)12月DNA型鑑定により大沢との父子確率0%が判明し再び喜多嶋側に親権が移るが[2]、喜多嶋が拒否したために喜多嶋の実母である内藤洋子に親権が渡る[3]
  • 2006年(平成18年)11月、自らが経営する芸能事務所・ドリームフォープロモーションを立ち上げた。
  • 2007年(平成19年)8月、 初プロデュース作品「怪談牡丹灯篭もっともっと愛されたかった」公開。
  • 2008年(平成20年)4月26日、一般人の女性と再婚。そして同年6月にアパレルブランド「STREET STAR」を立ち上げた。
  • 2008年(平成20年)11月、自叙伝「昨夜未明、大沢樹生が死にました…」(カンゼン刊)を出版。
  • 2009年(平成21年)7月21日、日本テレビ系「有名人が集まる結婚相談所」に妻と出演。山本淳一がサプライズで登場。約15年ぶりに光GENJIメンバーとのTV共演となった。
  • 2010年(平成22年)水戸黄門第41部で、レギュラー出演(虚空無幻斎 役)。
  • 2010年(平成22年)8月、 第2弾プロデュース作品「捜査線 LINE OVER」公開。
  • 2011年(平成23年)4月6日、 いい旅夢気分SP出演(山本淳一と共演)。
  • 2011年(平成23年)5月25日、「東京ジョー」のアーティスト名で、約10年ぶりにシングル「ガキの戯言」を発売。
  • 2012年(平成24年)5月12日日本テレビメレンゲの気持ちで、夫人が不妊治療により受胎、出産予定日は10月と公表する。後刻、胎児異常により妊娠継続は困難と医師に診断され、5月24日に死産したことを6月公式ブログにて公表する。
  • 2013年(平成25年)12月10日付の公式ブログにて、夫人が妊娠10ヶ月であることを公表する[4]
  • 2014年(平成26年)1月13日に女児が誕生したことを、同年2月1日付の公式ブログにて明かす。[5]

エピソード

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

少年時代

  • 音楽の授業で歌のテストのとき課題とは違う「かえるのうた」を歌うなど少年時代から個性が強かった。

光GENJI(ジャニーズ時代)に関して

  • 自ら「目で殺す」、「目殺師」と言うくらいの鋭い目つき(ロゴマークとして自らイラスト化したものをたびたび描いている)と、長身にきりっとした顔立ちで「正統派二枚目」と呼ばれていた。このキャラクターを活かして、欧米人、狼男、悪役などの役をこなしている。
  • 光GENJI所属時代のイメージカラーは紫色。
  • 連続バク転やローラースケートを履いたままのバク転など、高い運動神経を誇っていた。
  • 元メンバーの諸星和己とは不仲説も噂されたが、グループの中で一番仲が良かったと後に語られている。
  • 近年、光GENJIや同時期に活動していた忍者の元メンバーとの交流が増えている(公開されているだけでも諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、正木慎也など)。
  • 2007年に元メンバーの赤坂晃が覚せい剤取締法違反により逮捕された時には、拘留されていた警察署へ赤坂宛てに本と手紙を差し入れた。そのことに関しては、「君は一人じゃないんだ、という気持ちが伝わってくれればよかった」と後に語っている。[6]
  • 光GENJIについては「宝物ですね。光GENJIがあったから今の自分があるのは紛れも無い事実です。だからもう、むやみに宝箱を開けたくないんですよ」と後に語っている。[7]
  • 「(光GENJI)脱退の決断は、いまだに人生でいちばん勇気が必要だった出来事」「自分の人生をかけた決断」とも語っている。[8][9]
  • 脱退の理由については、「(ドラマや舞台で)俳優として何も基礎がない自分が主役を張って、キャリアもテクニックもある俳優さんが脇役でいることにコンプレックスを感じるようになった」「成長していくファンに合わせて、アーティストも成長していくべきというのが自分の考えだった。だが信じられないような成功を収めてしまった光GENJIは、いつしか新しい方向を探すのをやめ、かつて成功したパターンを繰り返すだけになってしまったように見えた」「このままここにいたら、自分が目指している方向性のものは永遠に出来ないかもしれないと思った」と、ただ売れたというだけでアイドルが実力者より優遇されてしまっていること、また、自分の小さな活動の希望ですら事務所に押さえつけられずっと行動を制限されたこと等に対し、将来の危機感を持った上での決断であったことが自伝で語られている。ただ、「結果的に自分が事務所を説得する努力を放棄して一方的にキレてしまっただけ」「「辞めなければ」という自分の思い込みのせいでスタッフに迷惑をかけてしまった」とも語っており、グループに対するけじめとして、光GENJIの七周年記念イベントまで責任を持って活動をすること、また脱退した年の自らの誕生日以降の活動はノーギャラで働くことを脱退意思とともに事務所へ表明していた。[10]

