森内俊之

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森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士十八世名人資格保持者。

棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市出身。

日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)。

棋歴

プロ入りまで

小学生時代から、すでに羽生善治とライバル関係にあった。最初の対戦はある将棋大会の予選で森内が勝ち、次の対戦は同大会の決勝トーナメントで羽生が勝った。 ある将棋大会で森内少年の初手▲5八飛に対し、羽生少年の△5二飛という出だしの将棋があった[1]

1982年、第7回小学生将棋名人戦で3位。このときの優勝者は羽生善治。同年12月から奨励会で指し始めるが、これも羽生と同期である。

奨励会三段前後の頃、島朗主宰の研究会(いわゆる「島研」)に、羽生や佐藤康光とともに参加し、腕を磨く。

1987年5月13日にプロ入り(四段)。三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。また、第22期新人王戦(1987年度)で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した(同棋戦ではこれを含め、通算3回優勝している)。

また、第10回「若駒戦」(奨励会有段者による非公式棋戦)でも同様に、途中で四段になって優勝している。

タイトル獲得

プロ入り早々頭角を現し、1988 - 1989年度、早指し新鋭戦で2連覇。さらには、全棋士参加の大型棋戦である全日本プロトーナメント(第7回、1988年度)において、谷川浩司との決勝三番勝負(1989年)を2勝1敗で制して優勝。なお、1988年度の将棋大賞で新人賞を受賞している。これだけの活躍をしながら、当時の段位は、まだ四段であった。

順位戦での勝率も高く、C級2組を3期、C級1組を1期、B級2組を2期、B級1組を1期で抜け、合計わずか7期で最高クラスのA級までのぼりつめた。そして初参加の1995年度A級順位戦で1位の成績をおさめ、1996年第54期名人戦の挑戦者となった。森内にとって初のタイトル挑戦である。相手は当時七冠王の羽生であった。タイトル戦初対局となった第1局は、二つの意味で話題となった。一つは、相矢倉の将棋で、「壁銀」になるのをいとわず、3三にあった銀を△2二銀(40手目)と引く作戦に出たこと。もう一つは、1日目夕方の封じ手の定刻の間際、立会人の五十嵐豊一九段が「時間になりましたので」と言いかけたところで「指すつもりなんですけど」と言って△9四歩(44手目)を指し、羽生を封じ手の手番にさせたことである[2]。森内はこの対局に敗れ、そこから3連敗。第4局でタイトル戦初勝利をあげたものの第5局で敗れ、1勝4敗で敗退となった。

1996年度、NHK杯戦において、決勝で屋敷伸之を破って初優勝。同棋戦では、5年後の2001年度にも優勝した。

全日本プロトーナメント(第19回、2000年度)において、谷川浩司との決勝五番勝負(2001年)を3勝2敗で制して2度目の優勝。同棋戦の最後の優勝者となる[3]

2002年5月17日 、第60期名人戦で丸山忠久を4連勝のストレートで破り、初タイトルとなる名人位を獲得。同時に九段となる。しかし、明くる2003年の第61期名人戦では、今度は4連敗のストレートで、羽生に名人位を奪われてしまう。

永世名人へ

テンプレート:Shogi diagram 2003年度は、名人を失冠後、竜王王将をいずれも羽生から奪取。特に竜王戦での4勝0敗は、羽生にとって初めてのタイトル戦ストレート負けを食らわせたものであった。さらにA級順位戦史上初の9戦全勝[4]で名人へのリターンマッチの権利を獲得。2003年度将棋大賞最優秀棋士賞を初受賞。

そして、2004年6月11日、羽生から名人位を奪還し、羽生を一冠(王座)のみに追い込む。この時点で史上7人目[5]三冠王(竜王・名人・王将)となり、羽生に代わって最多冠となった[6]。また、2004年(1月-12月)の獲得賞金・対局料は1億円を突破した。

しかし、同年度、三冠のうち竜王を渡辺明に、王将を羽生にそれぞれ奪われ、名人の一冠のみとなる。

第63期名人戦(2005年)では第1局で逆転負けし、対羽生戦8連敗を喫する。しかし、第2局では終盤で羽生が残り16分のうち12分を費やして打った△4五歩(右図参照)をとがめる絶妙の一手▲4八金[7]で逆転勝ちを収める。結果、この七番勝負では4勝3敗で名人位を防衛した。これで羽生の永世名人資格獲得(通算5期)を2年連続で阻止したことになる(2年後、羽生より一歩先に永世名人の資格を獲得)。

