FC町田ゼルビア

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テンプレート:サッカークラブ テンプレート:Infobox FC町田ゼルビア(エフシーまちだゼルビア、FC Machida Zelvia)は、日本東京都町田市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。

概要

FC町田(1977年設立)のトップチームとして1989年に創設された「FC町田トップ」が前身となる[1]。ホームスタジアムは町田市立陸上競技場[1](野津田競技場)、練習場は小野路グラウンドである[1](詳細は#スタジアムを参照)。

愛称の「ZELVIA」は町田市の樹・ケヤキzelkova」(ゼルコヴァ)と、花・サルビアsalvia」を合わせた造語[1]。チームマスコットは2009年に誕生した「ゼルビー[1][2]。町田市の「市の鳥」であるカワセミをモチーフとしており[1]、4種類のデザイン候補[3] の中から、サポーター投票によって選ばれた。

歴史

前史

  • 1977年 FC町田の前身となる少年サッカーチーム「FC町田トレーニングセンター」が結成[2]。小学校の教諭たちが「子供たちのバランス感覚を養うにはサッカーがよい」として、地元の小学生に対してサッカーの指導を始め、その優秀選手を中心に「フットボールクラブ(FC)町田」という選抜チームの結成につながり、清水市(現・静岡市)と並んで「少年サッカーの盛んな地域」として知られるようになった。[4]
  • 1989年 トップチーム(第1種登録チーム)として「FC町田トップ」を創設[1][2]。町田サッカー協会理事長(当時)の重田貞夫が初代代表兼監督に就任。
  • 1996年 菰田省二が監督に就任。

2009年 - 2011年(JFL)

2009年

テンプレート:Sister 2月17日社団法人日本プロサッカーリーグからJリーグ準加盟クラブとして承認された[5]。リーグ戦は前期時点で13位ながら、後期はわずか1敗で後期は2位となり、年間6位の成績。

なお、9月25日、予備審査で指摘された平均入場者数が基準(3,000人)に満たないことに加えJリーグ基準のスタジアムの確保が来季開幕まで間に合わない(町田市立陸上競技場が収容人員1万人に満たないことと夜間照明が設置されていないこと)ため、2010年のJリーグの本加盟申請を見送った[6]

2010年

サッカー日本代表相馬直樹が監督に就任。3月にメジャーリーグサッカー(MLS)のD.C.ユナイテッドと業務提携を結んだ。日本のクラブとMLSクラブと業務提携は史上初[7]

リーグ戦では、最終的にJ2昇格条件の4位以内の3位となり、平均入場者数もJリーグ ディビジョン2(J2)昇格条件を満たしていたが、9月1日にJリーグから正会員入会予備審査で「スタジアムの整備の問題でJリーグの基準を満たしていない」との通知を受け[8]、Jリーグ加盟を申請せずに2011年からのJリーグ加盟を断念した[9]

天皇杯は、2回戦でJ2の東京Vに勝利した。リーグ戦終了後に相馬が監督を退任した(後に川崎の監督に就任)。

2011年
チームスローガン:'ALL POWER MACHIDA

相馬の後任監督に元大分監督のランコ・ポポヴィッチが就任。

町田市立陸上競技場の座席増築が完了し、収容人員はJ2基準を満たすものとなったが、医務室・更衣室を初めとするメインスタンドの控え室関連の改修について、町田市は2月21日、その工事の竣工が2012年度末(2013年初め頃)になると説明。Jリーグでは「2011年度内に改修が竣工しない場合はJリーグ側が正会員申請の見送りを求める可能性もある」と回答[10] したが、その後のJリーグ入会の予備調査でJリーグ側より町田陸上競技場の再改修の前倒しとその間の代替本拠地の確保および経営健全化を求められた[11]。リーグ戦は12月11日のカマタマーレ讃岐戦に勝利を収めて、J2昇格圏内の3位でシーズンを終えた。12月12日、Jリーグ臨時理事会でJリーグ加盟が承認され、2012年シーズンからのJ2参入が決定した。なお、天皇杯は2回戦でヴァンフォーレ甲府に敗退。シーズン終了後にポポヴィッチが監督を退任した(後にFC東京の監督に就任)。

2012年(J2)

