徳永悠平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:サッカー選手 徳永 悠平(とくなが ゆうへい、1983年9月25日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)またはディフェンダー(DF)(本職は右サイドバック(SB)[1][2][3])。家族は妻と3子。

来歴

高校・大学時代

国見高校DF(リベロ)にコンバートされ、攻守に活躍[4]。2年時にインターハイ国体全国高校サッカー選手権三冠達成に貢献し[5]、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成[5]。当時はチーム事情により、FWをこなしたこともあり得点も挙げている。

2002年早稲田大学に進学し、同大学の蹴球部に所属。当時の早稲田は成績低迷の最中にあり、徳永にとっては物足りない環境だったが[6][7]4年時には大榎克己監督の元、主将として同部を牽引[7][8]。関東大学リーグ2部での優勝を果たし[5]9年ぶりに1部に復帰させた。また、大学選抜として2005年のユニバーシアードに参戦し優勝[5]

2004年にはアテネオリンピックに臨むU-23日本代表に選出。しかしイタリア戦でデ・ロッシとの接触によって負傷退場し[1]不完全燃焼に終わった[9]。高校・大学時代を通じ常に各年代の日本代表に選出されており、U-22・U-23日本代表監督の山本昌邦からも絶大な信頼を寄せられ、トップクラスの出場時間を得ていた。在学中からA代表入りも期待されるほど大学サッカー界では突出した存在だった。

FC東京時代

2002年11月頃から大学に程近いFC東京の練習に参加し[10]、翌2003年[11][12]、2004年[13]にはJリーグの特別指定選手テンプレート:RefnestとしてFC東京でプレー。右SBのレギュラーで日本代表にも定着しつつあった加地亮からポジションを奪い[8]、レギュラーとして試合出場を続けた。2004年ナビスコカップ優勝にも予選リーグで貢献。

2005年にはスペインリーグバレンシアCFの練習に参加[14]。バレンシアを含め[15]多くのJリーグクラブによる激しい争奪となったが[8]2006年よりFC東京と正式にプロ契約し[5]入団。以後東京ではガーロ原博実城福浩と監督が替わる中でも不動のレギュラーとして出場を続けた。2007年12月に日本代表候補合宿初招集され、翌2008年4月の代表候補トレーニングキャンプにも招集されたが、正式発表される代表メンバーからは外れる事が続いた。

2008年3月にタレントの八田牧子と入籍。2009年1月に地元・長崎で挙式。同年12月22日に長男が誕生した[16]

2009年10月、これまで候補止まりであったA代表に初招集。2008年からの長友佑都加入に伴い、FC東京のその時点でのチーム状況や、対戦相手の選手の特長によって徳永・長友がSBの左右を入れ替えて起用されるなど左SBを務める機会も多かったことから[17]岡田武史日本代表監督からは「DFであればどこでもできて、フィジカルが強い」と評価され[18]、10月8日のアジアカップ予選香港戦に途中出場しA代表デビュー。得点をアシストし[19][20]、その後も主力の内田篤人を上回る運動量と守備力でアピールを続けたが[15]連携面で遅れを取り[21]ワールドカップ南アフリカ大会には予備登録メンバーとして選出されるに留まった。

2010年には羽生直剛からゲームキャプテンを引き継ぎ[注 1]、負傷離脱した米本拓司に代わり、主にボランチを務めた[2]

2011年はキャプテンを今野泰幸に託し、右SBに復帰テンプレート:Refnest。勝ち点を得るべく、得点できるSBを目標に掲げ[22]、自身初のリーグ戦複数得点を記録した。

2012年アルベルト・ザッケローニ日本代表監督より、SBとCBを高いレベルでこなす能力を見込まれ[3]日本代表に復帰。同年7月、ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表オーバーエイジ枠でテンプレート:Refnest選出された[23]。U-23日本代表では弱点となっていた[24]左SBで起用されると、劣勢の時間帯でも動じることの無いプレーで[25]守備陣を安定させ[26]チームの躍進に貢献した[27]

2013年7月、柴崎岳に代わって東アジアカップ2013の日本代表に追加招集された[28]韓国戦では粘り強い対応で尹一録らの突破を封じ[29]日本の同大会初優勝に貢献した。また同年は2009年[30]以来となるリーグ戦全試合フル出場を記録した[31]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2000||rowspan=2|国見高||5||rowspan=2|-||colspan="2"|-||colspan="2"|-||2||0||2||0 |- |2001||10||colspan="2"|-||colspan="2"|-||2||2||2||2 |- |2003||rowspan=11|FC東京||32||rowspan=7|J1||8||0||2||0||colspan="2"|-||10||0 |- |2004||35||6||0||4||0||colspan="2"|-||10||0 |- |2006||rowspan=4|25||32||1||5||0||2||0||39||1 |- |2007||33||0||7||0||3||0||43||0 |- |2008||30||1||8||0||4||0||42||1 |- |2009||34||0||10||0||0||0||44||0 |- |2010||rowspan=5|2||30||0||7||0||5||0||42||0 |- |2011||J2||37||3||colspan="2"|-||6||0||43||3 |- |2012||rowspan=3|J1||31||1||2||0||0||0||33||1 |- |2013||34||1||5||0||5||0||44||1 |- |2014|||||||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始238||4||50||0||19||0||307||4 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行37||3||colspan="2"|-||6||0||43||3 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行colspan="2"|-||colspan="2"|-||4||2||4||2 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終275||7||50||0||29||2||354||9 |} ※2003年、2004年は特別指定選手として出場。

