番勝負

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番勝負(ばんしょうぶ)は、主として、囲碁将棋棋戦などにおいて、同じ2名の対局者が複数回の対局を行い、勝数が多い方を優勝者等とする仕組みを指す言葉である。「番」は対局の局数(回数)を意味する助数詞であり、本来は「七番勝負」のように漢数字を冠して表記するが、様々な番数の勝負の総称として「番勝負」と言う。囲碁では「番碁」(ばんご)という言葉を使うことも多い。

形態

番勝負には、次のようにいくつかの形態がある。

  • 1人と1人が複数回戦うもの(= 典型的な番勝負)
予選を勝ち抜いた挑戦者がタイトル保持者・前回優勝者に挑戦するとき(囲碁界では「挑戦手合い」と呼ぶ)のほか、一部のトーナメント戦の決勝戦、タイトル戦の予選の最後となる挑戦者決定戦等がこの形態に属する。
スポーツなどにおける、同一相手との複数回の対戦で勝敗を決める際の「○番勝負」の表現もこの形態に属する。
  • 1人が1回ごとに相手を変えつつ複数人と戦うもの
後述の瀬川晶司のプロ編入試験やプロレスの場合はこの形態である。
他に有名なものとして、山口瞳の「血涙十番勝負」や映画の「新吾十番勝負」が挙げられる。
  • 複数人同士が戦うもの
囲碁や将棋の月刊雑誌の企画としてよく行われるのがこの形態である。
複数人がチームを組んで戦う点は団体戦と同じだが、通常の団体戦と異なるのは、選手が一堂に会して一斉に対局を行うのではなく、1人ずつ順番に対局するという点である。
  • 1人と1人が1回だけ戦うもの(一番勝負)
予選を勝ち抜いた挑戦者がタイトル保持者・前回優勝者と1回だけ対戦する形態であり、通常は番勝負の範疇には入らない。ただし、タイトルマッチであることをわかりやすく表現するため、「一番勝負」の表記が用いられることがある。
囲碁の王冠戦(後述)が、その例である。

囲碁・将棋

現代の番勝負

現在の番勝負では勝負をつける必要があるため、奇数番の勝負が普通である。

三番勝負であれば先に2勝した方が、五番勝負であれば先に3勝した方が、七番勝負であれば先に4勝した方が勝ちとなる。

囲碁の七大タイトル戦、将棋の全7タイトル戦は、すべて、タイトル保持者と挑戦者1名との番勝負で優勝者を決める。

囲碁の番勝負

なお、黒番(先番)と白番の回数が不平等にならないように、第1局開始時にニギリで第1局の先後を決めた後は、1局ごとに先後を入れ替えて対局する。勝負が最終局までもつれ込んだ場合は、再度、ニギリが行われる。

また、昔の番勝負(囲碁の手合割を参照)とは異なり、現代の番勝負ではコミが採用されている[1]

将棋の番勝負

  • タイトル戦の予選
    • 竜王戦挑戦者決定三番勝負
    • 棋王戦挑戦者決定二番勝負(無敗で勝ち上がった者は1勝、敗者復活で勝ち上がった者は2連勝が必要。)

なお、先手番と後手番の回数が不平等にならないように、第1局開始時に振り駒で第1局の先後を決めた後は、1局ごとに先後を入れ替えて対局する。勝負が最終局までもつれ込んだ場合は、再度、振り駒が行われる。

将棋の番勝負の例外
  • 特例
プロ棋士など6人が瀬川と対局し、瀬川の3勝で編入を認めるものとなった。
  • 俗な用法
同じ対局者同士が同時期に複数の番勝負を戦う場合、俗に、すべての番勝負の数字を加えた数を用いて「○○番勝負」と表現することがある。たとえば2005年度の将棋のタイトル戦では、連続する3つのタイトル戦、棋聖戦五番勝負、王位戦七番勝負、王座戦五番勝負に羽生善治佐藤康光が登場し、「十七番勝負」と呼ばれた。

