昭和新山

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昭和新山(しょうわしんざん)は、北海道有珠郡壮瞥町にある火山支笏洞爺国立公園内にあり[1]有珠山とともに「日本の地質百選」に選定され[2]、周辺地域が洞爺湖有珠山ジオパークとして「日本ジオパーク」・「世界ジオパーク」に認定されている。国の「特別天然記念物[3]

地質

有珠山側火山であり、デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されている。標高398mで、温度低下や浸食などによって少しずつ縮んでいる[4]

かつて有珠山のにあった平地に火山が形成された。山肌が赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったからである。そして、川に運ばれ平地の地下に埋まるなどしていた石が、溶岩によって持ち上げられたために、昭和新山の中腹に、河原にあるような丸い石が場違いに転がっているのも見ることができる。

生い立ち

噴火活動前

かつてはこの地域は「東九万坪」という広大な畑作地帯で、壮瞥川の川沿いにはフカバという集落があった。この集落名は、かつての孵化場があったことによる。

辺りはのどかな田園地帯であったが、山の隆起とともに集落は消滅した。その痕跡は崩壊した国鉄胆振線の橋脚跡などに残っている[5]

昭和新山誕生までの噴火活動

  • 1943年昭和18年)
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月4日、フカバ集落の湧水の温度が上昇し、20℃だったものが43℃に達する。
    • 1月5日洞爺湖に巨大な渦巻きが発生。同日、レールの隆起により胆振線が不通となる。
    • 2月~5月、フカバ集落・柳原集落・東九万坪・西九万坪一帯で隆起活動が続く。中でも柳原集落は前年比で31mも隆起した。
    • 6月21日、壮瞥川が川底の隆起によって氾濫。
    • 6月23日、午前8時15分、東九万坪台地より第1次大噴火。第1火口形成。
    • 6月27日、午前6時、第2次大噴火。第2火口形成。   
    • 7月2日、午前0時頃に第3次大噴火。第3火口形成。苫小牧千歳方面に降灰。
    • 7月3日、午前8時30分に第4次大噴火。室蘭登別方面に降灰。
    • 7月11日、午前10時40分に第5次大噴火。噴煙が強風に倒され、洞爺湖畔を襲う。
    • 7月13日、午後6時10分に第6次大噴火。第4火口形成。
    • 7月15日、午後9時に第7次大噴火。
    • 7月24日、午前5時に第8次大噴火。
    • 7月25日、午前5時10分に第9次大噴火。
    • 7月29日、午後2時20分に第10次大噴火。登別、白老方面に降灰。亜硫酸ガス噴出で山林が荒廃。
    • 8月1日、午後11時55分に第11次大噴火。室蘭方面に降灰。
    • 8月4日、午後10時に第12次大噴火。    
    • 8月20日、午前6時に中噴火。第5火口形成。
    • 8月26日、午後2時20分に第13次大噴火。壮瞥町滝之上地区で、睡眠中の幼児1名が火山灰により窒息死。
    • 9月8日、午後4時15分に第14次大噴火。フカバ集落で火山弾による火災。5戸が全半焼。
    • 9月16日、中爆発。第6火口形成。
    • 10月1日、午前0時30分に第15次大噴火。第7火口形成。
    • 10月16日、午後7時50分に第16次大噴火。
    • 10月30日、午後9時30分に第17次大噴火。これを最後に降灰を伴う噴火は収束。
    • 12月、溶岩ドームの推上が始まる。
  • 1945年(昭和20年)
    • 1月10日、溶岩ドームの高さ、地表より10~20m。
    • 2月11日、溶岩ドームは高さ40~50mに成長。
    • 2月26日、溶岩ドーム主塔の脇に副塔が確認される。
    • 5月、主塔の高さ85mに達する。
    • 9月20日、全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m。

噴火観測と保護

昭和新山は、1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームである。当時は第二次世界大戦の最中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった[6]。そのような状況下で、地元の郵便局長であった三松正夫は、新山が成長していく詳細な観察記録を作製していた[6]。これは後年、「ミマツダイヤグラム」と名づけられて貴重な資料となり評価された[7]。また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地を買い取った[6]。そのため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地にある火山となっている。1951年(昭和26年)、国の「天然記念物」に指定、1957年(昭和32年)には「特別天然記念物」に指定された[3]

山麓には1988年(昭和63年)4月に三松正夫記念館が開館しており、三松による観測記録の資料が展示されている[8]

観光地として

麓には観光施設が集積しており、有珠山へのロープウェイも運行している。

1989年平成元年)より麓で開催されている雪合戦昭和新山国際雪合戦』は、「北海道遺産」に選定されている[9]

昭和新山は立ち入りが禁止されており、特別な許可がなければ入山することができない[10]

周辺施設・観光地

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参考画像

アクセス

脚注・出典

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 テンプレート:文化遺産オンライン
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite web
  6. 6.0 6.1 6.2 テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web三松正夫は1949年(昭和24年)「第1回 北海道文化賞」受賞者の1人。
  8. テンプレート:Cite news
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite web

参考文献

著者は三松正夫の後継者で「三松正夫記念館」館長。
三松正夫をモデルに執筆。『文藝春秋』1969年11月号に掲載。『新田次郎全集 第11巻 ある町の高い煙突・笛師』(新潮社、1975年) に収録。雑誌掲載・単行本の出版年は、この資料の記載による。

関連項目

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外部リンク