2006年(2005年度)、羽生から棋王を奪取して二冠(名人・棋王)となる(棋王は翌年佐藤康光に奪われる)。

2006年の名人戦(第64期)では、十七世名人の資格を持つ谷川浩司の挑戦を4勝2敗で退ける。この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという[8]

2007年6月29日、第65期名人戦で郷田真隆の挑戦を受け、4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり永世名人十八世名人)の資格[9]を得た。なお、就位式のスピーチ[10]では、第6局の最終盤(郷田が124手目を指した局面)で指し手を間違って大逆転負けを喫し、フルセットの勝負に持ち込まれたことに触れ、「アマチュアの初段でもわかるところ」とおどけて見せた。

永世名人獲得後

2008年3月25日、第21期竜王戦5位決定戦1回戦で中原誠十六世名人に敗れ、2組へ降級。タイトルホルダーの2組降級は、1991年9月20日の羽生棋王(当時)以来、2人目。

2008年6月17日山形県天童市の「天童ホテル」で行われた名人戦第6局で羽生に敗れ、無冠の九段に後退[11]。一方の羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。

以降、名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていたが、第22期(2009年度)竜王戦で深浦康市との挑戦者決定三番勝負を2勝1敗で制し、渡辺竜王へ挑戦。5年前とは立場を換えての対決となったが、0勝4敗のストレート負けとなった。

第69期(2010年度)A級順位戦で優勝し、羽生名人への挑戦権を獲得。同時に、順位戦デビューの第47期から続く順位戦勝ち越し連続記録(名人在位を含む)を23期に伸ばした。永世名人同士の対決となった第69期名人戦七番勝負第2局(2011年4月20日 - 21日)で挙げた勝利は、史上15人目の通算800勝(433敗)となった(将棋栄誉敢闘賞)。その後名人戦は3連勝後に3連敗を喫して、最終戦までもつれ込んだが、2011年6月22日山梨県甲府市・「常磐ホテル」にて行われた最終第7局を123手で制し、遂に名人位を奪取。永世名人同士の七番勝負は過去にもあるが、自身より後の永世名人から名人位を奪取したのは森内が初。2011年度は、名人位を奪取したものの他棋戦の成績が振るわず、年度勝率は3割台に落ち込んだ。

2012年度の第70期名人戦七番勝負では、A級順位戦を全勝した羽生二冠の挑戦を受けた。シリーズ前に森内の苦戦を予想する声があったが[12]、4勝2敗で名人位を防衛。

2013年度の第71期名人戦七番勝負では、前年に引き続き羽生三冠の挑戦を受けた。羽生との名人戦は3年連続で8度目となった。4勝1敗で名人位を防衛し、自身2度目の名人戦3連覇を達成した。また、第26期竜王戦で渡辺明竜王から4勝1敗で竜王位を奪取。渡辺竜王の10連覇を阻止した。これらの活躍により、2013年度将棋大賞で2度目の最優秀棋士賞を受賞した。

2014年度の第72期名人戦七番勝負では、前年に引き続き羽生三冠の挑戦を受けたが、4戦全敗で名人位から陥落してしまった。

棋風

  • 強靭な受けに絶対の自信を持っており、ときに相手の攻めをわざと呼び込んでいるのではないかと思わせることさえある。通称「鋼鉄の受け」、「鋼鉄流」、「鉄板流[13]
  • 後手番矢倉では『森内流』と呼ばれる駒組みがあり、現代矢倉の主要変化の1つである。
  • 好きな駒は飛車。攻めのみならず、守りでの使い方にも特徴がある。勝又清和によれば、「自陣飛車の似合う棋士は?」という質問を棋士にしたところ、丸山とともに多くから名前が挙がったと言う[14]
  • 受け主体の棋風のわりに、他の棋士よりも居玉を好んで指す傾向にある。

人物・エピソード

基本データ

合理主義者

  • 名人戦、王将戦など、1局2日制の対局であっても、定跡や研究手順であれば時間を使わず、1日目から手をどんどん進めることが多い。かつては、1日目に駒がぶつからないことが普通であったが、森内がタイトル戦で活躍し始めた頃から、(森内が登場しないタイトル戦でも)2日制の1日目に本格的な戦い、時には終盤の入り口まで進行することが多くなっている。
  • かつては、番勝負の第1局に千日手指し直しが1回あると、第1局の先手と第2局の先手が同じ棋士になるという不合理があった。森内の提案をきっかけに、第1局の振り駒によって最終局の1局前までの先後が決定される一局完結方式に変更された(振り駒 を参照)。

