新自由主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Neoliberalism sidebar テンプレート:Liberalism sidebar 新自由主義(しんじゆうしゅぎ)とは、政治経済の分野で「新しい自由主義」を意味する思想概念。日本では以下の複数の用語の日本語訳として使われている[1]

テンプレート:Main
  • ネオリベラリズム」(テンプレート:Lang-en-short)。1930年以降、社会的市場経済に対して個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入は最低限とすべきと提唱する。日本では、どちらかというとこの意味で用いられることが多い。
当記事ではネオリベラリズムの意味で記述する

概要

新自由主義は、経済的自由主義自由貿易市場経済民営化規制緩和などを提唱し、現代社会の中では公的部門の比率を減少させ民間部門の役割を増大させる政治思想である。

新自由主義の用語は、古典的自由主義が衰退したヨーロッパで、自由主義の価値を推進するヨーロッパの自由主義学者によって、1930年代後半のヨーロッパで主張され始めた。その後、新自由主義の理論は多様な傾向を持ち、古典的自由主義よりも更にレッセフェールの理念を持ち、社会的市場経済とも呼ばれている政府が強力な規制や管理を行う市場経済を置き換える事を提唱した。新自由主義という用語は1960年代には使用頻度が減ったが、1970年代以降に意味を変化させて再登場した。現在では通常、主に立法上の市場改革に批判的な立場から、レッセフェール的な経済政策に対する呼称として使用されている[3]

用語

新自由主義(ネオリベラリズム)という用語は、1938年にドイツの学者Alexander Rüstow(en)とColloque Walter Lippmann(en)により作られた[4][5][6]、その会議では新自由主義の概念を「価格決定のメカニズム、自由な企業、競争があり強く公平な国家体制の優先」と定義した[7]。自由主義(リベラリズム)の中で「新自由主義」(ネオリベラリズム)と名付けた理由は、現代の経済政策が必要だからである[8]

新自由主義は一枚岩の理論ではなく、Freiburg学派(en)、オーストリア学派シカゴ学派、Lippmann現実主義など、複数の異なった学問的アプローチにその発生が見られる[9]

1973年から1990年のアウグスト・ピノチェト支配下のチリ軍政の期間、反対派の学者はこの用語を使用したが、特定の理論を指したのではなく、チリで行われた政治的・経済的な改革に対して軽蔑語の意味を込めて使用した[10]

1990年代以降はこの用語は定義困難となり、思想、経済理論、開発理論、経済改革政策などを表現する複数の意味で使用され、経済を自由化する潮流を非難する意味での使用が拡大し、最初のネオリベラリストによる概念よりも更に初期のレッセフェール原理に近い市場原理主義も示唆している。このため、この用語の正確な意味や、特に近年の多数の種類の市場経済に対しての使用について、多くの議論が行われている[3]

Boas and Gans-Morse の著書によれば、この用語が使用されている最も一般的な意味は、「価格統制の廃止、資本市場の規制緩和、貿易障壁の縮小」などや、特に民営化と緊縮財政などの政府による経済への影響の削減などの経済改革政策である[11]。この用語は複数の意味で使用されており、その例には、ワシントン・コンセンサスに反対する開発モデル、最小国家主義など政府の機能を削減する自由主義概念を非難するイデオロギー用語、更には新古典派経済学に密接に関連する学問的パラダイムなどがある[12]。またこの用語は、民間部門へ権限委譲し経済の役割を増大させる公的政策への偏見として使われていると考えている人もいる[3]

日本で「新自由主義」という言葉は、大正時代の末期に上田貞次郎により用いられた[13]

歴史

初期

オーストリア学派

テンプレート:Main 経済学のオーストリア学派は、経済現象の基礎を個人の意図的な行動に置く方法論的個人主義を提唱した[14][15][16][17]</blockquote>。オーストリア学派の呼称は、カール・メンガーらが19世紀後半から20世紀のウィーンで活動した事から生まれた[18]。オーストリア学派による経済理論への貢献には、主観的価値論(en)、価格理論における限界効用理論経済計算論争の系統的論述などがある[19]

