武幸四郎

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テンプレート:騎手 武 幸四郎(たけ こうしろう、1978年11月3日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の騎手。実兄は武豊。実父は武邦彦(かつての師匠でもあった)。

来歴

初騎乗は1997年3月1日阪神競馬第1競走でメイショウユリヒメに騎乗し、13頭立ての6着に終わる。3月2日マイラーズカップオースミタイクーンに騎乗し、11番人気で快勝。初勝利が重賞、さらにはJRA史上最短記録となるデビュー2日目での重賞勝利という快挙を成し遂げた。同年のJRA賞で最多勝利新人騎手を受賞した。兄・豊も最多勝利新人騎手を受賞しており、JRA史上初の兄弟受賞であった。

3年目の1999年に自己最多の62勝を挙げ、関西リーディング6位につける。その後長い間関西リーディングでは上位につけていた。

2000年には秋華賞を10番人気のティコティコタックで勝ち、GⅠ初勝利を挙げる。

2007年ごろを境目に騎乗機会、勝利数ともに下降し始め、2009年には1999年から連続していた連続年重賞勝利もストップ。2011年にはデビュー以来自己最低の年間7勝に終わる。

2013年メイショウマンボ優駿牝馬を制し、7年ぶりのGⅠ勝利、5年ぶりの重賞勝利を挙げる。この年には同馬で秋華賞とエリザベス女王杯にも勝利した。

騎乗成績

年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1997年 37 39 36 492 .075 .154 .228
1998年 31 32 48 526 .059 .120 .211
1999年 62 65 66 648 .096 .196 .298
2000年 59 55 50 630 .094 .181 .260
2001年 47 67 52 594 .079 .192 .279
2002年 49 47 35 534 .092 .180 .245
2003年 49 43 44 587 .083 .157 .232
2004年 61 63 63 680 .090 .182 .275
2005年 28 40 37 456 .061 .149 .230
2006年 59 49 42 567 .104 .190 .265
2007年 32 40 34 456 .070 .158 .232
2008年 34 31 36 484 .070 .134 .209
2009年 18 21 17 379 .047 .103 .148
2010年 21 28 23 294 .057 .134 .197
2011年 7 9 8 161 .043 .099 .149
2012年 19 17 10 240 .079 .150 .192
2013年 23 17 17 350 .057 .098 .140
中央 636 663 618 8207 .077 .158 .234
地方 19 25 17 162 .117 .272 .377
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1997年3月1日 1回阪神3日1R 4歳未勝利 メイショウユリヒメ 13頭 3 6着
初勝利
重賞初騎乗
重賞初勝利
1997年3月2日 1回阪神4日11R マイラーズカップ オースミタイクーン 14頭 11 1着
GI初騎乗 1997年11月16日 5回京都6日11R マイルチャンピオンシップ オースミタイクーン 18頭 8 10着
GI初勝利 2000年10月15日 4回京都4日11R 秋華賞 ティコティコタック 18頭 10 1着

記録

  • JRA史上最年少重賞勝利(1997年マイラーズカップ オースミタイクーン) - 18歳3か月27日
  • JRA初勝利が初重賞勝利(同上) - 1997年3月2日
  • JRA賞最多勝利新人騎手 - 兄弟受賞はJRA史上初
  • 親子2代菊花賞制覇
  • 兄弟菊花賞・優駿牝馬制覇 JRA史上初