SMAPについて

  • 光GENJIとSMAPの違いについて、「ちょうど光GENJIとSMAPの移り変わりの時って 時代のニーズの移り変わり。それにSMAP君達は上手く乗れて。 今のアイドルは、手の届きそうな近所のお兄さんじゃないですけど親しみやすかったり。 僕らまでは白馬とかに乗った王子様とか手の届かない存在。光GENJIのようなとんでもない衣装って、今のアイドルは着ていないでしょう。SMAP君にしても。 そういう意味では、俺らなんかバラエティやらせてももらえなかった。TVとかで拝見していると、SMAP君って凄い器用に何でも出来るからそういう意味では僕らに出来なかったパターン。」と語っている。[11]

子育て

  • 2005年の離婚から2008年の再婚までの3年間、シングルファザーとして1人息子を育てていた。
  • 胸に息子の名前のタトゥーを入れている。またそんな息子の教育に力を入れており、息子が友達を泣かせてしまった際には、すぐに息子を連れて謝りに行き、息子の目の前でその友達の家族に土下座をした。

特技

  • パチスロの目押しが非常に巧い。

所属事務所の変遷

ジャニーズ事務所 → 個人事務所「サクセス」(フロム・ファーストプロダクション傘下。1995年4月1日設立。) → フロム・ファーストプロダクション(2006年10月に退社) → 個人事務所「ドリームフォープロモーション」

ジャニーズ時代の参加ユニット

出演

テレビドラマ

バラエティ番組

映画

オリジナルビデオ

  • あばよ白書 (1995年
  • 悪名伝
  • DOG FIGHT・野良犬たちの挽歌
  • 実録 土佐游侠外伝 鯨道〜青春篇
  • 実録 土佐游侠外伝 鯨道〜抗争・完結篇
  • 実録 山陽道やくざ戦争・手打ち破り (2002年・ビデオのみ)
  • 実録 東北やくざ戦争・覇王の道
  • 実録 竹中正久の生涯〜荒らぶる獅子 外伝2004年、GPミュージアムソフト)
  • 鬼哭 kikoku(2004年)
  • メール in the site(2004年)
  • 海賊仁義(2005年
  • 実録 新選組シリーズ(2006年、【監督:辻裕之】) - 沖田総司
    • 実録 新選組(2006年2月25日
    • 実録 新選組 完結編(2006年3月25日
  • 龍が如く~序章~(2006年)
  • 修羅の軍団(2006年)
  • 修羅の軍団 完結編(2006年)
  • 実録・九州やくざ抗争 誠への道(2006年)
  • 実録・九州やくざ抗争 誠への道 完結編(2007年
  • 実録 大日本菊水会 双龍伝(2007年)
  • 実録・大日本菊水会~双龍伝~完結編(2007年)
  • 実録・四国やくざ戦争 血戦 松山抗争勃発篇(2007年)
  • 実録・四国やくざ戦争 血戦 松山抗争終結編(2007年)
  • 実録・国粋 竜侠(2007年)
  • 涙でいっぱいになったペットボトル〜カンペの手紙〜 (2007年、GPミュージアムソフト)
  • 実録・鯨道 抗争完結編(2007年)
  • 実録・鯨道 青春編(2007年)
  • 関西極道 流血の抗争史 侠客の刃編(2008年
  • 関西極道 流血の抗争史 哀愁の刃編(2008年)
  • 住越・浜野政吉 列侠(2009年
  • 実説・沖縄ヤクザ抗争(2009年)
  • 実説沖縄ヤクザ抗争 完結編(2009年)
  • 新・修羅の軍団(2010年
  • 新・修羅の軍団2(2010年)
  • アンダーグラウンド(2011年)

舞台

プロモーションビデオ

プロデューサー

ディスコグラフィ

シングル

  • 1995年5月 「悲しみの華を散らして」
  • 1995年11月 「エンジェルオーガズム」
  • 1996年6月 「六本木製少年」
  • 1996年11月 「I'm Junk!」
  • 1997年6月 「Free mAn」
  • 1998年7月 「真夏の風」
  • 2011年5月 「ガキの戯言」(東京ジョー名義)

アルバム

  • 1995年7月 「Pierrot Pazzo」
  • 1996年12月 「4 CROWS」
  • 1997年7月 「Rock FooD」
  • 1998年7月 「M・ISM」

写真集

書籍

光GENJI全集第2巻。1990年9月21日発売。
  • 昨夜未明、大沢樹生が死にました… (カンゼン、2008年11月

脚注

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外部リンク

テンプレート:光GENJI
  1. 公式ブログ3月23日「余震が不安・・・」より
  2. 大沢樹生 16歳長男との父子確率0%
  3. 週刊女性1月7・14日合併号より
  4. 公式ブログ12月10日「本日の一部スポーツ紙の報道に付きまして。」より
  5. 公式ブログ2月1日「ファンの皆様、読者の皆様へ。」より
  6. 自伝『昨夜未明、大沢樹生が死にました・・・』
  7. 〜遠隔操作バラエティ〜ウドで訊く!(2008年7月30日放送)
  8. DHC「みんな、げんき?」(2009年12月号)
  9. 自伝『昨夜未明、大沢樹生が死にました・・・』
  10. 自伝『昨夜未明、大沢樹生が死にました・・・』
  11. 〜遠隔操作バラエティ〜ウドで訊く!(2008年7月30日放送)