ウォルター・リップマン会議

1930年代に反自由主義の雰囲気が決定的となった中、1938年8月にパリで開催された国際会議のウォルター・リップマン会議には、Louis Rougier、ウォルター・リップマンフリードリヒ・ハイエクルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、Wilhelm Röpke、Alexander Rüstow などを含む多数の自由主義グループが参加した。リップマン、Rüstow、Rougierらはレッセフェールの古い自由主義は失敗したため新しい自由主義が必要と主張したが、ハイエクやミーゼスはレッセフェールの古い自由主義への非難には参加しなかった。しかし全参加者は新しい自由主義の研究プロジェクトの必要性に同意した。Rüstowの提案によりこのプロジェクトは「ネオリベラリズム」と呼ばれた。この会議から生まれたネオリベラリズムは主に、強い政府の規制と支配下にある市場経済に対する規制の無い自由とのRüstowの概念に沿っていた[20]。それは反資本主義反共産主義第三の道への試みでもあった。このように初期のネオリベラリズムは、現在一般に認識されているような市場原理主義とはまったく異なった概念であった[20]

モンペルラン・ソサイエティー

テンプレート:Main 1947年、フリードリヒ・ハイエクは新自由主義の理論や政策を広めるためにモンペルラン・ソサイエティーを設立し、Rüstowらもこれに参加した。ハイエクらは、古典的自由主義は概念的な欠陥により機能せず失敗したため、その診断と是正のために集中的な議論が必要と考えた[21]

第二次世界大戦後

シカゴ学派

テンプレート:Main シカゴ学派は、シカゴ大学の教授陣を中心として生まれ、経済学の学術的なコミュニティでは新古典派経済学とも呼ばれている。この学派は政府による介入を批判し、中央銀行による通貨供給を例外として大半の市場に対する規制に反対する。この理論は1980年代までに、新古典派の価格理論や、リバタリアニズムに影響し、ケインズ主義を拒否しマネタリズムを支持した。

ドイツとオルド自由主義

テンプレート:Main

新自由主義の概念はドイツで最初に構築された。1930-1940年代、ルートヴィヒ・エアハルトを中心とした新自由主義の経済学者達は新自由主義の概念を研究開発し、第二次世界大戦後の西ドイツに貢献した[20]。エアハルトはモンペルラン・ソサイエティーのメンバーで他の新自由主義者と継続的に交流した。彼は自分自身を「ネオリベラル」と分類し、その分類を受け入れた[22]

1930年、フライブルク大学を中心としたフライブルク経済学派の思想はオルド自由主義とも呼ばれ、より穏健で実用主義的であった。ドイツの新自由主義者は、競争が経済的繁栄を生むという古典的自由主義的な観念を受容したが、レッセフェール的な国家政策は競争の自由への脅威となる独占カルテルを生み、強者が弱者を破滅させ、競争を窒息させると論じた。彼らは良く開発された法的システムと有能な規制の創設を支持した。彼らはケインズ主義の全面的な適用には反対したが、経済的効率と同等に人道的・社会的な価値を置く意思により、福祉国家の拡充する理論となった。

Alfred Müller-Armack(en)は、この理念の平等主義的で人道主義的な傾向を強調するために「社会市場経済」という表現を新造した[23]。Taylor C. Boas とJordan Gans-MorseによるとWalter Eucken(en)は「社会保障と社会的正義は我々の時代の重要な関心事だ」と述べた[23]

ラテンアメリカ

1960年代、ラテンアメリカの知識階層はオルド自由主義の理念に注目し、しばしばスペイン語の新自由主義(ネオリベラリスモ)との用語を学派名として使用した。彼らは特に社会的市場経済とドイツの「経済の奇跡」に影響を受け、自国への類似政策導入を模索した。1960年代のネオリベラリズムは、独占への傾向に反対して社会的不平等を緩和するために国家政策を使用する事を支持する、古典的自由主義よりも近代的な哲学を意味していた[24]

