胆振線

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|} 胆振線(いぶりせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線地方交通線)。北海道伊達市胆振支庁管内)の伊達紋別駅室蘭本線から分岐し、虻田郡倶知安町後志支庁管内)の倶知安駅函館本線に接続する。国鉄再建法の制定に伴い、第2次特定地方交通線に指定され、1986年に廃止された。

路線データ

  • 管轄:日本国有鉄道
  • 区間(営業キロ):
    • 伊達紋別 - 倶知安 83.0km
    • 京極 - 脇方 7.1km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:21(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式
    • 交換可能駅:5?(久保内、新大滝、御園、喜茂別、京極)?
  • 廃止時の簡易委託駅:久保内、蟠渓、北湯沢、優徳、御園、南京極、東京極、寒別

歴史

胆振線は、歴史的に軽便鉄道法によって建設された京極以北と、私鉄を買収した京極以南に分かれる。

倶知安 - 京極 - 脇方間は、改正鉄道敷設法制定以前に軽便鉄道法により計画された路線で、1919年から翌年にかけて京極軽便線(きょうごくけいべんせん。1922年、軽便鉄道法の廃止により京極線に改称)として全通した。

京極以南は、改正鉄道敷設法別表第131号に規定する予定線「膽(胆)振國京極ヨリ喜茂別、壯瞥ヲ經テ紋鼈至ル鐵道」に沿い、京極線の延長の形で胆振鉄道(いぶりてつどう)が建設し、1928年に喜茂別(初代)まで開業した。

1940年には、胆振縦貫鉄道(いぶりじゅうかんてつどう)によって伊達紋別 - 徳瞬瞥(とくしゅんべつ=後の新大滝)間が開業、翌年には胆振鉄道を合併、そして西喜茂別(後の喜茂別(2代))まで延伸され、伊達紋別 - 京極間が全通した。

1944年には、胆振縦貫鉄道が戦時買収され、京極線と合わせて胆振線となっている。

枝線となった京極 - 脇方間については、鉱山の閉山により輸送量が減少し、赤字83線の取組みの中で1970年に廃止された。残った伊達紋別 - 倶知安間についても、1980年に国鉄再建法が成立すると、有珠山噴火による運休のあった昭和52年度を含む54年度までの3カ年の輸送密度をもとに、第2次特定地方交通線に指定され、1986年に廃止された。

改正鉄道敷設法には、京極から留寿都を経て壮瞥に至る鉄道(別表第132号)も規定されていたが、こちらは全くの未着手に終わった。この区間には、 国鉄バス伊達線)が京極駅 - 豊浦駅間に運行されていたが、1996年3月に廃止となった。

倶知安 - 脇方間(京極線)

脇方の倶知安鉱山は大正5年に三井鉱山の所有となり、さらに大正7年4月に三井が出資する室蘭の北海道製鐵(旧・輪西製鐵所、現・新日鐵住金室蘭製鐵所)へ譲渡、同年11月1日に開山した。当時推定鉱量1000万tと言われた同鉱山への国家的な期待は大きく、当線が建設される主要動機となった[1]

  • 1919年(大正8年)11月15日 倶知安 - 京極間 (13.4km) を京極軽便線として新規開業。六郷駅・寒別駅・京極駅を新設。
  • 1920年(大正9年)7月15日 京極 - 脇方間 (7.1km) を日本製鋼所が敷設し、全線を鉄道院に寄付して開業[2]。脇方駅を新設。
  • 1922年(大正11年)9月2日 京極線と改称。

京極 - 喜茂別間(胆振鉄道)

  • 1928年(昭和3年)10月21日 胆振鉄道が京極 - 喜茂別間 (11.0km) を開業。留産駅・喜茂別駅(初代)・川上温泉停留場を新設。
  • 1931年(昭和6年)6月25日 東倶知安停留場を新設。

伊達紋別 - 西喜茂別間(胆振縦貫鉄道)

  • 1940年(昭和15年)12月15日 胆振縦貫鉄道が伊達紋別 - 徳瞬瞥間 (35.0km) を開業。壮瞥駅・久保内駅・蟠渓駅・優徳駅・徳舜瞥駅・上長流停留場・優園停留場を新設。
  • 1941年(昭和16年)
    • 9月27日 胆振縦貫鉄道が胆振鉄道を合併。東倶知安駅を東京極駅に改称。
    • 10月12日 徳瞬瞥 - 西喜茂別間 (24.2km) を延伸し、全線開業。西喜茂別 - 喜茂別間 (0.6km) の旅客営業を廃止。御園駅・北鈴川駅・西喜茂別駅・尾路遠停留場を新設。喜茂別を一般駅から貨物駅に変更。
  • 1943年(昭和18年)12月頃から、昭和新山の火山活動により壮瞥村(当時)の地盤が隆起を始め、上長流 - 壮瞥間でたびたび線路が崩壊。保線と新線建設が火山活動の終了まで繰り返される。

