町田市立陸上競技場
テンプレート:スタジアム情報ボックス 町田市立陸上競技場(まちだしりつりくじょうきょうぎじょう)は、東京都町田市野津田町の町田市立野津田公園内にある陸上競技場である。施設は町田市が所有し、日本体育施設株式会社・町田市スポーツ振興公社共同事業体(スポーツパークパートナーズまちだ)が指定管理者として運営管理を行っている。野津田競技場(のづたきょうぎじょう)とも呼称される。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)クラブであるFC町田ゼルビアのホームスタジアムとして知られるほか、駅伝や各種陸上競技大会なども開催される。
目次
概要
400メートル・8コースの全天候型ウレタントラックと芝生のフィールド(7,600㎡)を備えた日本陸上競技連盟第3種公認の陸上競技場である。電光表示装置などの設備があり、収容人員は10,600人 (メインスタンド1,666席、バックスタンド他8,034席 ゼルビア公式サイトより)である。ゼルビアのJリーグ参入に際し、大規模な改修が行われている(後述)。
2009年4月より、日本体育施設株式会社・町田市スポーツ振興公社共同事業体(スポーツパークパートナーズまちだ)が指定管理者となっている。
歴史
ゼルビアのJリーグ挑戦以前
この町田市陸上競技場は、1998年まで行われたジャパンフットボールリーグ(旧JFL)では東京ガスサッカー部(現:FC東京)が準本拠地として使用し、国士舘大学サッカー部も試合を開催していた。また、コンサドーレ札幌も1996年のJFLにおいて、コスモ石油四日市FCとの主管試合をここで行った[1]。
また、1991年にプロサッカーリーグ(後のJリーグ)が1993年に開始されると発表された際、日本サッカーリーグ(JSL)の全日空横浜サッカークラブが町田市をホームタウン、この町田市陸上競技場を本拠地としてJリーグに参入する事を目指した時期がある。この交渉は実らず、全日空横浜は横浜フリューゲルスとして神奈川県横浜市がホームタウン、横浜市三ツ沢球技場(現・ニッパツ三ツ沢球技場)を本拠地としてJリーグに参加したが[2]、この経験が後に町田市サッカー協会を自らチーム、ゼルビアでのJリーグ挑戦に向かわせる事になった[3]。
2001年のJリーグでは2001年11月10日にJリーグ ディヴィジョン2(J2)第43節の川崎フロンターレ対アルビレックス新潟が行われた。これが当競技場における最初のJリーグのトップチーム公式戦開催試合[4]で、同時に現在に至るまでゼルビア主催以外で唯一の開催事例となっている。
ゼルビアのJリーグ参入前後
1977年に前身となる少年サッカーチームが作られた「FC町田」のトップ(第1種=社会人)チームとして1989年に設立された「FC町田トップ」は1997年に「FC町田ゼルビア」となり、徐々に強化されていた。2007年に関東サッカーリーグで優勝すると、チームは翌2008年からプロ契約選手を加えてJリーグ参入の意向を明確に示すようになった。
しかし、当時からゼルビアの主催試合を開催し、同時にJリーグ参入時には本拠地となる町田市陸上競技場は、収容人数や各種設備の面でJリーグの開催規準を全く満たしておらず[5]、大規模な改修・増築が必要だった。そこで町田市はゼルビアのJリーグ入りを支援するため、芝生席であったバックスタンドを鉄骨製の座席にし、ナイター照明設備を新設するなどの改築を検討した。2013年に予定されていた第68回国民体育大会のサッカー競技を当競技場で行う事になっていたため、それに向けての改修を前倒しで実施する事になった。
ゼルビアは2009年に日本フットボールリーグ(JFL)に昇格し、同年2月にはJリーグ準会員として承認されていたが、同年9月には当競技場の改修工事の遅れなど[6]を理由に翌年のJ2参入(昇格)を断念した。
これを受け、2010年には町田市によって照明設備設置やバックスタンドの全面改修・座席化[7]が進められた。JFL日程でもこの事情が考慮され、9月以降は当競技場を使用せず、ゼルビアのホームゲーム全4試合は東京都内の江戸川区陸上競技場(江戸川区)・西が丘サッカー場(北区)・多摩市立陸上競技場(多摩市)、及び神奈川県相模原市の相模原麻溝公園競技場で行われた。しかし、9月5日にJリーグからゼルビアに対し、更衣室等一部がJリーグの入会基準を満たしていないという予備調査結果の指摘が出された。これは2010年7月まで行われた設計がJリーグの2009年度規準に準拠したのに対し、Jリーグは2010年度規準として更衣室の設備面積等を明示しており、設計案ではこの新基準に対応できないという理由だった。この結果、ゼルビアは9月7日に2011年度のJ2昇格を事実上見送るという声明を発表した。一連の事態に対してはゼルビア代表の守谷代表が「心の整理がつかない、クラブとしても総括できていない」と述べる状況となった[8]。ゼルビアのJFL最終順位は2位となり、成績面での条件は満たしたが、このスタジアム要件の欠格が理由となってJ2参入は見送られた。