オーストラリア

1980年代以降、オーストラリアでは労働党自由党の両党によって新自由主義的な経済政策が実施された。1983年から1996年のボブ・ホークおよびポール・キーティング政権は、経済的な自由化とミクロ経済的改革の政策を追求し、国営事業の民営化、要素市場の規制緩和、オーストラリア・ドルの流動化、貿易障壁の緩和などを行った[25]

アメリカ

1980年に大統領となったロナルド・レーガンは、「ケインズ主義福祉国家」の解体に着手し、「小さな政府」をスローガンに、規制緩和の徹底、減税、予算削減、労働組合への攻撃など、新自由主義的な政策を大規模に行っていった[26]

広義の定義

新自由主義の意味は、時代により変遷し、異なったグループや異なった概念を意味するようになったため、その定義は困難である。新自由主義の代表的な論者であるフリードリヒ・ハイエク[27]ミルトン・フリードマンデヴィッド・ハーヴェイ[28]ノーム・チョムスキー[29]などによる説明の間でも、新自由主義の意味に合意は見られないため、偏見や曖昧さの無い新自由主義の定義の作成は困難である。

新自由主義の意味に関する第一の問題は、新自由主義との用語の元となった自由主義(リベラリズム)自体が定義困難という事である[30]。第二の問題は、新自由主義の意味が純粋に理論的な思想から、実際的で実践的な意味に変化した事である。1970年代以降は新自由主義の受容が進展し、新自由主義的な改革を約束する新自由主義的な政府が世界中に公然と登場したが、しかし政府は状況に応じ常に約束した改革を実行したのではなかった。つまり大多数の新自由主義は、常にイデオロギー的に新自由主義的とは限らない。

古典的新自由主義

初期の自由主義が古典的自由主義と呼ばれるように、初期の新自由主義は古典的新自由主義(クラシカル・ネオリベラリズム)とも呼ばれ、ハイエクやミーゼスなどを含む戦間期のオーストリアの経済学者を中心として作成された。彼らは、社会主義政府とファシズム政府の両方によってヨーロッパで自由主義が衰退して行く状況を懸念して自由を再構築する試みを開始し、新自由主義の基礎となった。

新自由主義の中心概念は法の支配であった。ハイエクは、強制が最小となった場合に自由が最大となると信じた[31]。ハイエクは自由な社会でも強制の完全な廃止は不可能と信じていたが、強制を望むかどうかの判断は個人に許される必要があると論じた。彼はその実態はで、その使用は法の支配であるとした[32]。この考えを実現する重要な仕組みには権力分立などが含まれ、この概念が立法者から短期的な目標追求を分離し、また多数派による絶対権力を防止する事で、法に実効性を持たると考えた[33]。そして立憲主義の概念により立法者も成立した法によって法的に束縛される。

また古典的新自由主義は伝統を尊重し、進歩には実用主義的なアプローチを使用し、保守的な運動を指向した。著名な例には、チリのアウグスト・ピノチェト、イギリスのマーガレット・サッチャー[34]、アメリカ合衆国のロナルド・レーガンなどがある。

1980年代には、新自由主義的な目的の実践的な宣言であるワシントン・コンセンサスが成文化された。

経済的新自由主義

経済的新自由主義(エコノミック・ネオリベラリズム)は新自由主義の重要な形態で、古典的自由主義経済自由主義の歴史的な断絶の間から現れた。ある体系が新自由主義的と呼ばれる場合、通常はこの意味である[35]。経済的新自由主義は多くの点で古典的新自由主義とは異なる。

フリードマンは、新自由主義は結果主義的なリバタリアンでもあると論じた。それはイデオロギー的な理由からではなく、実利的な展開の結果として、経済における政府の干渉の最小化を採用するからである。経済的新自由主義の中核は、新自由主義的経済(ネオリベラル・エコノミー)のイデオロギーを証明する多様な理論である。