公式対局に関するエピソード

  • 事前に対局相手と先後が決まっている順位戦では無類の強さを誇っており、第68期(2009年度)終了現在名人在位を除く全ての年度で勝ち越している。1990年度(当時C級2組)の途中から1992年度(当時B級2組)にかけては順位戦26連勝を記録した。順位戦通算勝率は2007年度までの時点では8割を超えていた(114勝28敗、0.803)。
    • 順位戦と同様の制度(事前に対局相手と先後が決まっている)である王位戦王将戦の挑戦者決定リーグでは負け越し経験が数度ずつあり、第60期王将リーグ(2010年度)では1勝5敗、第61期王将リーグ(2011年度)では0勝6敗と苦戦している。
  • 二日制のタイトル戦で力を発揮する傾向があり、タイトル12期(詳細は後述)のうち11期が二日制の番勝負を制したものである。
    • 同じ二日制の棋戦である王位戦では、挑戦者決定戦に1回進出しただけ(第42期・2001年、屋敷伸之に負け)で、一度もタイトル登場に至っておらず、将棋界の七不思議の一つとされている。
  • 体力に自信が無く、千日手の後の体力勝負は苦手とのことである[15]
  • 郷田真隆と戦った第65期名人戦の第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内の手番(24手目)のときに郷田が扇子を開け閉じして音を鳴らしたため森内が苦情を訴えた。立会人の中村修らが対応に追われ約30分間対局が中断するという珍事となった。この一局は郷田の逆転勝利となっている。

弟子

趣味等

  • 趣味はクイズチェス麻雀マジックスポーツ観戦健康法散歩。ストレス解消法はジョギング[16]。20代の頃はフルマラソンを走ることもあった[17]
  • 特にクイズはかなりの実力で、パネルクイズ アタック251995年4月23日(第1011回)放送では予選会を勝ち抜いた一般出場者として出演し、パネル一枚の差で優勝を逃す。A級に昇級した初年度でのことでもあり、司会者の児玉清は番組冒頭で「今週は見たことのある方が出場されています」と紹介した。後、同番組の1500回記念大会(「知性派タレントクイズ頂上決戦」、2005年3月20日)では丸山和也高田万由子やくみつるを破って優勝し、フランス縦断旅行を獲得した。また2004年10月24日放送分(第1483回)では、番組終盤のVTRクイズの答が彼だった(不正解)。その後解答者の男性はその年のチャンピオンとなった。ホノルルクラブ会員。
  • バックギャモンの実力者でもあり、2014年8月に行われた第39回世界バックギャモン選手権では4位に入賞した。本格的に勉強を始めてから半年強での快挙であった[18]
  • 好角家。2012年秋場所七日目の打ち出し後に横綱白鵬と対面し、白鵬から「相撲を見にいらしたことはありますか」と訊ねられ、「(北の湖)理事長が現役の頃から見に来てます」と答えた。
  • 好物はカレーライス。特に2010年代に入り、タイトル戦で昼食にカレーが用意されている場合はかなりの確率でカレーを注文している[19]。2013年の竜王戦では5局とも2日目の昼食にカレー系の食事を注文した(特に5局中3局でカツカレーを選んでいる)[20]。カレーを選ぶ理由を、本人は「カレーが好き」「カレーはどこで食べても美味しい」「緊張感の高まる二日目にメニューのことであれこれ悩みたくない」と自著で述べている[21]。2013年9月にはファンイベントとして「名人を囲んでのカレーと自然食の夕べ」が開催されたほど[22]
  • 週刊文春2014年4月10日号での阿川佐和子との対談で阿川が「髪の毛、多いですよねえ」と豊かな黒髪を指差しながら指摘すると「カレー、食べてるせいですかね」と返した。[23]

その他

  • 2007年1月3日放送の「大逆転将棋2007」で、石橋幸緒矢内理絵子の脳内対局10秒将棋の対局後に講評を求められた際、内容を賞賛し、さらには「女流棋士の力を見せつけましたね」とコメントした。
  • 小学館発行のジュニアプログレッシブ英和辞典(第2版 - 2002年12月発行。ISBN 4095107065)の"master"の項目に"Mr.Moriuchi is a master of Japanese chess."(森内先生は将棋の名人です)という用例が記載されている。