一方、市による当競技場への改修を批判した少年野球の指導者が「町田市をサッカー中心の街にしない」と訴えて[4]同年2月21日投票の町田市議選に立候補したが落選し[9]、同日に実施された市長選挙では現職の石阪丈一が再選され、市による当競技場の改修は継続された。
2011年も町田はJFLで上位に付け、Jリーグ参入の成否は当競技場の改修が大きなポイントとなった。9月、J2入会のための予備調査の結果、「同競技場改修のための代替開催地の確保」が求められ、改修工事の前倒しが行われることになった[10]。その後、メインスタンド改修期間中でも町田で開催できる可能性を模索するため、メインスタンドのトラック付近に仮設棟を設置し、そこにJリーグ基準を満たすベンチ・ロッカールームや放送・記者席を設置する計画があることが示され(2011年11月8日発売「週刊サッカーマガジン11月22日号」より)、同11月の審査でそれをJリーグが容認した[11]。この結果、JFLで3位に入ったゼルビアは12月12日のJリーグ臨時理事会で2012年のJ2参入(昇格)が認められた。
2012年のゼルビアのJリーグ ディビジョン2の主催試合は、仮設棟竣工の遅れのため第2節・3月11日にあるアビスパ福岡戦が駒沢オリンピック公園陸上競技場(世田谷区)に振り替えとなったものの、続く第4節・3月20日のロアッソ熊本戦から第42節(最終節)・11月11日の湘南ベルマーレ戦まで全20試合が当地で開催された。ゼルビアはこの湘南戦で0-3と敗れてシーズン最下位(22位)が確定し、2013年シーズンでのJFL降格が事実上決定した。一方、勝った湘南は2位に浮上し、Jリーグ ディヴィジョン1(J1)への昇格を決めた。全日程終了後、陸上トラックの張替えと、それに付随した仮設棟撤去作業を行った。
2013年はメインスタンドの工事が完成し、ほぼ当初の改修案に沿った形で試合開催が可能となった。ゼルビアは3月10日の第1節・福島ユナイテッドFC戦から11月10日の第32節・ツエーゲン金沢戦までのJFLホームゲーム16試合を当競技場で開催し[12]、最終順位は4位となったが、同年のJ2参入条件は最低でもJFL2位以上だったため、ゼルビアは1年でのJ2復帰を逃して2014年から新設されるJ3リーグに参加する事になった。一方、当競技場は予定通りに第68回国体(スポーツ祭東京2013)の会場となり、9月29日と9月30日に成年男子の試合が行われた。金沢戦終了後には町田市による芝生の改修工事が始められ、2014年2月まで会議室を除く当競技場の一般利用はできなくなった[13]。
具体的な改修計画
当初の発表計画
- 照明塔4基設置(2010年春季に完成)
- バックスタンドの座席設置(2011年度完成)
- トイレ増設
その後の修正
- 2009~2010年度 芝生席改修(常設スタンド設置)
- 2010年度 メインスタンド改修、2階バックスタンド設置
- 当初計画では鉄骨製スタンドを建てる予定となっていたが、工法などを再検討した結果、本格的なコンクリート打ちのスタンド(2階席を含め8000人収容)に変更した。なお照明塔は予定通り2010年春季に完成している。
- 先述・メインスタンドの改修に関する諸問題のため、バックスタンドの増築を含め改修は凍結されている。
- 2011~2012年度 メインスタンド増築と、それに付随する仮設棟の建設、陸上トラック張替え(J2リーグ全日程終了後)
主な使用例
- FC町田ゼルビアの試合(サッカー)
- 大学・高校等の各陸上競技
- 市民マラソン等の市主催関連催事等
アクセス
最寄り駅からのシャトルバスの有無により、公共交通機関での利便性が大きく左右される。
路線バス
- 0番のりば
- [鶴33] 野津田車庫 行、[鶴37]・[淵24] 淵野辺駅北口 行
- 上記の系統の場合、「野津田車庫」下車、徒歩10分。
- [鶴33] 野津田車庫 行、[鶴37]・[淵24] 淵野辺駅北口 行
- 5番のりば
- 町田バスセンター11番のりば
- [町26] 図師経由 野津田車庫 行
- 町田駅(小田急線町田駅北口・東口POPビル先)21番のりば
- [町55] 本町田経由 野津田車庫 行
どちらも野津田車庫下車、徒歩10分。 ※町39系統(市立室内プール経由)は他の系統より運行経路が長距離のため運賃が高額となる。また、上記の町26・町55以外にも野津田車庫行は存在するが、いずれも運行本数が少ない。