ケインズに否定的な新自由主義政策が標榜したのは、生産能力の成長のである(サプライサイド経済学[36]

新自由主義の理論によれば、ジニ係数が上昇したとしても、自由競争と国際貿易によって貧困層も含む全体の「所得が底上げされる」と考えられていた(トリクルダウン理論[26]

哲学的新自由主義

経済的新自由主義は経済原則に重点を置くが、少数だが経済政策以外にも触れている。経済的新自由主義の最も急進的な種類の1つでは、健康、教育、エネルギーなどの分野に新しい市場を作る事により、自由市場の技法を商業や経営の外部にも適用することを提唱している[37]。この視点では論理的帰結として重要な自由とは市場の自由のみであり、新自由主義はより哲学的な方向性を持ち、単なる経済理論から宗教や文化に近づく。

Paul Treanorの説明では以下である。「我々は何故此処にいるのか、私は何をすべきか」といったステレオタイプな論理的設問に対して、新自由主義者は「我々は市場にいる、競争すべきである」と回答する。新自由主義者は人類は市場に存在し他の道は無いと考える傾向があり、市場での実践が善であり、市場に参加しなければいずれは失敗すると確信している。個人的な倫理観でも、一般的な新自由主義的な視点では全ての人類は自分自身を管理する起業者で、そう行動すべきとする。個人は起業家と同様に将来を含めた自己のステータスを最大化するために友人、趣味、スポーツ、配偶者などを選択するという長所の倫理である。この姿勢は初期の自由主義には見られないが、市場原理を人生の非経済的領域に拡大したものであり、新自由主義の特徴的な点である[37]

グローバリズム

テンプレート:Main 1989年、国際通貨基金は経済危機への対応としてワシントン・コンセンサスなどの見解を支持し、発展途上国における国際企業のリスクを減らす活動を行った[38]

これらを批判する立場からは、これらの政策は「新自由主義」や「新植民地主義」と呼ばれている。その主張では、国際的な金融やビジネスでは、低開発国では現実には制度や権利のレベルも低い事が大きなリスクとなり、発展途上国は通常は先進国と比較して国際市場へアクセスできる特権が少なく、国際金融は地元の企業よりも国内の多国籍企業など海外企業に投資し易くいため、国際企業は競争上の不公正な優位を得ている[39]。また投機的な資本の流入は景気の過熱や後退に応じて経済の不安定化や経済危機を発生させる。

David Harveyは2001年のアルゼンチンの例を挙げて、地域の指導者は彼らの利益のために貧困者の負担で新自由主義的な改革を実行する一方で、他方では「邪悪な帝国主義者」を批判している、と述べた[28]

議論

新自由主義に関しては、その用語の定義や範囲を含め、多くの論争的な議論が存在している。

肯定論

  • 八代尚宏は著書『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』で以下を記した。新自由主義(ネオリベラリズム)は、1970年代にケインズ政策の批判の主体となり、主要な思想家にはハイエク、フリードマン、ベッカーなどが挙げられる[40]。日本における「反市場主義」の思想は、「賢人政治」の思想と、伝統的な「共同体重視」の思想がある[41]。「本来の新自由主義の思想」は、市場競争を重視した資源配分、効率的な所得再配分政策、公平な社会保険制度などである[42]アダム・スミス重商主義を非難したが政府の役割を否定しておらず[43]世界金融危機などは政府の失敗も大きい[44]
  • エコノミストの山田久は「新自由主義は世界に所得の不平等をもたらしたとして批判を受けている。しかし『富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しく』という状況が生まれたのは、新自由主義そのものの構造的欠陥というよりも、世界経済の構図の変化による結果なのである。むしろ、それ以前の経済システムにおける反市場主義的な思想を後退させ、市場原理尊重の考え方を『常識化』して、世界経済の成長力を取り戻したという歴史的意義があったというべきである」と指摘している[26]