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

主な成績

タイトル・永世称号

色付きは現在在位。

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号資格
竜王 七番勝負
10 - 12月
03(第16期), 13 4 2期
名人 七番勝負
4 - 6月
02(第60期), 04-07 , 11-13 12 8期
(現役1位タイ)
(歴代3位タイ)
4
(歴代4位)
永世名人
十八世名人
王位 七番勝負
7 - 9月
王座 五番勝負
9 - 10月
1
棋王 五番勝負
2 - 3月
05(第31期) 3 1期
棋聖 五番勝負
6 - 7月
2
王将 七番勝負
1-3月
03(第53期) 2 1期
登場回数合計24、 獲得合計12期歴代8位
(番勝負終了前は除く。最新は、2014年度の棋聖戦敗退)

一般棋戦優勝

優勝合計 12回
非公式戦
  • 銀河戦(非公式戦時代) 2回 = 92年度(第2回)、95(第5回)
  • 若駒戦 1回 = 87年度(第10回)
優勝合計 3回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

2010年度まで、A級経験者で、かつ、デビュー以来順位戦ですべて勝ち越しているのは、森内だけである(B級1組以下で第47期-第53期に7期連続勝ち越し。第54期以降、名人在位5期を除くA級11期ですべて勝ち越し。)。

将棋大賞

  • 第16回(1988年度) 新人賞
  • 第19回(1991年度) 勝率第一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・殊勲賞
  • 第21回(1993年度) 技能賞
  • 第24回(1996年度) 技能賞
  • 第29回(2001年度) 敢闘賞
  • 第30回(2002年度) 技能賞
  • 第31回(2003年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
  • 第33回(2005年度) 優秀棋士賞
  • 第38回(2010年度) 名局賞特別賞(第69期A級順位戦7回戦・対藤井猛九段戦)
  • 第41回(2013年度) 最優秀棋士賞

その他表彰

記録(歴代1位のもの)

  • 最年少新人王戦優勝(17歳、1987年)
  • A級順位戦9戦全勝(2003年度) = 1971年度の中原誠(8戦全勝)以来
  • 順位戦26連勝(1990年 - 1993年)

著書

単著

  • 『森内俊之の戦いの絶対感覚』(河出書房新社<最強将棋塾>、2000年2月、ISBN 4-309-72185-0)
  • 『矢倉3七銀分析〈上〉』(毎日コミュニケーションズ、1999年4月、ISBN 4-8399-0077-9)
  • 『実戦の詰将棋-初段120題 実力判定初段のカベを破る最強の寄せ』(成美堂出版、2001年1月、ISBN 4-415-01583-2)
  • 『初段の〈実戦〉詰将棋150題 強くなる!』(成美堂出版、2005年11月、ISBN 4-415-03089-0)
  • 『矢倉の急所-4六銀・3七桂型』(浅川書房<最強将棋21>、2008年12月、ISBN 4-86137-022-1)
  • 『矢倉の急所 2』(浅川書房<最強将棋21>、2009年6月、ISBN 4-86137-024-8)
  • 『覆す力』 (小学館新書 、2014年2月、ISBN-10: 4098251957)

編著・監修など

  • 森内俊之監修 小田切秀人ほか著 「森内優駿流棋本ブックスシリーズ」全10巻(主婦と生活社、1997年4月ほか、ISBN 4-391-12066-6ほか)
  • 島朗編著 佐藤康光・羽生善治・森内俊之講師『読みの技法』(河出書房新社<最強将棋塾>、1999年3月、ISBN 4-309-72181-8)
  • 原田泰夫監修 森内俊之ほか編 『日本将棋用語事典』(東京堂出版、2004年12月、ISBN 4-490-10660-2)