チームスローガン:'ALL POWER MACHIDA ~町田イズム~

監督にかつて清水などJ1の3クラブで指揮を採ったオズワルド・アルディレスが就任した。

8人の選手が退団・引退。一方で、草津から元日本代表戸田和幸川崎から相澤貴志を完全移籍で、東京Vから平本一樹、川崎から薗田淳をレンタル移籍で獲得。庄司悦大鈴木孝司が入団した。また昨年大分からレンタル移籍で加入した石田良輔は完全移籍となり、横浜FMからレンタル移籍で加入していた田代真一はレンタル期間が延長された。

Jリーグ初戦は愛媛FC、ホーム初戦は福岡に敗北したが、第3節の鳥取戦でJリーグ公式戦初勝利を挙げた。なお、この試合で平本が決めた先制点が町田のJリーグ初得点であり、同時にJ2通算10,000ゴール目となった。第4節熊本戦で連勝し、同節終了時で順位を12位まで上げたが、第12節のホームの北九州戦から第27節のアウェーの北九州戦まで16試合連続無勝利(5分11敗)を喫した。また、第33節の松本戦で最下位に転落して以降、最下位から脱出できず、最終節の湘南戦に敗北してJ2最下位が確定した。なお、JFLで優勝したV・ファーレン長崎の2013年からのJリーグ加盟が承認されたため、長崎と入れ替わりでのJFL降格と、Jリーグ正会員資格消失[12]が決定した[13]11月17日にアルディレスが監督を辞任し、11月26日に京都元監督の秋田豊が監督に就任した。天皇杯は4回戦でG大阪に敗退した。

2013年(JFL)

チームスローガン:'共闘 -想いをひとつに-

東京Vから深津康太吉弘充志AC長野パルセイロから向慎一を完全移籍で、柏から相馬大士、東京Vから田中貴大高野光司を期限付き移籍でそれぞれ獲得。一方、鈴木崇文が岡山へ、勝又慶典栃木SCへそれぞれ完全移籍。戸田和幸ドラガン・ディミッチ津田和樹が退団、酒井良が引退した。

前半戦は首位・カマタマーレ讃岐と勝点6の差で3位の成績。6月25日、前半戦終了時の1位に与えられる第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会のシード権を逃したことやホームゲームで3勝2分4敗と不振であったこと等を理由に、秋田を監督から解任し、楠瀬直木が監督代行に就任した。11月3日、第31節秋田戦で引き分け、同節で勝利した1位長野、2位讃岐との勝点差が残り3試合で10以上となった時点で、J2昇格条件の2位以内が消滅した[14]。11月19日、日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会[注 1]と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[15]。なお、リーグ戦は4位に終わった。

2014年(J3)

チームスローガン:'超戦 次の25年にツナグために

相馬直樹が4年ぶりに監督に復帰。6月にリーグを一時中断するまでの17試合を12勝4分1敗の成績で終え、首位に立っている。なお、東京都サッカートーナメント(兼天皇杯東京都予選)は明治大学に敗れ、2年ぶりの天皇杯出場はならなかった。

成績

テンプレート:Main

タイトル

リーグ戦

その他

個人

スタジアム

2010年、町田市立陸上競技場(以下「町田陸」)の改修工事に伴って、後期は相模原麻溝公園競技場国立西が丘サッカー場などでホームゲームを開催した。2012年も町田陸の改修によりホーム初戦の福岡戦のみ駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で開催した。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは当項目を参照のこと。

町田市立陸上競技場の整備

2009年まで町田陸は収容人員がJリーグ開催基準(J1:15,000人以上、J2:10,000人以上)を下回る6,000人、メインスタンド以外は芝生席で、ナイター設備も無かった。

第68回国民体育大会(スポーツ祭東京2013)の開催などに備えて、2009年から2010年までナイター設備4基の設置、J2開催基準の1万人収容を満たすためにバックスタンドの改修(当初は鉄骨製の仮設席を設置する予定であったが、後にコンクリート打ちによる二層式スタンドへの改修に変更された)、2012年にメインスタンドの増改築を行い(その間に陸上トラックの箇所にロッカールーム、医務室、放送・記者ブースといった仮設棟を設置。工事完了後に撤去)、2013年に竣工した(J1開催基準化は、メインスタンド増築などの関係で一時凍結)。

なお、2008年10月に町田市は中心市街地再開発のビジョンの一つとして、町田駅から徒歩圏内にコンベンション・センター等を兼ねたスタジアムを建設し、周辺にショッピングセンターレストランなどを整備する「町田駅近(えきちか)スタジアム構想」を発表した[16]が、以降この件に関する動きは無い。