批判

  • デヴィッド・ハーヴェイは著書『ネオリベラリズムとは何か』で、ネオリベラリズムとはグローバル化する新自由主義であり、国際格差や階級格差を激化させ、世界システムを危機に陥れようとしていると批判した[45]。また著書『新自由主義:その歴史的展開と現在』で、新自由主義は世界を支配し再編しようとしていると記した[46]
  • 宇沢弘文は「新自由主義は、企業の自由が最大限に保証されてはじめて、個人の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいており、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方である。新自由主義は、水や大気、教育や医療、公共的交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場・自由貿易を追求していくものであり、社会的共通資本を根本から否定するものである」と指摘している[47]
  • 中谷巌は「新自由主義が、市場で『値段がつかないもの』の価値をゼロと見なしている。これこそが21世紀における人類社会に最大の困難をもたらした原因である」と指摘している[48]
  • 中野剛志は日本で1990年代から流行した新自由主義に対しては違和感を覚えており、その理由として日本型経営が急に批判対象となったことや、人間は歴史的に形成されたルールに強く拘束されていることを挙げている。
  1. 個人とは共同体の一員で、歴史・伝統・慣習に束縛された存在であり、そのような人々が活動して初めて安定的な市場秩序が成立すること
  2. 人間関係・歴史・伝統・共同体から切り離された個人は全体主義的なリーダーに集まり、国家の言いなりになること
  3. 共同体・文化を破壊したり、強引に作り替えようとすると必ず全体主義に辿りつく

というハイエクによる指摘に特にショックを受けたと述べている。日本型経営も歴史や文化の流れで少しずつ形成されたものであり、ハイエクも日本型経営こそが自生的な秩序(スポンテニアス・オーダー)であり、真の個人主義の基礎であると言ったに違いないとしている。日本の新自由主義者たちはそれを破壊することを明言しており、ハイエクに言わせれば彼らは偽りの自由主義者であり、全体主義者であるとし、小泉政権時の政治は見事に全体主義であったと述べている[49]

その他

  • 中谷巌は「グローバリズム、新自由主義は、大航海時代以来続いてきた『西洋による非西洋世界の征服』という大きな歴史の流れの中で理解する必要がある。新自由主義の本質とは『グローバル資本が自由に国境を超えて移動できる金融資本主義を完成させようという思想』である。新自由主義の理論は市場経済を簡潔に説明することはできるが、社会・伝統・文化に与える影響については、誰も理論化できていない」と指摘している[48]
  • 増田壽男らは共著「現代経済と経済学(新版)」で、「サッチャーレーガンによって主張されるようになった新保守主義・新自由主義の考え方は、その根底に1960年代に主流であったケインズ政策に対する批判がある」とし[50]、1970年代のスタグフレーションと経済政策破綻をいかに解決するかという中から生まれた市場原理主義とした[50]。新自由主義は雇用面ではケインズ主義の「硬直性」を排除し、福祉国家を解体する[51]。また1982年の日本の中曽根政権も新自由主義、新保守主義の思想潮流の一翼を担った[52]。新自由主義・新保守主義は、ケインズ経済学であるインフレをマネタリストの立場で貨幣供給のコントロールにより克服しようとした点では一面の真理があったが、スタグフレーションは克服できず、多国籍企業によるグローバリゼーションと「カジノ経済」をもたらし、世界経済は新しい危機に見舞われる事になった、とした[53]
  • 森元孝は著書『フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン - ネオ・リベラリズムの構想とその時代』で 、第二次世界大戦後に出現した「新自由主義」というコンセプトは、現在アメリカや日本で「ネオ・リベラリズム」と呼ばれているものとは相違がはなはなしい、と記した[54]。第二次世界大戦後の復興期に現れてくる新自由主義者には、古自由主義は弱肉強食の競争を生むものの、次段階でトラスト、経済と政治の融合、経済の腐敗を生み、最終的にナチズムのような専制独裁を許したという共通した考え方があり、こうした古い自由主義から決別するという信念があるとした[55]アレキサンダー・リュストウフリードリヒ・ハイエクの立場を古自由主義と呼び批判し、文化理論を経済政策に結びつけようとした[56]。またオイケンは秩序ある自由主義、古自由主義の刷新という意味で新自由主義と称したが、競争の抑制という点では社会民主主義との区別は困難である。ハイエクは経済と市場を区別し、いわば経済の諸秩序の外に市場があり、個別経済は市場を通じて相互調整していき、そこには固有のルールが存在していると考えた[57]