- JR横浜線淵野辺駅(北口)から
- [淵24] 登戸行、[鶴37] 鶴川駅行、[淵23] 野津田車庫行に乗車、「野津田車庫」下車、徒歩10分。
全て神奈川中央交通により運行。テンプレート:要出典範囲
なお、ゼルビアのホームゲーム開催時には、2012年のJ2リーグ戦[14]と2013年のJFL[15]、2014年のJ3リーグで鶴川駅と野津田公園を結ぶ直行バスが開設された。公園内ではスタジアムの近隣地(坂道の下)に設置された臨時バス停に停車した。同バスは町田ゼルビアのホームゲーム、大規模なイベントやスポーツの試合が開催される際に臨時運行される。
一方、この直行バス以外は「野津田車庫」か「五反田」バス停からの連絡となるが、階段を含む坂道の移動となり、高低差が比較的大きい。周辺には多摩丘陵に広がる里山の風景が色濃く残る。
自家用車の場合
ここでは、野津田公園駐車場の入口となる「野津田公園北」交差点までの経路とする。なお、FC町田ゼルビアのホームゲームは、駐車場台数等の問題から自家用車での来場は推薦されない。
- 渋谷・目黒・世田谷方面から
- 世田谷通り・芝溝街道(津久井道)を町田方面へ走行、鶴川駅から先は「金井入口」交差点を図師・淵野辺方面へ直進し、「大蔵」交差点を右折(Y字の分岐を右方向へ直進)し、すぐ先の「井の花」交差点を左折(Y字の分岐を左方向へ直進)、「小野路」交差点を直進すぐ。
- 新宿・甲州街道・調布方面から
- 鶴川街道を町田方面へ走行、「真光寺十字路」及び「井の花」交差点を右折し、「小野路」交差点を直進すぐ。
- 府中・永山方面から
- 鎌倉街道を町田方面へ走行、「乞田」交差点を左折し「多摩卸売市場前」交差点を直進、「小野路」交差点を右折すぐ。
- 駐車場(約100台収容)があり。
ギャラリー
- Machidashiriku2011 1.JPG
改修前のメインスタンド
- Machidashiriku2013-2.JPG
メインスタンド外観(改修後)
- Machidashiriku2011 3.JPG
メインスタンドからピッチを望む
- Machidashiriku2011 2.JPG
ゴール裏
脚注
- ↑ これは本拠地の札幌厚別公園競技場がスタンドの改修と積雪による休館期間中であったための処置だった(現在は厚別と札幌ドームの併用登録で本拠地となっている。前身母体東芝サッカー部はこの前年まで神奈川県川崎市が本拠地であった)。
- ↑ 1998年シーズンを最後に横浜マリノスと合併して横浜F・マリノスとなり、事実上消滅。
- ↑ 一連の経緯の詳細は、ゼルビアの守谷代表が2009年8月のインタビューの中で語っている。出典:東京フットボールマガジン、[1]
- ↑ 翌年の2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)に向け、フロンターレの本拠地である川崎市等々力陸上競技場が長期改修に入っていた為の処置だった。1262人の観衆の前で行われた試合は、川崎の今野章が同スタジアムでのJリーグ初得点ともなる先制ゴールを挙げたが、結果としてはアウェーの新潟が2-1で勝利した。記録:TBSスーパーサッカー試合速報[2]
- ↑ 上記の川崎-新潟戦は等々力改修に伴う特例措置だった。
- ↑ 他には、観客動員数の低迷も理由に挙げていた。最終順位も6位で、参入条件の4位以内は満たせなかった。
- ↑ 従来の芝生席スタンドではJリーグの公式戦はJリーグの開催基準を満たせない。
- ↑ 町田経済新聞、2010年09月07日付、「FC町田ゼルビア、「Jスタジアム2010年度基準」未達で昇格ならず、2014年1月7日閲覧。
- ↑ 「ザ・選挙」、2010年町田市議会議員選挙 結果。最下位得票者が当該人物。
- ↑ 朝日新聞2011年9月8日、「ゼルビア、昇格へ一歩前進か 具体的課題検討へ 東京」、アーカイブ化、2014年1月7日閲覧。
- ↑ 町田ゼルビア公式サイト、[3]、リンク切れ
- ↑ 11月24日・第34節(最終節)のSC相模原戦のみは調布市の味の素フィールド西競技場で開催。
- ↑ 町田市公式サイト「陸上競技場」内、「陸上競技場芝生フィールド改修工事のお知らせ」、2012年10月25日更新、2014年1月7日閲覧
- ↑ 町田ゼルビア公式サイト、2012年10月16日付、「【臨時競技場直行バス】(最終戦まで)運行延長について」、2014年1月7日閲覧
- ↑ 3・10ホームゲーム JFL第1節・福島ユナイテッドFC戦 チケット&アクセスのご案内
- ↑ タウンニュース2012年3月22日号、「性急な計画で駐車場0 「FC町田ゼルビア」を市全体で応援できる体制を望む」、2014年1月7日閲覧。