GI競走勝利一覧

エピソード

  • 誕生してから9日後 (1978年11月12日) に父・邦彦はインターグシケンで菊花賞3勝目を挙げた。このことから邦彦は「幸四郎じゃなくて『菊三 (きくぞう) 』と命名しようか」と考えたが[1]、夫人から「落語家みたいな名前」と却下されてしまったため、現在の名前に落ち着いたという[2]
  • 小さいころから兄・豊に憧れ、小学生ぐらいから兄の応援に競馬場に駆けつけていた。また、部屋には兄が騎乗している競馬ポスターを貼りまくっていて、兄・豊は「気持ち悪かった」と語っている。
  • 初勝利が重賞マイラーズカップであったが、同じ日の中山競馬場で兄である武豊がランニングゲイル弥生賞を勝ち、同日兄弟重賞制覇という形で華を添えた。
  • GⅠを人気薄の馬で勝利することが多く[3]、これまで1番人気の馬でGⅠを勝利したことはない。
  • 騎手としては長身の177.0センチメートル (公式) で、その長身を活かした美しいフォームが特徴。長身の割には体重が52キログラム。
  • 過酷な減量と体型のせいで「骨年齢が70代近い」と診断されたことがある。本人は「体型を維持しないといけないから仕方がないこと」と納得している。
  • 競馬マスコミ以外でも出演機会が多いため、芸能プロダクション・シンクバンクに所属している (田中勝春も同事務所に所属している) 。なお芸能プロダクションに所属している騎手は他にも後藤浩輝 (オスカープロモーション所属) などがいる。
  • ジャンクSPORTSでは合コン好きが定着し準レギュラー化している。また飄々としたキャラクターであり、司会の浜田雅功の突っ込みが多い。
  • 競馬学校の1期先輩である福永祐一と仲が良い。
  • 竹之下智昭騎手と行動を共にする機会が多く、プライベートでも一緒に過ごす時間が非常に長い。本人曰く「嫁ですから」とのこと。
  • 安藤勝己とは飲みに行く機会が多く、兄・豊からは「安藤さんと幸四郎は大の仲良し」と言われている。本人曰く「 (安藤の) マネージャーですから」とのこと。
  • サバアレルギーを持っており『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」でサバ寿司を食べた際に悶絶したことがある。
  • ジャンクSPORTSにて「それまで平凡だった馬をシンガリ一気の乗り方で勝利したが、調教師に『もっと安全な勝ち方あるやろ!』と怒られた」というエピソードを語っていた。その後兄の豊も同馬に騎乗し、同様のレース展開で勝利している。なおこの馬はブロードアピールのこと。
  • ソングオブウインドで菊花賞を制した直後の2006年10月26日に笑っていいとも!に出演。金子昇の友達として紹介された。
  • 2011年8月19日早朝、友人数人と京都府東山区内の飲食店で食事をとっていたところ、居合わせた別の客の男とトラブルとなり、顔などを殴られるなどの暴行を受け、左顎を骨折する重傷を負った。京都府警察東山警察署傷害事件として捜査して犯人を逮捕。この影響で、騎乗予定だった小倉競馬を辞退し、12月10日に復帰するまで長期の休養に入った[4]
  • 武豊TVIIの準レギュラーをつとめており、恒例のジョッキー新年会には毎年参加している。ただし、傷害事件に巻き込まれた直後の2012年の新年会は自粛した。2013年の新年会では、福永祐一の恋愛話の際に、 「お台場に行き損ねた」 と自身の破局をネタに笑いを取った。
  • 兄の豊の一期先輩である横山典弘にはデビュー当時からよく面倒を見てもらっていた。久々のGI勝利となった2013年の優駿牝馬では、幸四郎が騎乗したメイショウマンボが先頭に立つと、入れ替わるように後方馬群へ飲まれていく横山は、馬を追いながら「幸四郎!幸四郎!」と叫びはじめ、ゴールの瞬間には「やったー!!」と歓喜の声を上げた。横山本人の騎乗馬サクラプレジールは14着。
  • 「メイショウ」の冠号で知られる馬主の松本好雄とは幸四郎が子供の頃から関係がある。松本は幸四郎の騎乗成績が低迷した時期にも所有馬の騎乗を任せていた。2013年に松本の所有馬であるメイショウマンボ優駿牝馬を制した際、幸四郎は口取り写真の撮影に向かう途中で涙を見せている。

TV出演

バラエティ

CM

脚注

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関連項目

テンプレート:JRA賞最多勝利新人騎手
  1. 弟・幸四郎は「菊三」になるとこだった!? - ウマニティ・2009年4月10日
  2. 東京スポーツ・2010年2月24日付 連載「魔法のムチ 武邦彦の真実」
  3. 2000年秋華賞を10番人気のティコティコタックで、2003年NHKマイルカップを9番人気のウインクリューガーで、2006年菊花賞を8番人気のソングオブウインドで、2013年優駿牝馬を9番人気のメイショウマンボで勝利している。
  4. JRAの武幸四郎騎手、飲食店で殴られ左頬骨折 傷害容疑で捜査 京都府警 産経新聞 2011年8月19日