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:政治思想

テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA

cs:Liberalismus#Neoliberalismus
  1. リベラリズムの多義性(川崎修) - 思想 2004年 第9号
  2. テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 3.2 Taylor C. Boas and Jordan Gans-Morse, Neoliberalism: From New Liberal Philosophy to Anti-Liberal Slogan, Studies in Comparative International Development (SCID), Volume 44, Number 2, 137–161
  4. en:Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pèlerin: the making of the neoliberal thought collective, Harvard University Press, 2009, ISBN 0-674-03318-3, p. 12–13, 161
  5. en:Oliver Marc Hartwich,Neoliberalism: The Genesis of a Political Swearword, Centre for Independent Studies, 2009, ISBN 1-86432-185-7, p. 19
  6. en:Hans-Werner Sinn, Casino Capitalism, Oxford University Press, 2010, ISBN 0-19-162507-8, p. 50
  7. Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pèlerin: the making of the neoliberal thought collective, 2009, p. 13–14
  8. François Denord, From the Colloque Walter Lippmann to the Fifth Republic, in Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pèlerin: the making of the neoliberal thought collective, 2009, p. 48
  9. Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pèlerin: the making of the neoliberal thought collective, 2009, p. 14 f
  10. Taylor C. Boas and Jordan Gans-Morse, Neoliberalism: From New Liberal Philosophy to Anti-Liberal Slogan, Studies in Comparative International Development (SCID), Volume 44, Number 2, テンプレート:DOI, p. 151–152
  11. Taylor C. Boas and Jordan Gans-Morse "Neoliberalism: From New Liberal Philosophy to Anti-Liberal Slogan" (Studies in Comparative International Development, 2009, ISSN=0039-3606, p143)
  12. Taylor C. Boas and Jordan Gans-Morse "Neoliberalism: From New Liberal Philosophy to Anti-Liberal Slogan" (Studies in Comparative International Development, 2009, ISSN=0039-3606, p144)
  13. 青葉翰於「新自由主義をめざして」(学文社、1989年、xxiiiページ)
  14. Carl Menger, Prinicples of Economics, online at http://www.mises.org/etexts/menger/principles.asp
  15. Austrian School of Economics: The Concise Encyclopedia of Economics | Library of Economics and Liberty
  16. Methodological Individualism at the Stanford Encyclopedia of Philosophy
  17. Ludwig von Mises. Human Action, p. 11, "r. Purposeful Action and Animal Reaction". Referenced 2011-11-23.
  18. Joseph A. Schumpeter, History of economic analysis, Oxford University Press 1996, ISBN 978-0195105599.
  19. テンプレート:Cite book
  20. 20.0 20.1 20.2 en:Oliver Marc Hartwich,Neoliberalism: The Genesis of a Political Swearword, Centre for Independent Studies, 2009, ISBN 1-86432-185-7, p. 18–19 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Hartwich"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Hartwich"が異なる内容で複数回定義されています
  21. en:Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pèlerin: the making of the neoliberal thought collective, Harvard University Press, 2009, ISBN 0-674-03318-3, p. 16