その他の公式戦

テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |- |2012||FC東京||2||7||1 |- !通算!!colspan="2"|AFC |7||1 |}

タイトル

代表歴

出場大会など

テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

テンプレート:Col-2

テンプレート:Col-end

試合数

  • 国際Aマッチ 9試合 0得点 (2009年 - )

テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2009||5||0 |- |2010||2||0 |- |2012||0||0 |- |2013||2||0 |- !通算 |9||0 |}

出演

CM
映画

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:FC東京のメンバー

テンプレート:Navboxesテンプレート:Footybio-stub
  1. 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 ロンドン五輪 選手名鑑 徳永悠平 スポーツニッポン
  2. 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 東京徳永ボランチ先発濃厚「必死にやる」 日刊スポーツ (2010年3月3日)
  3. 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 FC東京 徳永“ポリバレント”CBで完封貢献 スポーツニッポン (2012年5月7日)
  4. 元の位置に戻る 長崎発 アテネへ 五輪へ挑む県勢 長崎新聞 (2004年7月23日)
  5. 以下の位置に戻る: 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 テンプレート:Wayback FC東京 (2005年12月7日)
  6. 元の位置に戻る テンプレート:Wayback 早稲田スポーツ (2006年3月15日)
  7. 以下の位置に戻る: 7.0 7.1 ア式蹴球部 大榎監督インタビュー wasedawillwin (2007年10月4日)
  8. 以下の位置に戻る: 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 テンプレート:Cite book
  9. 元の位置に戻る OA登録のF東京・徳永「あえて難しいところに挑みたかった」 ゲキサカ (2012年6月14日)
  10. 元の位置に戻る テンプレート:Wayback スポーツ報知 (2003年3月13日)
  11. 元の位置に戻る テンプレート:Wayback FC東京 (2003年3月19日)
  12. 元の位置に戻る テンプレート:Wayback FC東京 (2003年7月22日)
  13. 元の位置に戻る テンプレート:Wayback FC東京 (2004年3月24日)
  14. 元の位置に戻る バレンシアが徳永獲得か 早大のアテネ五輪代表DF 47NEWS (2005年9月15日)
  15. 以下の位置に戻る: 15.0 15.1 岡ちゃん秘蔵っ子を逆転!徳永が右サイド君臨 スポーツニッポン (2010年1月29日)
  16. 元の位置に戻る FC東京・徳永に長男が誕生 サンケイスポーツ (2009年12月22日閲覧)
  17. 元の位置に戻る 長友 安田とガチンコ勝負だ チームで初の右SB起用 東京中日スポーツ (2008年7月16日)
  18. 元の位置に戻る 【日本代表メンバー発表!】会見での岡田武史監督(日本代表)コメント J's GOAL (2009年10月1日)
  19. 元の位置に戻る 徳永が初出場で初アシスト/アジア杯予選 日刊スポーツ (2009年10月9日)
  20. 元の位置に戻る 徳永 絶妙アシストに岡田監督も合格点 スポーツニッポン (2009年10月9日)
  21. 元の位置に戻る 南アフリカへのサバイバル (9) DF徳永悠平 (FC東京) ゲキサカ (2010年2月8日)
  22. 元の位置に戻る テンプレート:Cite book
  23. 以下の位置に戻る: 23.0 23.1 ロンドンオリンピック2012日本代表メンバー 徳永悠平選手、権田修一選手選出のお知らせ FC東京 (2012年7月2日)
  24. 元の位置に戻る 関塚ジャパン 課題克服へ“ユーロ上演会”で脳内トレ スポーツニッポン (2012年7月10日)
  25. 元の位置に戻る テンプレート:Cite book
  26. 元の位置に戻る OA徳永が先制点演出の右足ミドル、関塚監督「安定感が増した」 ゲキサカ (2012年7月12日)
  27. 元の位置に戻る 吉田・徳永、若き侍が「守る」関塚J躍進の原動力 MSN産経ニュース (2012年8月2日)
  28. 元の位置に戻る EAFF東アジアカップ2013 決勝大会 SAMURAI BLUE(日本代表)選手入れ替えのお知らせ samuraiblue.jp (2013年7月19日)
  29. 元の位置に戻る チームメイトも絶賛した「徳永の安定感」、緊急投入で存在感 ゲキサカ (2013年7月29日)
  30. 元の位置に戻る 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2009年12月5日)
  31. 元の位置に戻る 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2013年12月7日)
  32. 元の位置に戻る 「徳永悠平選手J1リーグ戦200試合出場記念フォトフレーム」販売のお知らせ FC東京 (2012年11月10日)


引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません