長崎県立国見高等学校

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長崎県立国見高等学校(ながさきけんりつ くにみこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Kunimi High School)は、長崎県雲仙市国見町多比良甲にある公立高等学校

設置課程・コース

  • 全日制課程
    • 普通科
      • 1 年生から進路希望などに応じて以下の2コースに分かれる。
        • Aコース - 基礎学力の充実を目指し、進学や就職などに対応。
        • Bコース - 四年制大学や高等看護学校等進学を希望する生徒に対応。
      • 2年生進級の際に、進路希望に応じてコース間の入れ替えを行う。
      • 3年生進級の際はコースの入れ替えは行わず、2年生のコースを継続。[1]

校訓

  • 誠実・気魄・努力

校章

  • 平仮名の「く」を2つ左右対称に並べて「」(2個で「くに」)を表し、中央に高校の「高」の文字(旧字体)を置いている。
  • スクールカラーは「青色」

校歌

沿革

当初、長崎県立島原高等学校の2分校として設置され、統合で1分校になった後、独立してできた学校である。

昭和

  • 1949年昭和24年)
    • 7月18日 - 長崎県立島原高等学校神代[2]分校(定時制)として開校。校舎は神代中学校に併置。
    • 8月19日 - 長崎県立島原高等学校多比良[3]分校(夜間定時制)として開校。校舎は多以良中学校に併置。
  • 1956年(昭和31年)11月1日 - 町村合併に伴い、多比良分校を国見分校と改称。
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月11日 - 国見分校の夜間制を昼間制に切り替える。
    • 4月20日 - 国見分校の新校舎(木造、建坪235坪)が完成。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月1日
      • 国見分校と神代分校の定時制課程の募集を停止し、全日制課程普通科(2学級)の生徒募集を開始。
      • 国見分校・神代分校を統合の上、国見分校とし、旧多比良中学校の校舎を使用する。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 全日制課程普通科が3学級となる。(1学級増)
  • 1967年(昭和42年) - この年を基準に創立年数を数えている。
    • 4月1日 - 島原高等学校より分離・独立し、長崎県立国見高等学校(現校名)となる。
    • 11月1日 - 開校式を挙行。
  • 1969年(昭和44年)12月31日 - 運動場が整備。
  • 1970年(昭和45年)1月31日 - 体育館(第2体育館)が完成。
  • 1971年(昭和46年)3月29日 - 第1棟校舎(2階建)が完成。
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月29日 - 体育館倉庫と部室が完成。
    • 2月13日 - 格技場が完成。
    • 4月8日 - 第1学年の学級が4学級となる。(1学級増)
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月28日 - 第2棟校舎(普通教室、家庭科教室等)が完成。
    • 4月8日 - 第1学年の学級が5学級となる。(1学級増)
  • 1975年(昭和50年)4月8日 - 第1学年の学級が6学級となる。(1学級増)
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月31日 - 第2棟校舎(普通教室8、理科室3、視聴覚室1)を増築。
    • 11月1日 - 創立10周年記念式典を挙行。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月31日 - 第1棟校舎(普通教室2、図書室、社会科教室、渡り廊下、下足室、購買部)を増築。
    • 10月15日 - 体育館(第2体育館)倉庫が完成。
  • 1980年(昭和55年)10月16日 - 体育倉庫が完成。
  • 1983年(昭和58年)3月30日 - 体育館(現 第1体育館)が完成。
  • 1984年(昭和59年)1月20日 - 考古学資料館が完成。
  • 1985年(昭和60年)3月18日 - 温水シャワー室が完成。
  • 1986年(昭和61年)11月8日 - 創立20周年記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)
    • 1月31日 - 考古博物園が完成。
    • 9月16日 - 運動場夜間照明施設が完成。