  22. Ludwig Erhard, Franz Oppenheimer, dem Lehrer und Freund, In: Ludwig Erhard, Gedanken aus fünf Jahrzehnten, Reden und Schriften, hrsg. v. Karl Hohmann, Düsseldorf u. a. 1988, S. 861, Rede zu Oppenheimers 100. Geburtstag, gehalten in der Freien Universität Berlin (1964).
  23. 23.0 23.1 Taylor C. Boas and Jordan Gans-Morse "Neoliberalism: From New Liberal Philosophy to Anti-Liberal Slogan" (p145-146)
  24. Taylor C. Boas and Jordan Gans-Morse "Neoliberalism: From New Liberal Philosophy to Anti-Liberal Slogan" (Studies in Comparative International Development, 2009, p147-148)
  25. Cameron Clyde R How the Federal Parliamentary Labor Party Lost Its Way
  26. 26.0 26.1 26.2 山田久の「市場主義3.0」 「市場主義1.0」がもたらした不可逆的変化 サッチャー、レーガン、小泉改革の意味ダイヤモンド・オンライン 2012年7月18日
  27. Fredrick Hayek, The Constitution of Liberty, Routledge Classics 2006 (Routledge 1960), ISBN 0-415-40424-X
  28. 28.0 28.1 YouTube Lecture series: A Brief History of Neoliberalism by David Harvey, accessed 2010
  29. http://www.chomsky.info/onchomsky/19990401.htm – This article by Robert W. McChesney summarises the views of Chomsky
  30. http://folk.uio.no/daget/What%20is%20Neo-Liberalism%20FINAL.pdf : This article makes this point rather well, and shows how these problems influence neoliberalism
  31. The Constitution of Liberty, chapters 1 and 9
  32. The Constitution of Liberty, chapter 1: Final sections
  33. The Constitution of Liberty, chapter 11–12
  34. See the story related in en:Friedrich Hayek under the section United Kingdom Politics
  35. Compass defines neoliberalism in this way
  36. 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 ケインズ復権とインフレ目標政策--「転換X」にのっとる政策その2SYNODOS シノドス -シノドス- 2014年5月29日
  37. 37.0 37.1 Paul Treanor – Neoliberalism: origins, theory, definition
  38. テンプレート:Cite book
  39. テンプレート:Cite book
  40. 八代尚宏『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』(中央公論新社、2001年)p3
  41. 八代尚宏『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』(中央公論新社、2001年)p6-7
  42. 八代尚宏『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』(中央公論新社、2001年)p7-9
  43. 八代尚宏『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』(中央公論新社、2001年)p60-62
  44. 八代尚宏『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』(中央公論新社、2001年)p37-59
  45. デヴィッド・ハーヴェイ『ネオリベラリズムとは何か』(青土社、2007年、p200)
  46. デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義:その歴史的展開と現在』(作品社、2007年)
  47. 提言 【特別寄稿(上)】菅政権のめざすことと、その背景 宇沢弘文・東京大学名誉教授、日本学士院会員JAcom 農業協同組合新聞 2011年2月14日
  48. 48.0 48.1 日本の価値観が滅びる! 中谷 巌 - 月刊日本 2013年7月27日
  49. 中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 52-55頁。
  50. 50.0 50.1 増田壽男沢田幸治『現代経済と経済学(新版)』(有斐閣、2007年新版、p2)
  51. 増田壽男沢田幸治『現代経済と経済学(新版)』(有斐閣、2007年新版、p90-91)
  52. 増田壽男沢田幸治『現代経済と経済学(新版)』(有斐閣、2007年新版、p262-263)
  53. 増田壽男沢田幸治編『現代経済と経済学(新版)』(有斐閣、2007年新版、p315-316)
  54. 森元孝『フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン - ネオ・リベラリズムの構想とその時代』(新評論、2006年、p230)
  55. 森元孝『フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン - ネオ・リベラリズムの構想とその時代』(新評論、2006年、p154)
  56. 森元孝『フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン - ネオ・リベラリズムの構想とその時代』(新評論、2006年、p153-155)
  57. 森元孝『フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン - ネオ・リベラリズムの構想とその時代』(新評論、2006年、p157-158)