江戸 - 大正時代

江戸時代から明治・大正にかけては棋士の数が少なく、そのため強さの序列をつけるのに同じ相手と何局も戦い、その結果によって決めていた。特に必要がある場合に期間を決めてまとめて打つこと、指すことがあった。

有名なものとして、次のようなものが挙げられる。

  • 囲碁
    本因坊道悦 - 安井算知
    算知の碁所襲位に異を唱えたもの。道悦定先手合割で60番の予定であったが、16番目終了時に道悦が6番勝ち越して手合割が先先先に直ったため20番で終了し、算知は碁所を引退。
    井上道節因碩 - 本因坊道知
    道知が独り立ちできるかの試験碁で、10番を2度打っている。[2]ただし、目的を達したのか2度目は7番で終了している[3]
    本因坊察元 - 井上春碩因碩
    名人碁所決定戦。互先20番の予定だったが初番を持碁[4]のあと察元が5連勝して圧倒したためその後自然消滅。
    本因坊秀策 - 太田雄蔵
    手合割は互先、17番目で秀策が4番勝ち越しとなり雄蔵の先先先に直る。30番の予定であったが23番で終了。
    呉清源の十番碁
    相手を変えて何度も行われたため、第一の形態と第二の形態の混合になっているほか、ずばり第二の形態のものも行われている。
  • 将棋
    大橋宗銀-伊藤印達
まだ若い[5]跡目二人に対し、将来の名人将棋所を実力で決めさせようという意図があったという見方が有力だが、家元同士の代理戦争だったのではという俗説もある将棋界唯一の争い将棋。途中から4連勝手直りという条件が加わり、結果印達が宗銀を角落ちにまで指し込む。対局者双方が体を壊したため57番(56番とも言われる)で打ち切られ、その後対局者双方とも2年を経ずして亡くなるという壮絶な結末を迎えた。予定番数は不明だが一説には100番であったといわれている。

昔は上のように偶数番の番勝負が普通であった。というのも、二局一組の手合割[6]というのがあったため不公平のないように、また実力伯仲、あるいは実力差が手合割に見合うものならばあえて勝負をつける必要がないという考えがあったためである。

チェス

チェスでも大きな大会の決勝などでは、同じ相手と複数回対局するシステムが取られ、best of # matches と呼ばれる。

囲碁や将棋とは違い、偶数回の対局となり、白と黒を同じ回数ずつ持つ。引き分けを0.5勝と数え、過半数の勝数をあげれば勝ちとなる。偶数回の対局としているのは、先後の回数による有利不利をなくすことと、引き分けが多いために囲碁・将棋のような番勝負の仕組みが成立しないことが理由である。

スポーツ

その他、アメリカ4大国技のうち野球(ワールドシリーズ)・バスケットボール(NBAファイナル)・アイスホッケー(スタンレー・カップ)、日本のプロ野球(クライマックスシリーズ日本シリーズ)・プロバスケットボール(JBLプレーオフ)など、各国のスポーツのポストシーズンではこの方式を採用しているものが多い(多くは5戦3勝制、あるいは7戦4勝制)。

プロレスでは、「未来のエースと目された若手レスラーの試練」などの理由で、「○○十番勝負」という企画が行われることがある。大物レスラー十人が対戦相手を務める。ジャンボ鶴田の「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」、藤波辰巳の「飛龍十番勝負」などが有名。七番勝負の場合もある。

脚注

  1. ただし、コミのルールは、現代では番勝負に限ったことではない。
  2. 手合割は1度目は道知の定先。2度目は不明(おそらく道知の先先先)
  3. 一度目はすべて棋譜が残っているのに、こちらの方はなぜか棋譜が一局も残っていない。
  4. 上記の道悦・算知が争碁を打つ前に御城碁で対戦することになり、申し合わせで持碁にしたことから、その故事に倣ったものらしい
  5. 宗銀は16歳(年齢は数え年)、印達は12歳
  6. 囲碁の互先は本来1局毎に互いに先手番と後手番を交換して打つという意味であり、将棋の平手も同様である。また囲碁では定先と二子の間に先二、将棋では平手と香落ちと間に平香交じり(半香ともいう)というのがある。

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