下部組織

総合型スポーツクラブを目指す手段として、「アスレチッククラブ町田」とともに「AC町田スポーツスクール」を運営。ゼルビアの選手たちがコーチとして幼稚園児や小学生を始め500人以上の生徒を抱え、週5日のスクールに加えホームでの試合後にそのままサッカー教室を行うなどしている。また、セカンドチームとして「FC町田ゼルビア・ツヴァイテ」があり、東京都社会人サッカーリーグで活動している。

アカデミーは、ユース(U-18)およびジュニアユース(U-15、U-14、U-13)を有する[1]

ユニフォーム

テンプレート:ユニフォームの色

チームカラー

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
イーグル建創 EAGLE KENSO 2012年- 2007-08年および2011年は背中、2009-10年までは袖
背中 小田急電鉄 odakyu 2012年- 2009年-2010年は胸、2011年は袖
学校法人玉川学園
学校法人桜美林学園
COUMZ 2012年- 玉川大学は2009-10年は背中、2011年は胸
パンツ ギオン 株式会社ギオン 2013年-

ユニフォームサプライの遍歴

  • - 2006年 DELL'ERBA
  • 2007年 - 2008年 hummel
  • 2009年 - 現在 SVOLME

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
2005 20代仕事筋の鍛え方 Nac ダイヤモンド社 株式会社澤井 DELL'ERBA
2006 - - Nac 20代仕事筋の鍛え方
2007 Pherrow's イーグル建創 override オーテー hummel
2008 -
2009 odakyu 玉川大学 イーグル建創 landmark SVOLME
2010 -
2011 Tamagawa University EAGLE KENSO odakyu
2012 EAGLE KENSO 小田急ロマンスカー COUMZ
2013 株式会社ギオン
2014 odakyu

※1:2005年、2006年の「20代仕事筋の鍛え方」はダイヤモンド社の書籍タイトルで、著者である山本真司による個人スポンサーである[17]

※2:「COUMZ」は「Consortium of Universities in MACHIDA ZELVIA」の略称で、学校法人玉川学園および学校法人桜美林学園による大学連携組織である[18]

エンブレム

1997年に誕生して以来、エンブレムは2度大きく変更された。初代は、ケヤキの緑に塗られた町田市の地形を象徴する逆三角形に、「市民」「行政」「チーム」を表す3本の斜線が通り、サルビアを示す赤い模様が下に置かれた。2003年には緑の盾型に変わり、「MACHIDA」の文字をサルビアの赤で表し、盾の中に金色で町田市の地形と白抜きの市章、そして「夢」「情熱」「勝利」「愛」を表す4つ銀星があしらわれた。なお、星は2006年に銀から白に変更された[2]

2009年のJFL参入と20周年を迎えたことを契機にエンブレムは一新された。クラブカラーが青に変更されたことを受け、青い円の中にゼルビアの「Z」と町田の「M」をデフォルメした3本の白線を配し、「市民」「行政」「チーム」を象徴した。そして、それまでは無かった「ZELVIA」を加えたチーム名をあしらった[2]

脚注

注釈

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出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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テンプレート:J3オリジナルメンバー
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「J3」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 エンブレムの世界 FC町田ゼルビア『サッカーマガジン』2012年3月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23884-3/27, 056頁。
  3. 町田ゼルビア、チームキャラクター人気投票 - Z型の「ゆるキャラ」も候補に - 町田経済新聞(2009年1月26日)
  4. Jリーグオフィシャルファンズガイド2012朝日新聞出版)」
  5. テンプレート:Cite pressrelease
  6. テンプレート:Cite pressrelease
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite pressrelease
  9. テンプレート:Cite web
  10. 町田市、陸上競技場の整備計画案作成-「J2仕様スタジアム」整備費試算も 町田経済新聞 2011年2月18日
  11. ゼルビア、昇格へ一歩前進か 具体的課題検討へ 東京 朝日新聞 2011年9月7日
  12. J2ゼルビア1年で降格 最下位 朝日新聞多摩地方版・2012年11月13日付(同11月21日閲覧)
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite news
  15. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「j3league」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  16. テンプレート:Cite press release
  17. 本を書いてサッカー・チームのスポンサーになる Kei(ダイヤモンド社) 2005年9月号
  18. テンプレート:Cite pressrelease


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