胆振縦貫鉄道買収後

  • 1944年(昭和19年)7月1日 胆振縦貫鉄道の伊達紋別 - 京極間、西喜茂別 - 喜茂別間を買収・国有化し、これに京極線を編入して胆振線(伊達紋別 - 倶知安間・京極 - 脇方間)とする[3]。西喜茂別 - 喜茂別間を廃止し、喜茂別駅(旧西喜茂別駅)構内に併合。優園駅を北湯沢駅に、川上温泉駅を南京極駅に、西喜茂別駅を喜茂別駅(2代)に改称。東京極駅を廃止。尾路遠を駅から仮乗降場に改める。
  • 1952年(昭和27年)11月15日 徳舜瞥駅を新大滝駅に改称。
  • 1959年(昭和34年)10月1日 上長流を上長和に改称。
  • 1960年(昭和35年)10月1日 北岡駅・参郷駅を新設。
  • 1962年(昭和37年)12月17日 東京極駅を新設。
  • 1970年(昭和45年)11月1日 京極 - 脇方間 (7.1km) 廃線。脇方駅を廃止。
  • 1977年(昭和52年)
    • 8月7日 有珠山の噴火により伊達紋別 - 新大滝間の運転見合わせ。
    • 8月15日 久保内 - 新大滝間の運転が再開。
    • 9月4日 地元住民の乗車に限った列車を伊達紋別 - 久保内間を1日2往復運転開始。
    • 9月30日 完全復旧。
  • 1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認。
  • 1985年(昭和60年)? 尾路遠仮乗降場を廃止。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 全線廃止 (-83.0km)[4]道南バスにバス転換。

運行形態

全線通しの列車のほか、「伊達紋別 - 新大滝」や「御園 - 倶知安」・「喜茂別 - 倶知安」という区間列車があった。新大滝 - 御園間は胆振支庁 - 後志支庁の境になり、人口も特に稀薄なため、この区間で運行便数が少なくなっていた。

急行「いぶり」

胆振線には、札幌発着で循環運転を行う準急急行「いぶり」が運行されていた(千歳線 - 室蘭本線 - 胆振線 - 函館本線経由、キハ22形気動車を使用)。

  • 1962年10月 臨時の準急列車として内回り便(札幌→倶知安→伊達紋別→札幌の方向)のみが設定される(単行で、土曜・日曜日のみの運行)。
  • 1963年10月 内回り便が定期化される。外回り便(札幌→伊達紋別→倶知安→札幌の方向)の運転を開始。
  • 1965年10月 「ちとせ」「えりも」に加え、札幌 - 伊達紋別で準急「とうや」(札幌 - 洞爺)との連結を開始。札幌 - 苫小牧は4階建て、苫小牧 - 東室蘭は3階建て、東室蘭 - 伊達紋別は2階建てとなる。
  • 1966年3月 急行に格上げ。
  • 1967年10月 倶知安 - 札幌にて連結する相手が「ニセコ」から「らいでん」に変更されるが、運転区間はそれまで通り。
  • 1972年3月 「とうや」が「ちとせ」に改称されるが、運転区間はそれまで通り。
  • 1980年10月 廃止。

廃止時の停車駅は以下の通りであった。

札幌 - 千歳 - 苫小牧 - 白老 - 登別 - 東室蘭 - 本輪西 - 伊達紋別 - 壮瞥 - 久保内 - 蟠渓 - 北湯沢 - 新大滝 - 御園 - 喜茂別 - 京極 - 倶知安 - 小沢 - 余市 - 小樽 - 札幌

駅一覧及び接続路線

接続路線の事業者名・駅の所在地は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
伊達紋別駅 - 0.0 日本国有鉄道:室蘭本線 伊達市
上長和駅 5.1 5.1  
壮瞥駅 5.2 10.3   有珠郡壮瞥町
久保内駅 6.8 17.1  
蟠渓駅 6.0 23.1  
北湯沢駅 4.4 27.5   有珠郡大滝村
(現:伊達市大滝区)
優徳駅 2.8 30.3  
新大滝駅 4.7 35.0  
御園駅 13.4 48.4   虻田郡喜茂別町
北鈴川駅 5.1 53.5  
喜茂別駅 5.7 59.2  
留産駅 3.7 62.9  
南京極駅 2.1 65.0   虻田郡京極町
東京極駅 3.4 68.4  
京極駅 1.2 69.6 日本国有鉄道:胆振線(脇方方面)
北岡駅 3.0 72.6  
寒別駅 2.3 74.9   虻田郡倶知安町
参郷駅 3.5 78.4  
六郷駅 2.0 80.4  
倶知安駅 2.6 83.0 日本国有鉄道:函館本線

支線

駅名 営業キロ 接続路線 所在地
京極駅 0.0 日本国有鉄道:胆振線(伊達紋別・倶知安方面) 虻田郡京極町
脇方駅 7.1  

代替バス

道南バスが鉄道代替路線を運行している。

  • 伊達駅前(伊達紋別駅) - 倶知安駅前を通しで運行する便が1日3往復のほか、伊達 - 大滝、倶知安 - 喜茂別・御園などの区間便が存在する(2007年10月1日改正時点)。
  • 伊達駅前 - 倶知安駅前の通し系統は国道276号経由で運行されるため、御園駅付近には乗り入れない。

脚注

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参考文献

  • 「注解 鉄道六法」平成20年版 国土交通省鉄道局監修 第一法規出版 2008年10月発行
    • 旧法 鉄道敷設法
  • 「旅」1999年11月号 特集:鉄道新時代 21世紀への序曲(JTB1999-11 No.874)
    • 別冊付録:改正「鉄道敷設法」別表を読む 三宅俊彦
  • 道南バス PDF版時刻表

外部リンク

テンプレート:特定地方交通線
  1. 日鉄鉱業40年史 昭和54年11月発行 P17。
  2. 北海道鉄道百年史 上巻 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年3月発行 P479。同年より日本製鋼所は北海道製鐵を吸収合併して製鉄部門としていた。
  3. 「運輸通信省告示第308号」『官報』1944年6月27日(国立国会図書館デジタル化資料)
  4. “31日廃止の富内、胆振線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1986年10月31日)
  5. 上りの「ニセコ」は目名(1965年10月からは上目名1984年4月に駅廃止))まで運行されていた。また「ニセコ」は、上目名・目名・蘭越 - 倶知安および岩内線内は普通列車(「らいでん」も同様)となっていた。