関連書

  • 毎日新聞社編著 『第54期将棋名人戦』(毎日新聞社、1996年7月、ISBN 4-620-50474-2)
  • 毎日新聞社編著 『第60期将棋名人戦-名人丸山忠久・挑戦者森内俊之』(毎日新聞社、2002年7月、ISBN 4-620-50480-7)
  • 毎日新聞社編著 『第61期将棋名人戦』(毎日新聞社、2003年7月、ISBN 4-620-50481-5)
  • 読売新聞社編著 『竜王決定七番勝負 激闘譜 第16期』(読売新聞社、2004年2月、ISBN 4-643-04003-3)
  • 毎日新聞社編著 『第62期将棋名人戦』(毎日新聞社、2004年8月、ISBN 4-620-50482-3)
  • 読売新聞社編著 『第十七期竜王決定七番勝負 激闘譜-森内俊之vs.渡辺明』(読売新聞社、2005年2月、ISBN 4-643-05008-X)
  • 毎日新聞社編著 『第63期将棋名人戦』(毎日新聞社、2005年8月、ISBN 4620504831)
  • 毎日新聞社編著 『第64期将棋名人戦七番勝負-名人森内俊之・挑戦者谷川浩司』(毎日新聞社、2006年8月、ISBN 4-620-50484-X)
  • 毎日新聞社編著 『第65期将棋名人戦七番勝負-森内俊之VS.郷田真隆』(毎日新聞社、2007年8月、ISBN 4-620-50485-8)
  • 毎日新聞社編著 『愛蔵版 第66期 将棋名人戦 七番勝負』(毎日新聞社、2008年9月、ISBN 4-620-50486-6)
  • 椎名龍一 『名人を夢みて-森内俊之小伝』(日本放送出版協会、 2008年10月、ISBN 4-14-081306-7)(自戦記部分を担当)

出演

テレビ番組

ほか多数

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 「将棋マガジン」(日本将棋連盟)1996年6月号『佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック』
  2. 将棋マガジン」(日本将棋連盟)1996年6月号
  3. 全日本プロ将棋トーナメントは、翌年から朝日オープン将棋選手権に移行した。
  4. ただし、休場者がいた第26期A級順位戦(1971年度)で、中原誠が8戦全勝を達成している。
  5. 過去には、升田幸三大山康晴中原誠米長邦雄谷川浩司羽生善治
  6. 当時、森内がNHK杯戦で対局した際、解説者の北浜健介は、「今、(棋士の中で)いちばん強い。」と賞賛した。
  7. 成銀で取らせて相手の攻めを一手遅らせる意味の手。この▲4八金は「絶妙の一手」と言われ、また、後に勝又清和によれば「タイトル戦の三大妙手」とも評されているが、森内自身は「相手のミスで生じた手なので」と振り返っている。しかし、控え室の検討陣で△4五歩が敗着と想像できた者はいなかったという(毎日新聞社『第63期将棋名人戦』、日本将棋連盟『将棋世界』2009年1月号 p.58「勝又教授のこれならわかる!最新戦法講義」)。
  8. 将棋世界」2006年8月号
  9. 永世名人の襲位は、原則として引退後。
  10. 囲碁・将棋ジャーナル
  11. 失冠後は1年間前名人の称号を名乗る権利があるが放棄。4年前に名人失冠した時も名乗っていない。ちなみに過去には、谷川浩司が「前竜王・前名人」の肩書きを放棄して九段を名乗った例があり、その後も佐藤康光や丸山忠久は「前名人」を名乗らなかった。
  12. 「第70期名人戦七番勝負第6局-堂々の防衛劇」 『将棋世界』 2012年8月号、6-17頁。
  13. 毎日新聞社編著 『第64期将棋名人戦七番勝負-名人森内俊之・挑戦者谷川浩司』
  14. 「将棋世界」2009年11月号
  15. テンプレート:Cite book ja-jp
  16. 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
  17. Spopre.com - 将棋は頭脳スポーツだ 棋士列伝第一回 十八世名人森内俊之
  18. 日本バックギャモン協会によるツイート - 2014年8月8日
  19. 竜王戦七番勝負の昼食を展望する - 将棋ペンクラブログ・2013年10月17日
  20. 森内名人、必勝の「カツカレー定跡」で竜王奪還なるか なぜかカレーに注目が集まった竜王戦第5局、結果は…… - アメーバニュース・2013年11月29日
  21. 森内俊之竜王名人の最近のタイトル戦での昼食傾向を分析する - 将棋ペンクラブログ・2014年4月7日
  22. ~森内俊之名人 名人の英知に学ぶ~ - 日本将棋連盟・2013年8月30日
  23. 週刊文春2014年4月10日号(4月3日発売)p128
  24. 森内名人、「神奈川イメージアップ大賞」受賞(日本将棋連盟)