平成

  • 1989年平成元年)3月31日 - 第2棟校舎(生徒用便所)を増築。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月3日 - 生徒昇降口と渡り廊下が完成。
    • 10月24日 - コンピューター教室が完成。
  • 1991年(平成3年)11月22日 - トレーニング室が完成。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 男子制服がブレザー服に改定。
  • 1994年(平成6年)3月22日 - 寄宿舎「烏兎寮」が完成。
  • 1996年(平成8年)
    • 4月1日 - 女子制服改定、男子制服一部改定。
    • 10月25日 - 創立30周年記念式典を挙行。
  • 1997年(平成9年)3月25日 - クラブハウスと渡り廊下(校舎・第1体育館間)が完成。
  • 1998年(平成10年)2月10日 - 長崎県教育委員会指定の「長崎学」研究発表会を行う。
  • 1999年(平成11年)3月10日 - 第2体育館(屋根、窓枠、床)を改修。運動場を整備。
  • 2000年(平成12年)3月24日 - 耐震補強、保健室・カウンセラー室の改修が完了。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月29日 - 武道場(旧格技場)を改修。
    • 4月1日 - 第1学年の学級数が5学級となる。(1学級減)
  • 2002年(平成14年)
    • 2月15日 - テニスコートを改修。
    • 9月12日 - トレーニングルームを新築。
  • 2003年(平成15年)1月16日 - 粗大ゴミ置き場と自転車置き場を新設。
  • 2004年(平成16年)2月13日 - 校舎トイレを改修。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 第1学年の学級数が4学級となる。(1学級減)

学校行事

1学期

  • 4月 - 始業式、入学式、1年生宿泊研修、歓迎遠足
  • 5月 - 中間考査、生徒総会
  • 6月 - 県高総体、期末考査
  • 7月 - 生徒会役員選挙、球技大会、高2インターンシップ、終業式
  • 8月 - 平和学習(9日 長崎原爆の日)、夏季補習、中学生1日体験入学(オープンスクール)

2学期

  • 9月 - 始業式、体育祭、高3就職試験開始
  • 10月 - 中間考査、鍛錬遠足
  • 11月 - 開校記念日(1日)、県総文祭、星原祭(文化祭)、期末考査
  • 12月 - マラソン大会、球技大会、終業式、冬季補習

3学期

  • 1月 - 始業式、高2修学旅行、大学入試センター試験
  • 2月 - 高校推薦入試、学年末考査、同窓会入会式
  • 3月 - 卒業式、球技大会、終業式(修了式)

制服

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部活動

運動部

文化部

活動成績

サッカー部

  • かつて元総監督(同校教諭、教頭、校長を歴任)の小嶺忠敏が率いたサッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会の常連校で、卒業生の項にあるとおり多くのサッカー選手を輩出した。全国優勝は計14回。
    • 2007年(平成19年)まで、全国高等学校サッカー選手権大会21年連続で出場。大会史上、最多連続出場記録となっている。
    • 選手権の優勝回数6回(1987(昭和62)、1990(平成2)、1992(平成4)、2000(平成12)、2001(平成13)、2003(平成15)年度)は戦後最多タイの優勝回数。
    • インターハイの優勝回数5回(1986(昭和61)、1993(平成5)、2000(平成12)、2003(平成15)、2004(平成16)年度)。
    • 高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会の優勝回数2回。
    • 国体の優勝回数1回。
    • 2000(平成12)年度にインターハイ、国体(国見高単独チームで長崎県選抜として出場)、選手権の三冠を達成。
    • 第85回選手権大会(2006(平成18)年度)で同校の選手権史上初の初戦敗退を喫した。
    • 部員は丸刈りにしなくてはならない。
  • 2007年(平成19年)
当大会を勝ち抜いたのは島原商業で、監督の宮崎伸一もまた小嶺の教え子であった。

著名な出身者

アクセス

周辺

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:全国高等学校サッカー選手権優勝校 テンプレート:全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会男子優勝校

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  1. 平成24年度 長崎県 ハイスクールガイダンス 長崎県教育委員会
  2. こうじろ
  3. たいら